以前サウスアイランド公爵殿下の記事での疑問に答える形で『小公子』についての記事を書きました。
私は当時得ていた知識の中でそれを考察したのですが、一箇所大きく間違っていたと後の判明箇所がありましたので、個々で訂正の上お詫びさせていただきます。
さて、その記事中で取り上げた疑問点は大きく分けて以下のものです。
セディの称号であるLord Fauntleroyとは何か?
セディの父親はThe Earl of Drincourtの三男であるのに、なぜThe HonをつけずにCapt. Cedric ErrolもしくはMr Cedric Errolと呼ばれるのか?
セディの母親はセディの襲爵後になんと称されるのか
これに対し私は以下のように考察し回答しました。
Lord FauntleroyとはThe Earl of Drincourtの副次的称号であり、法定推定相続人である継嗣が帯びる儀礼称号である。セディはThe Earl of Drincourtの三男の子であり、父親が襲爵していないので、The Earl of Drincourtの継嗣の称号であるLord Fauntleroyを儀礼称号とは用いない。伯爵の三男の子はあくまで'Mr'にすぎない。したがって、著者のミスである
伯爵の余子が帯びる儀礼称号であるThe Honは宛書ぐらいにしか用いない。軍にいる人ならば軍の階級でよばれるだろうし、Mrでも呼ばれうるだろう。もとの記事では暗にしか書いてないですが、しかも移住先がアメリカだし。勘当云々は儀礼称号には関係が無い。
セディの母親は夫が襲爵していないので、あくまで伯爵の三男の妻としての儀礼称号しかない。ただし、社交界で何がしかの称号(たとえばMadam Errolとか)で呼ばれる可能性はある。きっちりと決まっているように見えて結構実社会は柔軟なので。
さて、2番目と3番目は合っているのですが、1番目につきましては著者のFrances Hodgson Burnett女史が正しいということがわかりました。
'伯爵の三男の子'であるセディがMrで称されるに過ぎないというのは正解です。
しかし、彼は二人の伯父がなくなった後(既に父親は先に他界)、'伯爵の三男の子である伯爵位の継嗣'となりました。
前回執筆時点での知識では、この場合でも伯爵との続柄(孫)が変化しないと考え、上記のような結論となりました。しかしながら、よく考えてみると伯爵の子が全員逝去した事によってセディの立場は伯爵の直系継嗣である孫に変化した事になります。
この場合、この孫は継嗣が帯びるべき儀礼称号を帯びるようです(Debrett's Correct Form)。
われらがDebrett'sに、孫が継嗣となった場合に継嗣が帯びるべき儀礼称号を帯びる例が載っています。
1955年にViscount SwintonがEarl of Swintonに授爵された。彼の子たる男子the Hon John Cunliffe-Listerは怪我の為に男子を残して1943年に逝去していた。伯爵の授爵の際にそのうちの長男(現スウィントン伯爵)が祖父の継嗣となり、儀礼的にLord Mashamとして知られるようになった。
やや事情が異なっていますが、セディの場合にも当てはまると思います。やはり直系の孫たる継嗣はheir apparentですから、ちゃんと区別しておくべきなのでしょう。この孫に子がいた場合もおそらくその儀礼爵位に即した儀礼称号を帯びると思われます。
ただし、Debrett'sによるとこのケースが当てはまるのは公爵、侯爵、伯爵のみであり、子爵及び男爵の孫がその継嗣となった場合にはThe Honourableとはならないとのことです。
もちろんそもそもこの話はheir apparentに限った話です。
したがって、セディは二人の伯父が生存中は'Mr Errol'であり、伯父が両方とも逝去した瞬間に'Lord Fauntleroy'と称されることになる、というのが今回の私の結論です。もちろん、社会的にはその伯父の葬式後にそのように呼ばれるでしょうけども。
また伯爵の長男と結婚したと称する女性がその間の子供という男子とともに現れたとき、彼もLord Fauntleroyと称していましたが、これも上記に当てはまると思います。
これをもって、先の記事の内容を上書きしたいと思います。ご迷惑をかけ大変申し訳ございませんでした。また、Frances Hodgson Burnett女史並びに御子孫の方、改めてお詫び申し上げます。