まさに皇祖皇宗のご加護としか思えません。
新宮殿下がお健やかにお育ちなさいますように。
まさに皇祖皇宗のご加護としか思えません。
新宮殿下がお健やかにお育ちなさいますように。
作曲家の宮川泰先生がお亡くなりになりました。
うちの両親は基本的にNHKしか見ない人で、よくNHKの番組が居間のTVで流れているのですが、そのおかげでちょくちょく先生が出ておられるのを見ていました。
昨年末の紅白でもいつもの通りにタクトを振っておられたのになぁ。
やはり、『ヤマト』がもっとも有名でしょうが、私は『提督の決断』のサウンドトラックが好きでしたし、未だに持っています。久し振りに聞いて追悼したいものです。
すぎやまこういち氏と共に若年層へのクラシック浸透に貢献したお一人でしょうね。改めてお悔やみ申し上げます。合掌。
私は幼稚園時代東方の三博士のを演じた事がありますが、以下のことが 『徒然日常記』に書かれていました。
そうそう、今日英語の教室でクリスマスについてのことをしたのですが、「東方から来た三人の博士」 って日本では言うじゃないですか??(中高がキリスト教の学校だったので、とっても懐かしかったのですが・・・・) 英語では「博士」じゃなくて「Three Kings」とのこと。「えー。日本語では”Dr”って訳されてるよ~」って言うと、先生は笑ってました!ちなみに韓国でも”Dr”と訳されてるそうです。
なんか、King だとピンとこないな~と思いました。
実は日本語訳の「博士」や「賢者」のほうがどちらかと言えば正しいのです。これを英語で"Three Kings"というのはむしろ概念の発展形なのです。
そもそもこの「博士」/「賢者」に当たるもともとの言葉はギリシア語のmagosからきています(マタイによる福音書はギリシア語)。これがラテン語形がmagus(単数)、magi(複数)でして、英語ではそのままmagiを用いるか訳されてThree Wise Men(もしくはPhilosophers)となっています。英語の発音では【マージャイ】
何故でしょか。
そもそもmagos/magusというのはギリシアのあたりからペルシア系の天文学者兼祭司をさしていた言葉です。 おそらくゾロアスター教の系統だろうといわれています。当時のペルシャの天文学者といえば超一流の知識人なわけです。それゆえに賢者や博士という日本語の訳語が当てられているのです。
では、Kingというのはどこから来たのでしょう。キリスト教(主に西方)はこのペルシャの天文学者兼祭司がイエスを拝みにきたという記述を重視しました。つまり当時のオリエント世界の超一流国の「宗教者」が拝みにきたということです。それ故にイエスに最初に触れた宗教関係者である三人のマギが重要視されたのです。
中世になるとそういった理由から、主に宗教画とキリスト伝でどんどん彼らの存在が誇張されていきました。そこで天文学者兼祭司が「王」となったのです。紀元前後のペルシャでは祭司階級が支配階級だったから王と呼ぶのがふさわしいという意見が中世のころからありました。しかし、まぁ、実際には「王の中の王」であるイエスを訪問するのだからペルシャ地域の「王」であるのがふさわしい、という理屈でしょう。
聖ヒエロニムスの手によるとされるラテン語訳聖書であるウルガータ聖書では:
cum ergo natus esset Iesus in Bethleem Iudaeae in diebus Herodis regis ecce magi ab oriente venerunt Hierosolymam
となっていますし、King James Versionではこれが:
Now when Jesus was born in Bethlehem of Judaea in the days of Herod the king, behold, there came wise men from the east to Jerusalem....
と訳されています。この訳は基本的にAmerican Standard Bibleでも変わりません。magi系統の訳の例としてJohn Nelson Darbyの翻訳があります。
Now Jesus having been born in Bethlehem of Judaea, in the days of Herod the king, behold magi from the east arrived at Jerusalem....
このようにどちらかと言えば「三人の博士」のほうがもともとの意味に忠実なのです。Three Kingsが普通に用いられているのは、絵画や文学でなじみが深いということなのです。
こういった表現方法は多々あります。聖母マリアをQueen of Heaven(天后もしくは天の女王)と称するのも後の世の熱烈な聖母崇敬と綿密な天の考察による結果であります。
クリスマスが近づいています。2003年のクリスマスの時期はちょうど英国留学を終えて日本に帰ろうとしていたときでした。本当はクリスマス前に帰る予定でしたが、荷物が多すぎてKLMに乗れなくなってしまい、27日までロンドンに逗留しなければならない状況でした。
というわけで、っこぞとばかりロンドンを歩き回って(クリスマスは地下鉄は止まっていおるし、バスもほとんど走っていないので)、イヴの晩からウェストミンスター・カトリック大聖堂(Abeeyではない)でクリスマス関係の御ミサに与っていました。
その時の式次第のようなブックレットが未だにあるので、資料として訳そうとしています。本当はクリスマス前までに終わらせるべきでしたが、終わりそうにないので近日公開ということで勘弁してください。
いつもお世話になっている瑞穂日記様で皇室典範改正に伴う女系天皇に反対の集会(皇室典範改悪阻止!!「草莽崛起」国民大会)に関する告知が載っていました。
このブログでは政治的な発言を控えていますが、私は基本的に女系天皇反対論者(条件付で女性天皇には賛成)なので、僭越ながら結果を見守らせていただきたいと思っています。(私はただのアマチュア研究家ですし、距離の問題もあるので、拝聴は控えます。というか、そもそも耳学問ならともかく、こういう情勢には疎いので、主催者の方々の事はよく知りませんし、登壇者の方々もよく存じません。なので、無責任ながらもどういった集会かは私は存じません。)
ま、それはそうとしてですね、以下は個人的な意見なのですが、「皇室典範改悪阻止」というように「改悪」を使うのはやめたほうがいいのではないのでしょうか。「改悪」は「改正」の反意語ではなく「改善」の反語ではないかという事を私は思っているのですが、それ以上にあまりにも主観的すぎるような語だと思います。イデオロギー色が強いといいましょうか。いかにも「左翼」的な使い方と申しましょうか。「所謂」左翼の対極としての「所謂」右翼の方々による、政治集会的な集会が「改悪」を用いられるならばそれはそれで構いません。ただ、真面目に皇室問題を訴えるような集会が下手に「改悪反対」などといってしまうと、感情的な印象を受けるのですけども。もう一度いうと、私は主催者の方々をあまり知りませんのでなんともいえませんが。
事が皇室に関わる事だけにもう少し冷静な語の使い方をしていただきたいと要望します。
別に「皇室典範女系容認への改正反対」(女系論争に的を絞るなら)で十分ではないでしょうか。私個人は「女系反対」論は姓氏制度や伝統に基づいて繰り広げられるべきものと思っています。そういった場合、あまりにも主観が入っていそうな「改悪」という語はふさわしくないのではないでしょうか。
まぁ、これはあくまで、私の考えでして、「改悪」という語にたいして他の考えを持っていらっしゃる方が居られると思います。それを承知の上であえて意見を述べさせていただきました。
dzlfox 敬白
146票差までもつれた三つ巴戦の選挙区のところは見ごたえがありました。
うちの選挙区もそうでしたが、うーん、やはり、京都府は左派政党が強いですね。
午前中のことだが、Rie fuが fm osakaに出ていた。
ちゃんとプロモしてはるやん。
しかし、大阪のfmやねんから、もっと声ハレ、と思ってしまった私は何でもハリ芸につなげる悪い癖が...。