ウェイルズ公挙式 anchor.png

皆さんもご存じの通り、ウェイルズ公チャールズ王子殿下とカミラ・パーカー・ボウルズ夫人との市民婚がウィンザーのギルドホール内アスコット・ルームにて行われました。その後、祝福の儀式«The Service of Prayer and Dedication»がウィンザー城内のサン・ジョージズ・チャペル«St George's Chapel»にて行われ、結婚式には欠席したエリザベス二世女王陛下も列席なさいました。その後、ウィンザー城にて陛下主催のレセプション(披露宴)が行われました。

この結婚により、カミラ・パーカー・ボウルズ夫人«Mrs Camilla Parker Bowles»ウェイルズ公妃殿下«HRH The Princess of Wales»となりました。しかしながら、結婚前に出されたアナウンスメントにより、コーンウォール公爵夫人«The Duchess of Cornwall»と称されることとなります。

Page Top

市民婚列席者リスト anchor.png

  1. ウィリアム王子殿下 (HRH Prince William)
  2. ヘンリー王子殿下 (HRH Prince Henry)
  3. ヨーク公爵殿下 (HRH The Duke of York)
  4. ビアトリス王女殿下 (HRH Princess Beatrice)
  5. ユージニー王女殿下 (HRH Princess Eugenie)
  6. ウェセックス伯爵殿下 (HRH The Earl of Wessex)
  7. ウェセックス伯爵妃殿下 (HRH The Countess of Wessex)
  8. プリンセス・ロイヤル殿下 (HRH The Princess Royal)
  9. ティモシー・ローレンス海軍少将 (Rear Admiral Timothy Laurence)
  10. ピーター・フィリップス氏 (Mr Peter Phillips)
  11. ザラ・フィリップス嬢 (Miss Zara Phillips)
  12. アレクサンドラ王女殿下 (HRH Princess Alexandra)
  13. リンリー子爵 (Viscount Linley)
  14. リンリー子爵夫人 (Viscountess Linley)
  15. セーラ・チャトー令夫人(The Lady Sarah Chatto)
  16. ダニエル・チャトー氏 (Mr Daniel Chatto)
  17. ブルース・シャンド少佐 (Major Bruce Shand)
  18. ブルース・シャンド氏 (Mr Bruce Shand)
  19. サイモン・エリオット氏 (Mr Simon Elliot)
  20. サイモン・エリオット夫人 (Mrs Simon Elliot)
  21. ベン・エリオット氏 (Mr Ben Elliot)
  22. ケイティ・エリオット嬢 (Miss Katie Eliot)
  23. ルーク・アーウィン氏 (Mr Luke Irwin)
  24. ルーク・アーウィン夫人 (Mrs Luke Irwin)
  25. トム・パーカー・ボウルズ氏 (Mr Tom Parker Bowles)
  26. セーラ・バイズ嬢 (Miss Sara Buys)
  27. ローラ・パーカー・ボウルズ嬢 (Miss Laura Parker Bowles)
  28. ハリー・ロープス氏 (Mr Harry Lopes)
Page Top

祝福の儀式列席者 anchor.png

祝福の儀式«The Service of Prayer and Dedication»への列席者はここで全員書き出すには多すぎますので、英王室関係者・海外の王室関係者のみ抜粋します。

