蜜柑と御掻で雑感綴り - 有馬記念
一時期ほどの喧騒はなくなったとはいえ、やはり年末のイベントの一つとして、競馬の有馬記念は大きなものがある。
さて、ダイユウサクという馬のことをつらつら思いだしつつ、この有馬記念のことをふとWikipediaで調べると、このサイト的に面白い記述があった。
有馬記念の競走名により有馬温泉のある兵庫県の阪神競馬場で開催されていると勘違いされたり、特に関西在住の競馬初心者に「なぜ有馬温泉に近い阪神競馬場で行われないのか」という声が聞かれる
一般的に競馬関係の書籍・雑誌などで有馬記念という競争の起源を語る時、以下のような記述となろう。
- 「日本中央競馬会第2代理事長の有馬頼寧氏がファンサービスの拡充と暮れの看板競争創設を考え、プロ野球のオールスター戦を参考に、ファン投票によるオールスターグランプリ競争を構想した。」
- 「この構想を1956年に『第1回 中山グランプリ』として実現させた。」
- 「その翌年明け1月9日に有馬氏が逝去したために、1957年以降その偉業を記念し、『有馬記念』という競争名で施行することとなった。」
これは、JRA的にも公式な見解なので、間違いないだろう。実際そこにケチをつけようという意図ではない。
で、多少なりとも競馬を知っているものは、この記述が結構あちこちにあふれているので、
有馬記念=有馬氏を記念して年末に行われるグランプリレース
という図式が頭にあるのである。
なので、Wikipediaでも有馬氏を記念してのもので、レース名と有馬温泉との直接のつながりが無いことを記している。しかし、続いて以下のように記述している。
ただし、有馬の先祖は室町時代に有馬温泉の周辺を治めていた地頭の摂津有馬氏である。
そうなのである。
有馬頼寧氏はそもそも赤松氏流の有馬家庶流にあたる久留米候当主有馬伯爵家の嫡男として出生され、父伯爵の後を継いで自身も伯爵となっている御仁なのである。
帝大農科の出身で、農商務省にはいり、大学で教えたり社会活動した後に衆議院議員となり、任期中に襲爵したために貴族院に転出したものの、農林政務次官を経て、第一次近衛内閣で農林大臣となった、いわば農政の大物であるといえよう(経歴はWikipediaの「有馬頼寧」を参照)。
とうぜん、日本中央競馬会の理事長としてはふさわしい経歴である。
この系統の有馬氏(いわゆる摂津有馬氏、赤松有馬氏)の嫡流は、天正年間に断絶した摂津有馬郡主家であり、その通称の如く津の国有馬郡を支配していた。つまり、有馬温泉付近である。
結局、Wikipediaに言う、「競馬初心者」の疑問はあながち間違いではないのである。
有馬頼寧氏を記念したレースならば、先祖所縁の地に近い阪神競馬場でも良いではないか、と言われれば、確かにそうである。
ただ、このレースは単に有馬氏を記念して「創設」されたわけではなく、そもそも有馬氏が「暮れの中山開催で中山大障害に代わるメインイベント」としてグランプリ企画し、それを解消したものである、というところが説明の連環なのである。
初心者や素人の指摘や質問にて、本人の意図したところではないものの、それが意外にポイントを付いているというのは良くある話である。
私も似非研究者としてたまに学会に出たり話したりするが、その時に他の研究者ではない人や分野違いの研究者の人の一言が非常に勉強になったりすることがある。
シャーロック・ホームズが「論理的帰結より、女性の直感のほうが正しいこともあり、馬鹿にしてはいけない」というのと似たような話であろう。
しかし、まぁ、こういうことをいろいろ調べていくと、血のつながりというか広がりというのもなかなか馬鹿にはできないものだといつも思ってしまう。
ちなみに、この有馬頼寧氏は伯爵であるので、当然その道の貴種の方々が多い。
正妻は北白川宮能久親王の次女である貞子女王(降嫁)であるし、次女の婿は喜連川足利惇氏子爵である。
ちなみに四女は旧津和野候の亀井茲建伯爵に嫁いだ。その三男が亀井久興、即ち衆議院議員前職で国民新党前幹事長のあの人である。まぁ、この人を貴種と言ってしまうと持ち上げているように思えて嫌なのではあるが(しずかちゃんのほうでないだけなんか救われる気がする)
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