[称号・名/称号]

スコットランドのMaster 補足2 - heir presumptive / 2006-05-22 (月)

先の本記事でこの称号を帯びるのはheir apparentでもheir presumptiveでも構わないということです。と書きました。その後、女子が帯びるMistressの話に進んでいったわけです。

その時はあえて飛ばしたのですが、heir presumptiveでも構わない、という事は弟でも伯父でも従兄弟でも帯びうる、という事に注意しましょう。

イングランド他では嗣子のいない場合、継承規定によって、直近の弟なりその子なりが継嗣(相続人)となったとしても儀礼称号は帯びません資格は無くても一般的にそう呼ばれるという特殊なケースはありえますが

しかし、Masterの称号はheir presumptiveでも帯びることが出来ますので、子が無い兄が爵位を継承した後、兄に嗣子が出来るまで、Mistress/Masterとなります。

Duke/Marquess/Earlのheir presumptiveもMasterを帯びていた実例があるか、という問題ですが、昔Earl of Douglasの弟が称していたケースがあるというポストがa.t.r.のログにありました。おそらくこれは1455年に剥奪された爵位の事だと思います。六代および八代伯爵の後をそれぞれ弟が相続していますので、このあたりだと思います。また、両ケースとも下位の爵位をもらった後ですので、本来儀礼称号がLordとなるところが弟なのでMasterになった、というケースに合致するように思います。

兄に継承資格のある子が産まれた場合、上述の弟はMasterではなくなり、本来の儀礼的な称へと戻ります。兄が、または兄相続した人物が継嗣がいない状態となりheir presumptiveとなると、またもやMasterを称する事になります。

上記のようにheir presumptiveでも称する事ができるという事は直系子孫でなくとも称することができる、という事なのですが、近親者ではない場合(どれぐらいの親等なのかは不明)、Masterを名乗るにはスコットランドで紋章・称号・姓名を司るLord Lyon King of Arms(スコットランド紋章院総裁)の認可が必要となります。

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[称号・名/称号]

Sir Paul McCartney夫妻破局に関してヘザーの称号メモ / 2006-05-19 (金)

スコットランド・シリーズをもう少しだけ続けようと思っていましたら、このニュースが入ってきたので、割り込んでこちらを書きます。

Sir Paul McCartney夫妻が破局を発表しました。

その道義的内容云々は別としまして、ヘザーのほうの称号・姓が離婚によってどのようになっていくのかをおさらいしたい思います。ちなみに、メディアでは「離婚」と書いてますが、サー・ポール夫妻の共同声明では「離婚」の語が使われていないので、「離婚」と報道するのはおかしいとの話もあります。まぁ、最終的には離婚するんでしょうが、とりあえず別居するだけかもしれません。以下の話は離婚が成立した後の話で、別居などの状態では以下の話は適用されません。

ヘザー・ミルズ女史がポール・マッカートニーと結婚した時には、すでに彼はSir Paul McCartneyでした。 したがって、彼女は結婚した時点で騎士の夫人としての身分となり、以下の呼称で称されることとなります。

  • Lady McCartney

離婚すると:

  • Heather, Lady McCartney

となります。この場合の'Lady McCartney'は厳密にいうと称号ではなく、姓のようなものです。一般人でも離婚した後も夫の姓を名乗れますが、それと理屈は同じです。ダイアナ元妃のときもそうでしたが、これは一般的な称号の規則です。もっとも、旧姓に戻すという手もあります。このあたりは好きなほうを発表すれば、そのようにしてもらえます。

この離婚後の称は彼女が再婚するまで使えます。仮にサー・ポールが再婚しても彼女の名称には影響がありません。

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[称号・名/称号]

スコットランドのMaster補足 / 2006-05-17 (水)

前回の記事ではpeer/儀礼peerを問わず「ViscountおよびLord of Parliamentの継嗣であるMaster」について扱いました。

今回はDuke, Marquess, Earl/Countess in her own rightの継嗣が帯びるMasterについて書き、補足とします。

Duke/Marquess/Earl/Countess in her own rightとViscount/Lordとの継嗣の違いとは何でしょう?

前者は大抵爵位の形をした儀礼称号を帯びますが、後者の帯びる称号は儀礼称号とはいえThe Honourableという接頭形です。

Duke/Marquess/Earl/Countessの継嗣でも儀礼称号がない場合はMasterである、と前回書きました。では儀礼称号は持っていればどうなるか? 当然、彼は儀礼称号で称されるわけですが、スコットランド貴族の場合、少し異なる点があります。

それは、スコットランド貴族の継嗣はどの位であれデフォルトでMasterなので、儀礼称号を称していても、実はMasterである、ということです。

つまり、Duke等の継嗣の場合、社会的には儀礼称号で呼ばれているけども、法的にはMasterである、ということです。英国で儀礼称号とはあくまで社会的に儀礼として称されているだけで、法的な称号ではないことには注意が必要です。

