[外篇/雑感]

読書リスト… / 2005-09-06 (火)

最近読書量が復活してきたので、何とか読んだものをリスト化しておきたいのだが、何か良いもんがないかなぁ。

ああ、amazonの何かを使えばいいのか。でも絶版物に対応できない場合があるし…。うーん。

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[外篇/雑感]

ゴダイヴァの逸話に関するメモ / 2005-09-05 (月)

注: これは学術的考察ではない。

マーシア伯爵レオフリック (Leofric, earl of Mercia)とその夫人ゴダイヴァ(Godiva;ゴディヴァ)(現代風に言えばLady GodivaではなくてLady Merciaだけども、アングロ-サクソン時代なのでそこまで整っていないのでLady Godivaでもいいと思われる)に関する話は公爵の書かれている通りだけども、ここで裏話というかちょっとしたメモ。ただし内容は保証せず

いつ頃の話か

コヴェントリーに夫妻が来たのが1040年ごろ、裸で馬に乗ったのが1057年ごろ、とRoger of Wendover (d. 1236)がその歴史書Chronicaに記録している。

夫妻は敬虔なキリスト教徒だった。

シュロップシャーのシュルーズベリーで統治者として成功した後、ウォリックシャーのコヴェントリーにやってきたが、夫妻は敬虔なキリスト教徒であり、コヴェントリーの市内の(シュルーズベリーと比べて)精神的な貧しさを気にかけて修道院の設立に私財を投じた。

何故レオフリックは重税を課したか。

都市の拡大を受けて、コヴェントリーは財政的問題に直面していた。都市機能の設備面の問題もあった。レオフリックは行政面を担当する事になったので、公共事業を起こし、水道施設等の公共施設や社交施設を建設しようとした。しかし金が無かった。そこで税金を課した。

なぜ、ゴダイヴァ夫人は減税を求めたか。

ゴダイヴァ夫人はよく遠乗りに出かけたが、貧民の精神が貧しいのが気になった。そこで芸術を保護し、振興することで、貧民の心を豊かにする事を思い立った。自身の美しい肖像を描かせ、民衆に配った。しかし、一向に心が豊かになったとは思えない。

そこで考えに至った事が「貧民は起きている間中働いている。だから芸術に費やす時間が無いのだ。働いているのは衣食を何とか手に入れるためだ。これは要するに税金が重すぎるからだ。しかし、夫は公共事業のような無機的で何の精神的なものもないことに金を費やしている。これをやめさせて減税をすれば、貧民も芸術を解する心を持てるようになる」

何故夫は何故怒ったか

水道設備の工事をやめて、芸術振興のために減税しろといわれたから。当時絵画を買っているのは、非課税の教会を除けば夫人だけだった。そこで、絵画にも税金を課した。

何故、裸で馬に乗る事になったのか。

以来ずーっと口論が続いてきたので、ついに夫が切れた。

「お前がいつも傾倒している古典時代では裸体が自然の完全さを表現するものだったし、エロティックなものでもなかったではないか。そんなに「民衆に芸術を」というなら自分が裸になって、心貧しきコヴェントリーの民の前に出て、自ら芸術というものを教えてやればいいではないか。」

そこで、タンカを切ったついでに真昼間に市場広場を裸で馬に乗って横切ってくれば減税してやるといった。

それか㍊7de ??夫人は…

夫はある意味ぶちきれたついでに言ったようなものだが、夫人はそれに同意した。そして、それを行う許可を夫に求めた。夫は感心したので、やり遂げれば減税だけでなく自分が課した税金を廃止する事にした。

ゴダイヴァ夫人はどのように馬に乗ったか。

夫人は宝石類を外し服を脱ぎ、長い髪をたらして馬に乗った、両脇には服を着た侍女が付き従った。

本当に脱いだのか。

伝承ではそうなっている。しかし、「宝石を外し」「上着を脱いだ」姿であったという人もいる。当時の上流階級にとってそれだけで十分「裸同然」だったからである。

住民はその姿を見たのか。

見た。しかし、女性の裸というよりより高尚な美を目にしたというようなものだったらしい、と昔の歴史家が言っていたらしい。

住民が見たなら「覗きやトム (Peeping Tom)」の話が成り立たないのでは?

