選帝侯についての簡単なメモ - 敬称について 
前回は、選帝侯というもの自体と、その称号について簡単に考えてみましたが、今回はその敬称について考えてみることにします。
まず、Heraldicaの'Royal Styles and the uses of "Highness"'という記事を見てみます。そこでは、皇帝や王が'Highness'から'Majesty'へ移行した後、ドイツの下級君主も'Highness'を称する様になったとあり、その最初の例として1664年にヴュルテンベルクが'Durchlaucht'とされたことが載っています。続いて'Durchlaucht'とは、そもそもカール四世が金印勅書で選帝侯のものとして定めた敬称であると説明しています。
つまり、1356年の金印勅書に於いて、選帝侯が'Durchlaucht'という敬称で称されるとされています。この'Durchlaucht'というのは、英語では'Most Serene Highness'と訳されます。注目すべきは、この金印勅書の時点では、下級君主は'Highness'(及びそれを含む他の)敬称では称されていない、ということです。というのも、'Majesty'が使用されたのが1519年のカール五世が初めで、1356年当時は皇帝・王も未だに'Highness'だったのです。したがって、'Highness'よりは下位とはいえ、'Highness'を含む称号である'Durchlaucht'を附されているというのは、それだけ重要視されていたことを示しています。'Majesty'と'Highness'といった類の敬称は時代を追って発展してきたので、時代に注目することが肝心です。
しかし、上記の17世紀にはすでに、皇帝・王は'Majesty'に移行し、他の下級君主も上位の敬称に格上げされていきました。それで、HerzogやFurstも'Durchlaucht'となったのです。では、選帝侯はどうなったのでしょう。選帝侯自体は'Definition of Prince-elector'によると、1742年に'Durchlauchtigste'と称される様になりました。
さて、先の記事では、'Durchlaucht'を'Serene Highness'と訳し、'Durchlauchtigste'を'Most Serene Highness'と訳しています。これは、そもそも'Durchlaucht'を'(Most) Serene Highness'と訳す伝統的な英訳自体が結構無理矢理なことが問題だったりします。
要は、'Durchlaucht'の中の選ばれて高いものが'Durchlauchtigste'である、という謂いで、後者の訳はその際を明確にするために、'Durchlaucht'から'most'を抜いているのでしょう。問題は、これらが英語として書かれる時に、両方とも、HSHと略されることにあります。したがって、英語では判別が付きにくくなるが、少なくとも1742以降は選帝侯とその他の下級君主は別の敬称であることを心に留めねばなりません。
なぜ、1742年か、というのはちょっとわかりませんが、オーストリア継承戦争が関係しているのかもしれません。丁度Wittelsbach家のカール七世が即位した年なので。
続きを書こうと思ったのですが、気力が尽きたので終了します。
| 初版公開日 | 2004-11-29T22:46:00+09:00 |
| 最終更新日 | 2009-12-05T14:15:22+09:00 |
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