Page Top

英王室関係者 anchor.png

  1. 女王陛下 (HM The Queen)
  2. エディンバラ公爵殿下 (HRH The Duke of Edinburgh)
  3. ウィリアム王子殿下 (HRH Prince William)
  4. ヘンリー王子殿下 (HRH Prince Henry)
  5. ヨーク公爵殿下 (HRH The Duke of York)
  6. ビアトリス王女殿下 (HRH Princess Beatrice)
  7. ユージニー王女殿下 (HRH Princess Eugenie)
  8. ウェセックス伯爵殿下 (HRH The Earl of Wessex)
  9. ウェセックス伯爵妃殿下 (HRH The Countess of Wessex)
  10. プリンセス・ロイヤル殿下 (HRH The Princess Royal)
  11. ティモシー・ローレンス海軍少将 (Rear Admiral Timothy Laurence)
  12. ピーター・フィリップス氏 (Mr Peter Phillips)
  13. ザラ・フィリップス嬢 (Miss Zara Phillips)
  14. リンリー子爵 (Viscount Linley)
  15. リンリー子爵夫人 (Viscountess Linley)
  16. セーラ・チャトー令夫人(The Lady Sarah Chatto)
  17. ダニエル・チャトー氏 (Mr Daniel Chatto)
  18. グロスター公爵殿下 (HRH The Duke of Gloucester)
  19. グロスター公爵妃殿下 (HRH The Duchess of Gloucester)
  20. ケント公爵殿下 (HRH The Duke of Kent)
  21. ケント公爵妃殿下 (HRH The Duchess of Kent)
  22. ケント家マイケル王子殿下 (HRH Prince Michael of Kent)
  23. ケント家マイケル王子妃殿下 (HRH Princess Michael of Kent)
  24. アレクサンドラ王女殿下 (HRH Princess Alexandra)
  25. ジェイムズ・オギルヴィ氏 (Mr James Ogilvy)
  26. ジェイムズ・オギルヴィ夫人 (Mrs James Ogilvy)
Page Top

外国の王室関係者 anchor.png

  1. バーレーン国王陛下 (HM The King of Bahrain)
  2. ギリシア国王陛下 (HM The King of the Hellenes)
  3. ギリシア王妃陛下 (HM The Queen of the Hellenes)
  4. オランダ王国コンスタンティン殿下 (HRH The Prince Constantijn of The Netherlands)
  5. オランダ王国コンスタンティン妃殿下 (HRH The Princess Constantijn of The Netherlands)
  6. ノルウェイ王国太子殿下 (HRH The Crown Prince of Norway)
  7. ノルウェイ王国太子妃殿下 (HRH The Crown Princess of Norway)
  8. ルーマニア王国マルガリータ王女殿下 (HRH Princess Margarita of Romania)
  9. ホーエンツォレルン-ヴェリンゲン公子ラドゥ殿下 (HSH Prince Radu of Hohenzollern-Veringen) [注1]
  10. サウジアラビア王国トルキ・アル-ファイサル王子殿下 (HRH Prince Turki AL-Faisal)
  11. サウジアラビア王国ヌーフ・ビント・ファハド妃殿下 (HH Princess Nouf bint Fahad)
  12. ユーゴスラヴィア太子殿下 (HRH The Crown Prince of Yugoslavia)
  13. ユーゴスラヴィア太子妃殿下 (HRH The Crown Princess of Yugoslavia)
[注1]

The Prince of Walesウェブサイトなどでは、この人物は Prince Radu of Hohenzollernとなっていますが、彼は自らのことを正確には'Prince of Hohenzollern-Veringen'と称しています。実は、この称号はややこしいこととなっています。

庶民のRadu Ducaがルーマニア王家のマルガリータ王女と1996年に結婚したのち、ルーマニア王家の本家筋に当たるホーエンツォレルン公家に称号を賜るように要請しました。このとき既にルーマニア王家も統治を支配していません。1999年になって、ホーエンツォレルン公家の当主Prince Friedrich Wilhelm von HohenzollernはRaduに'Hohenzollern-Veringen'の名を称することを許しました。このことを受けてRaduは'HSH Prince of Hohenzollern-Veringen'を称します。

しかし、同年Prince von HohenzollernはRaduを称号僭称で訴えます。というのは、ホーエンツォレルン公は、'Hohenzollern-Veringen'の名を与えただけで、'HSH Prince of Hohenzollern-Veringen'という称号を与えていない、というのです。

このことは、現在国を統治していない旧君主が称号を作る権利があるか、という問題もあってややこしい状態になっています。

正確に言いますと、1848年にプロイセン国王とホーエンツォレルン-ジグマリンゲン公(おそらくPrince Karl Anton von Hohenzollern-Sigmaringen)との間に合意がなされ、ホーエンツォレルン公が君主権を喪失した場合、新たに(女系)の公族の位を宣下したり、その称号を叙すことができない、とされました。両君主国とも今は消え去ってしまいましたが、この合意が有効と見なされています。有効ではない、と見なす人もいる。

しかしながら、王室の社交界においては、ルーマニア王女の夫君に敬意を表して、大抵その主張の通りに書いていることが多い様です。この辺はロシアのニコライ・ロマノフと似たような状況でしょう。

初版公開日2005-04-11T19:44:00+09:00
最終更新日2009-12-05T14:15:21+09:00

Tag: 英国王室 英諸島事情 ウェイルズ公 ホーエンツォレルン諸家 ルーマニア王家 リスト


Page Top

旧ブログ時代Writeback(s) anchor.png

Page Top

Comment(s) anchor.png

1: AMU (2005/04/11 20:31) aaa49120(あっとまーく)pop01.odn.ne.jp
ルーマニア王国マルガリータ王女殿下についてですが
2000年版ゴータ貴族年鑑によると
彼女は1997年にCrown Princessになっているのですが
通常は、王太子を称していないのでしょうか?