Peeping Tomの話は17世紀になって伝承に挿入された。

結局税金はどうなったのか。

伝承によれば、レオフリックが着任する以前からあった馬に対する税金を除く彼の課した税金は廃止された。イングランド王エドワード一世がこの伝承の真偽を調べさせたとき、台帳を検証したら1057年頃のコヴェントリーでは馬を除いて税金が課税されていなかったことが判明した。これは当時としては極めて異例のことで、伝承の素地となる事実はあったということになる。逆に言えば、レオフリックが重く課税したのもさして極悪な措置ではなかった事になる。

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[外篇/雑感]

世界を変えたリンゴ / 2005-09-01 (木)

世界を変えたリンゴが五つある。

一つ目はアダムとイヴが食べた楽園のリンゴ。これによって人類は罪を背負い、「悪」がこのコスモスに侵入した。

二つ目は、テティスとペレウスの結婚を祝う宴席に招かれなかった女神エリスが宴席に投げ込んだ黄金のリンゴ。「最も美しい女神に与える」としたことからヘラ・アフロディーテ・アテナの三人が美貌を競って争い、その調停役に選ばれたパリスが審判させられ、以下省略でトロイア戦争が起きた。

次のはヴィルヘルム・テルが射落としたリンゴ。これがきっかけとなってスイス独立機運が高まった、と信じられた。

そしてアイザック・ニュートンのリンゴ。その落下がニュートンをしてピンとせしめ万有引力の発見につながった、というエピソードがある。

最後はアップル・コンピュータ。Apple IおよびMacintoshの登場が無機質なコンピュータを変えた。

いや、べつに、五番目は「リンゴの唄」でもアップル・レコードでもリンゴ・スターでもグウィネス・パルトロウの娘のアップルちゃんでも「台風でも落ちなかった」リンゴでも何でもいいんですが、スティーヴ・ジョブスならプレゼンに使いそうな感じだなぁと、browneyesさんのマック関連の記事を読んだら、何となく思い出して思いついたので、暇つぶし。

リンゴの小話のうち最初の四つは宮下啓三『ウィリアム・テル伝説: ある英雄の真実』(NHKブックス, p.27)にテルの絡むクイズ問題として紹介されています。

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[外篇/雑感]

Rie fu 『ねがいごと』 / 2005-09-01 (木)

Rie fu 『ねがいごと [MAXI]』

8月30日に発売だというので買った。前作よりもいいんではないでしょうか。スローな分売り上げは落ちるかも知れんけども、声にあっている。

会社の帰りに難波のTower Recordsによったのだけども、J-Popのミュージシャン別の棚の方に入っているだけで、New Releaseの棚にもないし、ましてやプロモーションされている気配が無い。8日に難波でライヴやるのにそれでいいんか。

発売直前にオフィシャル・サイトのほうを覗いたとき、ファンの人が「タイアップなどのプロモをばんばん打たないのが、かえって自然でいい」とか言うような趣旨の事をおっしゃっていた。

まぁ、確かにそうなのだけど、あまりにプロモーションしさなすぎるのも問題がある。某英国人ギタリスト翁が言っている通り「ミュージシャンは音楽を売って飯を食っている」のは真理であるから、売れなければ飯も食えない。そのまえに、CDを出してもらえない。日本の大手レコード会社がDGMほどにミュージシャン本位とはおもえんし…。

とまぁ心配してしまうのは、ワーナー・ジャパンに見捨てられた後のa-haのことを思い出すからだけども、Rie fu自体はまだ若いから(デビューして浅いから)大丈夫そうだけど。

という訳で、せめてライヴを行うところのレコード店にはしっかり働きかけてくれい。

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[外篇/雑感]

諫早湾干拓事業問題の裁定について / 2005-08-31 (水)

国営諫早湾干拓事業(長崎県)と有明海の漁業被害との因果関係を審理していた国の公害等調整委員会は30日、ノリ不作など漁業被害の発生は認めたが、科学的なデータ不足などを理由に干拓事業との因果関係は認定できないとし、漁業者らが求めた原因解明の申請を棄却する裁定を下した。

