この手記はJFという曹長(以下、筆者というとこの人物を指す)が軍曹として従軍した日露戦争について記したものです。筆者が歩兵第15連隊(高崎)に属していたことから、当初第二軍として随軍し、その後の第1師団の配置換えに伴い第三軍に参加しています。乃木大将指揮による第一次旅順総攻撃の失敗の直後、病気による入院の為に戦線離脱となり、それをもって手記の編年は獲麟としています。
原文は明治期の文語文・正字(一部略字)で書かれていますが、ここでは現代文に訳した上で、所謂新字を使って表記しています。ただし、語彙・言い回しは原文を尊重し、筆者の言わんとすることが伝わるようにしました。
この手記が書かれた時期に関しては長兄である狂犀氏の記述に従えば、戦中より逐次記したものを戦後にまとめたもの、となります。したがって、筆者が戦線を離脱した明治37年9月半ばから病没した明治38年5月半ばの間に書かれたものと考えられまが、正確に何時の時点に執筆されたかは不明です。
現物は「手簿」と表書きされた手帳で、1ページ目には「捕物帳」と題されています。本文にも見られるJF曹長のユーモア気質を表していると思います。
当時の大陸での物価だと思われる物価調表の後、まず概略がおかれ、その後「鉄道移動中」、「広島滞在中」、「乗船中」と章ごとに詳細な記述が続き、「上陸後」の章において所謂第一次旅順総攻撃後に入院するまでの経緯が書かれています。炊事係として兵站を担当していたことから、その後に「廃物利用」、「戦地の料理」という2章をおいています。
全体を通して、武勇を誇るような所謂武勇伝ではなく、しばしばユーモアを交えて将校を批判し、また当時の日本軍の欠点を指摘するなど、兵站に関わる下士官として冷静な目で状況を観察しているように思えます。
第二軍の日露戦争記としては、写真班として第二軍に従軍した田山花袋の『第二軍従征日記』(博文館, 1905)があり、国立国会図書館の近代デジタルライブラリーで画像ファイルにて全文公開されています。
花袋の『日記』とこの『手記』との違いは、やはり写真班の一員であった花袋と実際の下士官であったJF軍曹、という書き手の立場の違いだとおもわれます。また、花袋は第二軍に従軍し続けたが、JF軍曹は途中で第三軍に配置換えとなっている、という点が大きいでしょう。詳細な内容と分量は圧倒的に花袋の『日記』の方が上であるとはいえ、上記の理由から大きく異なるものがあり、比較対照してみると面白いと思われる。
敢えて比較はここでは差し置き、諸兄の感想・評論を待ちたいと思います。
筆者JF曹長(当時軍曹)は末弟として長野県に生まれた。生家は地元では良い家の分家である。長兄は狂犀と号するMF氏で、次兄は長じて北海道へ養子に行った。女子を挟んでJF曹長である。曹長がこの手記を残して亡くなったとき、その遺品は長兄狂犀氏が管理したが、特にこの手記に関してはその重要性を指摘し、「記念トシテ存ス」事とした。狂犀氏には子が無く、Y家へ嫁いだ妹(曹長にとっての姉)の次男が五ヶ月の胎児の時に養子なることが決まり、長じて実際に跡を継いだ。そしてその他の遺品とともにこの手記も受け継いだ。この養子が私、すなわち編者の外祖父である。(したがって、外祖父にとってJF曹長は養叔父でもあり実の叔父でもある。)
以下の略歴にある通り、日露戦争の前に、一度北清事変の関係で北京へ派遣されている。年代を見てみると、北清事変の講和交渉が正式に始まったのが1900年(明治33年)10月で、辛丑条約(北京議定書)が結ばれたのが1901年(明治34年)9月7日である。つまり当時のJF軍曹は条約締結を間に挟んで1年半北京に駐在していたことになる。当時軍曹は各国駐留軍の面々と交流していたようで、英国の伍長の名を記したカードが残っている。
JF曹長の人柄は勤勉実直であり、手記に見られるようにユーモアと鋭い目を持っていたようである。炊事係と聞くと事務系の人物とのイメージがあるが、銃剣や器械体操で一等を数多く得て表彰されている。
日露戦争中に得た病が全快した後高崎駐屯地に戻り、補充兵教育にあったようである。その後明治38年に曹長へと昇進するが、2ヶ月後に病に倒れ、5月18日に死去した。死因は所謂病死ではあるが、死亡証明書の記述からすると、現代で言う過労死に近いものではないかと思われる節がある。全治退院といってもやはり本復ではなかったのだろうか…。本年2006年は101回忌を迎えることとなる。
原『手記』は1904/5年に書かれており、JF曹長自身が1905年に死去していますので、著作権は切れております。私が直系の跡取りならばそのまま書き下し文を公開していたでしょうが、外孫の身ではそうも行かず、私が現代語訳及び編集した形で公開することにしました。これによって現代口語訳および編集物としての著作権を主張します。したがって、無断転載を禁止します。しかし、法令及び慣習の許容するところの引用はして下さって構いません。リンクはもちろんのこと、ブログ部分へのトラックバックも歓迎いたします(ただし悪質と編者が見なす"無関係な"トラックバックは削除します)。
蛇足ながら編者について申し上げますと、JF曹長は編者の外祖父の養叔父(もしくは実の叔父)となります。最近ブログではdzlfoxという筆名を用いていますが、ここでは「止水」と号することにしました。従いまして、編者としての筆名は「止水」とします。2006年5月5日現在のbalchder.jpドメインの所有者です。
2006年5月5日(JF曹長128回目の誕生日に)編者 止水 謹白
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