それにしても、ラドゥ殿下に義父のミハイ国王が
称号を与えなかったのが不思議です。
(本家にお願いするより容易な気がするのですが)
ちなみに、2000年版ゴータ貴族年鑑ではラドゥ殿下について、ご本人の主張通りに記載されておりました。
2: dzlfox (2005/04/11 22:11)
AMUさま、こちらではお久しぶりです。

>彼女は1997年にCrown Princessになっているのですが

え~、結論から言うと、彼女はCrown Princessではないのです。
たしかに、Almanach de Gothaの記述はそうなっているそうで、実際King MihaiがPss Margaritaを'Heir'とした、という事実はあります。
しかし、これは問題があるのです。
ルーマニア王位の継承は1922年の憲法によって[女子の継承権が否定]されています。したがって、そもそもPss MargaritaをはじめとしたKing Mihaiの娘達は王位を継承できないのです。
継承できないので、'Crown Princess'となることはできません。
憲法というのは、国王でもそう簡単に変えることはできません。ルーマニアは既に君主制ではないので、手順を踏んで変えることもできません。
このことはMihai陛下も認識しておられて、とあるインタビューで「自分としては娘達に王位を継がせてやりたいが、1922年憲法で禁じられているので、できない」といっておられます。
では、1997年のは何だったかというと、'Crown Princess of Romania'ではなく、'Heir to the Headship of the Royal House of Romania'への叙任だということです。つまり、Mihai陛下はPss Margaritaをルーマニア王位の継承者ではなく、家の家長の継承者とするということです。
ある研究者がMihai陛下に直接連絡を取って尋ねた所、「1997年にPss MargaritaをCrown Princessに叙したことはない」と仰った、とのことです。
3: dzlfox (2005/04/11 22:14)
>それにしても、ラドゥ殿下に義父のミハイ国王が
称号を与えなかったのが不思議です。

こちらの方は、私はまだ理由を確認していないのですが、女性王族の夫に王族の類の称号を与えることに、(旧)ルーマニア法で何らかの制限があるのかもしれません。
4: Lucius (2005/04/12 04:27) l.aquarius(あっとまーく)excite.co.jp
> ウェセックス伯爵殿下 (HRH The Earl and Countess of Wessex)

 "and Countess"は重複ですね。そういえば、夫妻だとTRHになるんですね。当たり前なんですが見慣れないのでちょっと新鮮でした(笑)
5: dzlfox (2005/04/12 09:45)
Lucius様ご指摘ありがとうございます。
はじめは夫婦単位で書いていたのを個人単位に変更した際に修正漏れがあったようです。
そのくせTRHはしっかりHRHに変えているという。

>TRHは新鮮。

そういえば、どこかのサイトかブログで、TRHとHRHの違いについて悩んでいる人がいたような気がします。
人称の変化って日本語では余り見かけないような気がしますが、ぱっと気づくまではやはり混乱するのでしょうか。
6: もつ (2005/04/12 19:55)
>1848年のホーエンツォレルン公
こんにちは。
いつも読ませていただいています。
今回の話も(Writebackを含めて)非常に面白いのですが、一点質問があります。

> 1848年にプロイセン国王とホーエンツォレルン公との間に合意がなされ、

とありますが、プロイセン国王はフリードリヒ・ヴィルヘルム4世として、ここでのホーエンツォレルン公とは誰のことなんでしょうか。
ちょっと、誰と誰が合意したのかよくわからなかったので書き込ませていただきます。
7: dzlfox (2005/04/12 20:23)
はじめまして。これからもよろしくお願いいたします。