上記のような「データが不足」のほか「書類不備」等といった理由は、断りにくい案件を断るときの常套手段で、それは時には有効である。しかし、今回に限っては、はっきりいってはかげた話に思える。

次のように事態を単純化して考えて見よう。

  • 因果関係は無い → 干拓を続ける
  • 因果関係がある → 干拓を中止(停止)する

一般的にいって、因果関係の証明責任があるのは後者を主張する方である。「因果関係が無い」ことを証明するのは「ある」ことを証明するよりも難しいからである。今回の最低もこの原則に従っているのであろう。

しかし、今回のようなケースの場合、前者の証明責任がよりクロースアップされるべきである。

なぜなら、干拓事業は不可逆であるからである。いったん干拓をすれば、もはや元には戻らないのだ。JPEGファイルを何回も保存していくと画質が著しく劣化していくように、干拓事業を続行していけば、元の環境から著しくかけ離れていく。

このことを考えれば、

(1)ノリ不作の要因となる赤潮の発生や増加、増殖のメカニズムには未解明の部分がある(2)タイラギなどの被害の原因解明が不十分だ

と言う理由は非常に不十分なものであるといえるだろう。因果関係が科学的に否定されたわけではなく、科学的には良く分からんから却下、なのである。

先に述べたように、確かに「因果関係が無い」ことを証明するのは難しい。しかし、データを集める事はできる。データを集めろ、と言うのは今回の最低でも同様の意見である。ならば、選択するべきは不可逆な前者ではなく、後者であるべきでないだろうか。

もっとも、後者の選択肢にはそれなりに問題もあるのだろう。当初の目的の治水工事自体はもはや大した意味はなさそうだけも、経済活動などの観点もあろう。

だからこそ、曖昧な理由で結論を下すなら、もう少し何とかしてほしかった気分である。

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[外篇/雑感]

五月五日と親殺し / 2005-05-06 (金)

私がウェイルズにいた頃、スーパーで買い物をしていると、おそらく大学院生っぽいおばさんが私に声をかけてきた。

Happy Boys' day!

なんのことかと思ったが、その日はよく考えると五月五日だった。おそらくそのご婦人は、日本人にとって五月五日は男子の成長を祝う日だと聞き、その様に祝意を表してくださったに違いない。

しかし、日本の慣習には「男子の節供おめでとう」というようなものは、私の経験上では(統計的な分母としては少なすぎるものの)無いために、少しとまどってしまって、'Thank you'というようなことを言うに留まってしまった。今から思えば残念だ。

さて、今では「子供の日」という、なんとも情けない名前の祝日となっているが、そもそも五月五日は、五節供のうちの一つ、端午の節供である。もっともこれは本来陰暦なのだが。この「端午」というのは「五日」を意味する。三月三日の上巳の節供(桃の節供)が古くから女子の節供であったのと同様に、端午の節句は伝統的に男子の節供である。甲冑や鯉のぼりの風習は江戸時代に確立したらしい。

ところで、五月五日に関して私の印象に残っているのは、実は『史記』の「孟嘗君«もうしょうくん»列伝」にある話である。孟嘗君は本名を田文といい、紀元前三世紀ごろ中国戦国時代の強国である斉の公子(王家の傍流)で宰相を務めた。後に独立。彼は、いわゆる戦国四公子の一人として、三千人を数える食客を抱えたことが有名な人。

こう書くと、いかにも親の七光りで声望を集めたように思えるけれども、彼はスタート地点では遙かにビハインドがあった。というのも彼の父は子供が四十人おり、自身の母親は身分が賤しい妾だった。しかし、一番問題だったのは彼が五月五日生まれだったからである。

同書によると、当時「五月五日生まれの子は、身の丈が戸口の高さに達すると親を殺す」と言われており、それをもって父親の田嬰は妾に生まれたばかりの田文を捨てるように命じた。妾はこっそりと田文をそだて、長じたのち、父親にあわせた。田嬰は当然激怒した。そのとき、田文は言った:

人生は命を天に受くるか、はた命を戸に受くるか。

人の命が天より授かるものなら人の心配することではないし、戸から授かるものなら戸口を高くすればいいことで、どちらにせよ、心配することではない。田文はそう続けて父親を説得し、その生きる資格を認知させたのである。

