王室制度・称号の専門家や系図学者の集まるような場所で、「エドワード八世は退位したが云々(Edward VIII abdicated....)」というと、「退位してないけど?」と言われることがあるかもしれません。これは、まぁ、昔の(今も?)NetNewsで「レスお願いします」と書いたら「レスって何ですか?」というフォローアップをもらうのと同じような話なのですが、さて、何故エドワード八世は退位していないのでしょうか?
はっきり言ってこれは非常にややこしい問題です。以降簡単に私が理解している事を書きますが、間違っている可能性もありますので、鵜呑みにしないようにしてください。
この記事についてまず御注意: エドワード八世の退位の件自体はa.t.r.FAQの'Can the Sovereign abdicate?'に簡潔にまとめられています。英語の読める方はそちらを見られたほうがいいと思いますが、ここでは日本人的な疑問点から「退位」という用語も含めて書いていきます。このエントリは上記のFAQおよび昔読んだa.t.r.の過去ログなどにも基づいて、自分なりに解釈して書いています。
英国の慣習法では、王位継承は権利ではなく義務である、という考えがあることは以前に書いたかと思います。それゆえに、英国では王位継承権は放棄できません。これは君主に関しても同様でして、英国の君主は好き勝手に退位できないとされています。現代におけるルールを厳密に書くと:
君主と議会、それぞれが片方だけの意思では退位できない、ということになります。
この「片方の意志だけではできない」という言葉尻からして双方が合意すれば退位できるような気がしますが、実はこれはエドワード八世の退位問題で無理やりこじ開けた穴が例外事項となったものです。
では、退位できるんでしょ?という話になりそうですが、ここに英国の慣習法上の用語の使い方が非常に問題となってきてややこしくなります。
英国の慣習法の用法で:
「君主が退位する(Severeign abdicates)」
という表現をした場合、それは君主が:
「余はここに退位する。」
と宣言して実際に退位する事なのですが、これは英国王の場合実行することは出来ません。
英国の王位は
ここがポイントなのですが、この継承法には:
the Crown and regal government ... shall be, remain, and continue to ... Princess Sophia, and the heirs of her body, being Protestants:
王位および王政は、プロテスタントであるゾフィア選帝侯妃およびその継嗣に帰し、とどまり、引き継がれる。
とあるのですが、ここで注意すべきなのは、この継承法における言葉遣いは次のことを意味しているということです:
この法の中で議会は、王位は選帝侯妃ゾフィアの継嗣が望めばその継嗣に渡るとは言っていない。議会は王位が選帝侯妃ゾフィアの継嗣に渡るように命じてるのであり、またその他の誰にも渡る事はない言っているのである。
したがって、王位の継承権は放棄できる性格のものではなく、また一旦王位に着いたとしても退位(つまり王位の放棄と考えてもいいかもしれませんが)は出来ないのです。 で、もう一つ重要なのは、王位が選帝侯妃ゾフィアの継嗣に渡るように明確に指示されている点です。また、これは要するに、議会側からも一方的に廃することができないわけです。
しかしながら、1936年の状況はいかんともしがたい状況になっていました。即位したエドワード八世はシンプスン夫人と結婚したい。彼女はすでに離婚手続きに入っている。とはいえ、当時の社会状況を考えるに君主が二度目の離婚をしようとしているシンプスン夫人との結婚など、とてもではないがウェストミンスターは認められないし、海外の植民地の支持も得られない。
11月にエドワード八世はボールドウィン首相に離婚成立後の正式に結婚の意志を伝えました。そのときに、首相は、結婚をあきらめる、内閣の反対を押し切って結婚、退位、という3つの選択肢を伝え、エドワード八世は「退位」を選びました。内閣の反対を押し切るという事は、憲法的な疑問もあり、立憲君主的ではないからでしょう。
とはいえ、退位という方法も、今まで見てきたように慣習法的に(つまり憲法的に)問題があるので、その隙間を縫うようにして準備が整えられました。
Instrument of Abdicationのファクシミリ版。Heraldicaウェブサイトより。
エドワード八世の署名(右; Edward RI)のほか、立会人のアルバート、ヘンリー、ジョージ王子の署名が見える。
ここで問題になったのは以下の点です。
- 国王が退位する、といっても退位できないし、議会が退位を宣言しても退位させられない。
- 上が成立してもエドワードが「選帝侯妃ゾフィアの継嗣」であることに変わりない。
これを解決するためには以下の方法が考えられました。
- 国王が退位の意思・希望を表明。議会が王権停止の法案を提出。国王裁可。
まず、エドワード八世が「
余、エドワード八世…は、余と余の子孫の王位を放棄するという翻意できぬ決定を下せし事、並びにこの「退位に関する文書」に速やかに効力を与えよという余の要求を、ここに宣言する。
これに沿う形で議会は陛下の
この法への国王裁可により、・・・ 今上陛下によって署名なされた退位宣言に関する文書は効力を発し、それにより陛下は国王ではなくなり、王位を譲位したものとなり、それゆえに王室の一員となり、その結果次期王位継承者が継承し、それに伴う全ての権利、大権および身分を有する。
陛下、もしあるとすれば陛下の子女およびその子女の子孫は、陛下の退位の後は王位並びにその継承に何等の権利、称号および利権を有さず、王位継承法第一項の内容はそれに従って解釈される。
まず、1項目によって、議会は国王の要望にしたがって国王の王権を停止しています。ここで重要なのは、王権が停止するのがあくまで、「
2項目には「
何故こんなややこしい事をしているのかというと、先に述べたとおり英国法における「退位」という用語がそもそも「君主が退位する」という行為を示しており、この行為自体は認められないものだからです。そこで、君主が「退位の意向」を示し、議会がそれに効力を与え、君主がその法を裁可することによって、「退位している状態」になっているのです。
ただし、それだけでは先にふれた「ゾフィアの継嗣」という継承法の条件にエドワード八世とその子孫は残ってしまいますから、2項目で排除しているのです。
というわけで、この法によって先に述べた2つの懸案を解決する抜け道が用意されました。エドワード八世が君主としての最後の仕事、すなわちこの法案を
以上のような状況から、エドワード八世は退位したものの、退位しておらず、しかし退位している状態になっているといえるのです。
………一応、続く………。
この記事なんですが、書き始めてから書き終わるまでに非常に日数がかかっているので、いろいろちぐはぐな面もあるかと思います。いずれ、暇ができれば見直したいのですが、暫定的に公開します。