>ここでのホーエンツォレルン公とは誰のことなんでしょうか。

あ~、これはちょっと確信がなかったのでごまかした所なんですが(笑)、おそらくPrince Karl Anton von Hohenzollern-Sigmaringenだと思われます。
#この時はまだHohenzollern-Hechingenがあったので、単独のHohhenzollernではなかったですね。混乱させまして、申し訳ありません。
後で少し訂正させていただきます。
8: AMU (2005/04/12 22:41) aaa49120(あっとまーく)pop01.odn.ne.jp
難しいですね
>え~、結論から言うと、彼女はCrown Princessではないのです。

なるほど、そういうことなのですね。
陪臣化された王侯家の権利の問題も含めて
何とも難しいですね。

それにしても、ルーマニア王家はマルガリータ王女が継ぐにしても、ルーマニア王位は何方が継がれるのか気になるところです。
(前に私の分かる範囲で系図を確認したところ、
ルーマニア王家には、もう王位継承権を認められている男子がいないようです。~カロル2世の最初の結婚の家系は
駄目でしょうし。)
9: Lucius (2005/04/13 01:47) l.aquarius(あっとまーく)excite.co.jp
プリンスパワー?
 出席者リストを見ていて「これは誰だっけ?」というのを検索していて気づいたんですが、HRH Prince Michael of Kentの長男がLord Frederick Windsor、長女がLady Gabriella Windsorとなっているのは、Princeの子としての儀礼称号なんでしょうか?<公爵並?
10: dzlfox (2005/04/13 09:38)
>ルーマニア王位は何方が継がれるのか

1923/38憲法における継承規定は:

1. カロル一世の嫡出系男系男子を長幼順
2. (1)が絶えた後は、カロル一世の最年長の兄弟およびその子孫から、上記と同じ条件で。
3. (2)に当てはまる人らが、前もって継承権を放棄した場合、議会に従い、国王が西欧の君臨している君主家の一族から一人選んで後継者に指名する
4. それでもだめなら、王位は空位

となっています。
#現在では3番目のは事実上死文ですが。

というわけで、’法令上’では、King Mihaiの次は、現ホーエンツォレルン公(当時はホーヘンツォレルン-ジグマリンゲン)であるPrince Friedrich Wilhelm von Hohenzollernがheir to the Romanian Throneとなります。

ただ、問題は、ルーマニア人が、ミハイ国王の娘のことはともかく、ジグマリオンな人らのことなど全然知らないという点で。しかも、聞く所によると、ホーエンツォレルン公は、ルーマニア王位にさほど興味がないようで…。
継承者自体が興味がないとなってしまうと、王政復活の見込みがほとんどない今、ルーマニア王位継承権は学術的なものとして埋没していきそうです。

#そうなってしまうと、身分を既に詐称しているPaul Lambrino (カロル二世の最初の結婚の孫)や、家の継承者のマルガリータ王女+エレーナ王女の息子のニコラスあたりと、ぐちゃぐちゃやりそうな気がします。
11: dzlfox (2005/04/13 09:47)
Luciusさま。爵位のない'Prince'の子供達は'daughters/younger sons of a Marquess'の序列が与えられます。
ですから、仰る通り、Prince Michael of Kentの子はLord FrederickとLady Gabriellaとなります。

#ただし、このままと娘の方が長男よりも身分が高くなってしまうので、長男は「儀礼称号は侯爵の余子だけども、身分は侯爵の長男扱い」的な処置がなされるような記憶があります。確かではありませんが。
12: もつ (2005/04/13 18:58)
>あ~、これはちょっと確信がなかったのでごまかした所なんですが(笑)、おそらくPrince Karl Anton von Hohenzollern-Sigmaringenだと思われます。
>#この時はまだHohenzollern-Hechingenがあったので、単独のHohhenzollernではなかったですね。混乱させまして、申し訳ありません。