その後、その才知を持って、父親をして一目置かせるようになり、その後その四十人の子供の中から後継者に指名された。

というわけで、後の孟嘗君の声望は確かに父親の領地を継いだことも大きいのだけども、そもそも生きるというスタート地点において、田文は自らの手でそれをつかみ取った、と言えるように思う。

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[外篇/雑感]

湯浅宮内庁長官が勇退 - 羽毛田次長が昇格 / 2005-04-01 (金)

各メディアによりますと、四月一日付で宮内庁長官湯浅利夫氏が70歳を待たずに退任し、羽毛田信吾次長が長官に就任することになりました。次長の後任には、前国土交通事務次官で同省顧問の風岡典之が就任。同日午後に認証官任命式が行われた模様です。

70歳前の退任であることから、いろいろと憶測も飛び交いそうですが、皇太子殿下の所謂「人格否定」発言の後、得てして揺らぎがちな天皇陛下、東宮および各宮家といった皇室内の関係を引き締めようと良くなさっていたと思います。時期が時期だけに批判の相手ではないか、とされることもありましたが。後任の羽毛田氏も、発言後における東宮御所と宮内庁との緊密化に奔走しておられたように思いますので、皇室環境がよりよくなっていくように頑張っていただきたいと思います。

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[外篇/雑感]

'priest-king'論に思う / 2005-01-31 (月)

最近行われた皇位継承の世論調査における女帝是認論に関して、俵孝太郎氏がゲンダイネットに「戦後教育の悪影響が生んだ『女帝是認論』」と題する論評を載せている。これに対して少し思う所があったので書きたいと思う。しかしながら私は歴史学者でも社会学者でもなく、現在の学会の潮流を知っているわけでもないので、以下は戯れ言同然に読んでいただきたい。

俵孝太郎氏は天皇という位について:

日本人が稲作農耕の長い歴史の中で体得した自然信仰・祖霊信仰と共同体意識が結びついた多神教である神道の祭主、プリースト・キング(祭司王)として、世俗の権力から離れて高い権威を持ち、シンケンポーなんかができるはるかに遠い昔から、「国民統合の象徴」であり続けてきたのだ。

此処でいわれている天皇を祭司王«priest-king»と見る論は確かに力があった。力があったのは確かだが、最近はそれほどではないのではないか?と私は思うのである。

そもそも私の記憶が正しければ'priest-king'論を支持したのは欧米の学者と日本の左派の学者である。欧米の学者にとって、歴史上に置いて天皇がde factoな統治者に実権を脅かされながらその地位を保てたのが大いに不思議だったのである。しかし、それをローマ教皇と神聖ローマ皇帝の、所謂聖俗の対比として考えると彼らにとって理解が楽なのである。

日本の左派学者(日本の歴史学界は左派が主流だったように思うが)にとっては、天皇を歴史において「君主」という立場から「祭司王」という立場に引きずり落とすことによって、天皇の歴史的権威を減ずることが出来るので、彼らの論に当てはめやすく都合が良いのである。

しかし最近は若い学者を中心にこの論に対して疑問が投げかけられているように思われる。'priest-king'論に対する最も大きな疑問点は「果たして天皇は時代を通じて神道の祭司王であったか」という根本的なものに対する問いである。

というのも、今大河で話題の後白河天皇が退位後出家して法皇になったことからもわかるように、中世の天皇は神仏混淆に置いて仏教徒であったからである。神仏混淆であったことが事態をややこしくしている。

また、ある学者の指摘する所では、足利義満が太上天皇の位を伺ったころから光格天皇に至るまで、天皇は祭祀権を奪われていた、そうである。これを扱った論文が以前どこかにアップロードされていた。

こういった状況から、おそらく天皇が'priest-king'であったと言えるのは:

  • 大和政権黎明期
  • 神道から宗教から国家の宗祀へと再定義された明治憲法下

ぐらいではないか、というのが妥当な所だと思われるのだが……。もちろん大和政権成立の過程が明らかにされれば、いつでも前荊119 ??は覆されるだろう。

まぁ、ニッカンゲンダイというソース媒体における記事を論議するのも何ではあるが、これをたたき台にして諸氏の意見も伺い、ご教授していただきたい。

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