グリンドゥールの旗、カーディフ城に掲揚 - 挙兵の記念週間 
ウェイルズ議会は、9月16日がオワイン・グリンドゥールが挙兵し議会を開催し'Prince of Wales'と称した記念すべき日であることから、12日からの一週間カーディフ城の城壁にグリンドゥールの紋章つきの旗を掲揚する事に同意した。カーディフ上にその旗が掲げられるのは、反乱を起こしていた当時以来600年ぶり。
一般的に最後のウェイルズ人'Prince of Wales'は
グリンドゥールの反乱概略 
直ちに北東ウェイルズのde Grey領を攻めると、南下して
ヘンリー四世はスコットランド遠征から引き返してシュルーズベリーへ逗留し鎮圧の機会を狙ったが天候面もあって思うに任せず、その間にグリンドゥール軍は戦線を拡大。1402年にはフランスとブルターニュの支援を受け、1403年には全ウェイルズ的な反乱へと成長した。同年から1404年にかけてカマーゼン、カーディフ、ブレコン、ハルレック、アバリストウィス等を攻略した。
カーディフ・シティ・ホールに展示されているOwain Glyndŵrの彫像
(彫刻: Alfred Turner; 写真:Seth Whales; available at Wikipedia Commons.)
しかし1405年から1406年のフランス・ウェイルズ連合軍のイングランド侵攻が失敗に終わると、フランス軍は引上げ、やがてグリンドゥールの凋落が始まる。イングランドでは継嗣のヘンリー(後のヘンリー五世)が軍の主導権を握ると、経済封鎖を中心とした戦略に切替え、ウェイルズを切り崩す事に成功した。
1409年頃には既に局地的な反抗に過ぎなくなっていたが、1412年以降オワイン・グリンドゥールの消息は聞かれなくなった。イングランド側からオワインの息子
2000年に挙兵600周年をむかえ、オワインの紋章である「
しかしこうして見ると、中先代の乱と何となく似ているなぁ……。
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日本にいる知り合いのウェイルズ人(カーディフ出身でオーストラリアに移住)にこの話をしたら、喜んでました。