ご回答ありがとうございます。
すると、1848年に父親の譲位でホーエンツォレルン・ジグマリンゲン公(Furst)位を継承し、1869年から単独のホーエンツォレルン公になるカール・アントンのことですね。
ジグマリンゲンとヘッチンゲンが君主権を放棄(プロイセン王に譲渡)したのは1849年だったと思うので、1848年に合意したというのは何だか急な話ですね。それを前提で合意したということなんでしょうか。
そう思うとカール・アントンだけでなくとホーエンツォレルン・ヘッチンゲン公の方も同時に合意したのかもしれませんね(完全に想像で言ってますが)。
13: dzlfox (2005/04/13 20:16)
もつさま。それらかさらに調べましたので、まとめて書きますと:
1848年の取り決めは、ジグマリンゲン/ヘッチンゲンの両方がプロイセンと合意に達したそうです。おそらくそれは、来るべき1849年の君主権放棄へ向けた一連の動きの中で行われたものだと思います。
14: 通りすがりにて失礼しますが (2005/04/13 22:13)
ヌーフ・ビント・ファハドというお名前は、ビント(~の娘)が入っているので明らかに女性名で、おそらくトゥルキー・アル・ファイサル王子(駐英大使)のご夫人なのでしょうが、ヌーフ・ビント・ファハド王子妃殿下と訳すとヌーフ王子という人の妃のように感じられるのでちょっとまずいかなと思います。
15: Lucius (2005/04/14 00:20) l.aquarius(あっとまーく)excite.co.jp
爵位がないからといってPrinceの子がいきなりMr.ってわけにもいかないんでしょうね、きっと(笑)ところで、

> 爵位のない'Prince'の子供達は'daughters/younger sons of a Marquess'の序列が与えられます。

 これはLPか何かが出ているのかしら?と思って調べてみたら、1917年11月30日のLPの末尾に、君主の男系の曾孫についての記述がありました。

"the grandchildren of the sons of any such Sovereign in the direct male line (save only the eldest living son of the eldest son of the Prince of Wales) shall have the style and title enjoyed by the children of Dukes."

http://mypage.uniserve.ca/~canyon/documents.html

 DukeがMarquessになったのは、これの後に別のLPか何かが出ているということなんでしょうか?
16: dzlfox (2005/04/14 10:56)
Luciusさまご指摘ありがとうございます。
仰る通り、1917年のLPにより、Marquessの子ではなく、Dukeの子扱いです。
そのLPには目を通していたのですが、参照した所の情報がやや錯綜していました。
ここで訂正いたします。
17: dzlfox (2005/04/14 11:15)
通りすがりさま
>ヌーフ・ビント・ファハド王子妃殿下と訳すとヌーフ王子という人の妃のように感じられるのでちょっとまずいかなと思います。

実は私もそこはかなりなやんだところでして、欧州の王族の表記は英国的慣習に基づいて書いているのですが、果たしてイスラーム圏はどうするべきか。原文の英語表記にしたがって、妃自身の名前をも表記しているのですが、イスラーム圏のことを考えると、それはそれでいいように思います。
ただ、やはり王子妃殿下とするのは、ご指摘の通り、良くないですね。訂正させていただきます。
ありがとうございました。
18: AMU (2005/04/15 23:20) aaa49120(あっとまーく)pop01.odn.ne.jp
>#そうなってしまうと、身分を既に詐称しているPaul Lambrino (カロル二世の最初の結婚の孫)や、家の継承者のマルガリータ王女+エレーナ王女の息子のニコラスあたりと、ぐちゃぐちゃやりそうな気がします。

ご回答をありがとうございます。

やはり、法的には1914年の王位継承同様に
ホーエンツォレルン公家に権利があるのですね。

こうなると、公家が権利を主張してくれないと
仰るようにランブリノ家、ミハイ国王の子孫も加わって
エルサレム王位にように複数家系の称号になってしまいそうですね(^^;。

今となっては遅いですが、ミハイ国王の王女が
公家と縁組されていたら、随分と事態は綺麗だったでしょうが、こればかりは仕方がないことですね。

コメントポスト(オープンはオープンに、クローズドはクローズドに書き込まれます)

題名
ゲスト名
投稿本文
より詳細なコメント入力フォームへ

コメント一覧

0件ヒットしました 返信 閲覧 投票数 平均点 トピック開始 最新投稿

Front page   Freeze Diff Backup Copy Rename Reload   New Page Page list Search Recent changes   Help   RSS of recent changes (RSS 1.0) RSS of recent changes (RSS 2.0) RSS of recent changes (RSS Atom)
Counter: 654, today: 2, yesterday: 1
Last-modified: 2009-02-15 (Sun) 22:16:34 (JST) (792d) by dzlfox

最新記事一覧
投稿一覧
コメント一覧
ログイン
ユーザー名:

パスワード:


パスワード紛失