最近行われた皇位継承の世論調査における女帝是認論に関して、俵孝太郎氏がゲンダイネットに「戦後教育の悪影響が生んだ『女帝是認論』」と題する論評を載せている。これに対して少し思う所があったので書きたいと思う。しかしながら私は歴史学者でも社会学者でもなく、現在の学会の潮流を知っているわけでもないので、以下は戯れ言同然に読んでいただきたい。
俵孝太郎氏は天皇という位について:
日本人が稲作農耕の長い歴史の中で体得した自然信仰・祖霊信仰と共同体意識が結びついた多神教である神道の祭主、プリースト・キング(祭司王)として、世俗の権力から離れて高い権威を持ち、シンケンポーなんかができるはるかに遠い昔から、「国民統合の象徴」であり続けてきたのだ。
此処でいわれている天皇を
そもそも私の記憶が正しければ'priest-king'論を支持したのは欧米の学者と日本の左派の学者である。欧米の学者にとって、歴史上に置いて天皇がde factoな統治者に実権を脅かされながらその地位を保てたのが大いに不思議だったのである。しかし、それをローマ教皇と神聖ローマ皇帝の、所謂聖俗の対比として考えると彼らにとって理解が楽なのである。
日本の左派学者(日本の歴史学界は左派が主流だったように思うが)にとっては、天皇を歴史において「君主」という立場から「祭司王」という立場に引きずり落とすことによって、天皇の歴史的権威を減ずることが出来るので、彼らの論に当てはめやすく都合が良いのである。
しかし最近は若い学者を中心にこの論に対して疑問が投げかけられているように思われる。'priest-king'論に対する最も大きな疑問点は「果たして天皇は時代を通じて神道の祭司王であったか」という根本的なものに対する問いである。
というのも、今大河で話題の後白河天皇が退位後出家して法皇になったことからもわかるように、中世の天皇は神仏混淆に置いて仏教徒であったからである。神仏混淆であったことが事態をややこしくしている。
また、ある学者の指摘する所では、足利義満が太上天皇の位を伺ったころから光格天皇に至るまで、天皇は祭祀権を奪われていた、そうである。これを扱った論文が以前どこかにアップロードされていた。
こういった状況から、おそらく天皇が'priest-king'であったと言えるのは:
- 大和政権黎明期
- 神道から宗教から国家の宗祀へと再定義された明治憲法下
ぐらいではないか、というのが妥当な所だと思われるのだが……。もちろん大和政権成立の過程が明らかにされれば、いつでも前荊119 ??は覆されるだろう。
まぁ、ニッカンゲンダイというソース媒体における記事を論議するのも何ではあるが、これをたたき台にして諸氏の意見も伺い、ご教授していただきたい。