一方で、Viscount/Lordの継嗣の場合、そもそもがMasterで称されていますから、社会的にも法的にも彼はMasterです。

これがどこに現れてくるかというと、法定文書«legal documents»等です。パスポートも多少形式は違いますがおおむねこの通りです。

  • (UK)Marquess of Angleseyの継嗣: Charles Alexander Vaughan Paget, commonly called Earl of Uxbridge
  • (S)Marquess of Lothianの継嗣: Michael, Master of Lothian, commonly called Earl of Lothian
  • (UK)Baron Fairhavenの継嗣: James Henry Ailwyn Broughton, commonly called Hon. James Henry Ailwyn Broughton
  • (S)Lord Elibankの継嗣: Robert Francis, Master of Elibank

英国法では、称号というものは名字のかわりになるものなので、自分で称号を有している人は名字のかわりに称号を表記します。儀礼称号の場合、あくまで社会的に称しているだけなので、名字を表記しなければなりません。しかし、Masterは儀礼称号ではなく、本人が有している称号なので、名字は表記しません。

See Debrett's Corret Form, 12-3,62-5.

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[称号・名/称号]

スコットランドのMaster / 2006-05-12 (金)

以前スコットランド貴族の説明をしたとき、スコットランド法では第5位の貴族はBaronではなくLord of Parliamentである、ということでした。これはスコットランドの制度がイングランドの制度と異なる一例ですが、このMasterという称号もスコットランド特有の称号です。

ここで注意ですが、イングランドでもMaster Randolphと言うような使い方をしますが、これは「ランドルフ坊ちゃま」とか「ランドルフ様」とかいう言い方で、たいてい使用人が(たしか)13/4歳までのお坊ちゃんに対して用いる呼び方です。ここでのものとは違います。

スコットランド法のMasterという称号はViscountもしくはLord of Parliamentの継嗣が帯びる称号です。イングランド~連合王国貴族の場合、ViscountおよびBaronの継嗣の儀礼称号は:

  • The Honourable Forename + Surname

となりますが、スコットランド貴族の場合:

  • The Maste of X

となります。ここで'X'はその人が継ぐ予定の称号となります。したがって:

  • 13th Viscount of Oxfurdの継嗣はThe Master of Oxfurd
  • 22nd Lord Grayの継嗣はThe Master of Gray
  • 14th Lord Napier of Merchistounの場合はThe Master of Napier

の様になります。

ここで注意すべき点が何点かあります。

まずは、通常と同じくMasterは儀礼称号のViscount/Lordの継嗣の称号ともなること。したがって、'Earl of A'の継嗣で'Lord B'の儀礼称号を持つ人物の継嗣もMasterとなり、そのとき'Master of B'となります。

もし仮にDuke/Marquess/Earlがそれより下位の副次的称号を有していない場合、もちろんMasterがその継嗣の称号となります。(現在記憶が正しければEarlで2例あります。)

次に注目すべきなのは、この称号を帯びるのはheir apparentでもheir presumptiveでも構わないということです。したがって、女子が継嗣でもMistressという女性形で帯びることになります。

女子が継嗣だとその後に男子、つまりheir apparentが生まれる可能性があるわけですが、その場合はその時点でMistressの称号を失います。

手元にある2002年7月6日現在での資料においてMistressの称号を有していたのは以下の3例です:

  • 30th Countess of Marの継嗣であるMistress of Mar
  • 12th Earl of Newburghの継嗣であるMistress of Newburgh
  • 21st Lady of Saltoun of Abernethyの継嗣であるMistress of Saltoun

ただし、'Mistress'という語があまり良くないイメージがあるので(愛人という意味など)現代では使わない傾向があります。たとえば、Mistress of SaltounはかわりにThe Hon. Katharine Fraserと称しています。

また、これはややこしいのですが、このMasterという称号は儀礼称号ではない、ということです。しばしば儀礼称号として言及されますが不正確なようです。 つまり、Masterは継嗣という自らの身分によって有する称号で、実際に称号を持っている人物との関係によって社会的に称されている称号ではない、ということです。

ただし、儀礼貴族の継嗣としてのMasterは儀礼称号的な扱いのようです。

最後に、スコットランド特有の氏族制に関係する事情があります。

上記のLord Napier of Merchistounのように追加の領地名のある場合に注目しましょう。イングランドなどの場合、これは同じ名字を持つ人を区別する為の一種の方便のようなものですが、スコットランドでは事情が違います。

スコットランドには Lord Lyon King of Armsによって承認された氏族長«Chief»がいます。氏族長は(どのように承認されているかにもよるが)その姓および紋章の長です。したがって、その姓を限定的に名乗ることができるのは氏族長だけです。

たとえば、Debrett'sでも例をとっている(p. 65) Lord Balfour of Burleighという称号を考えてみましょう。Balfourgが姓、Burleighが地名です。

このときその継嗣はMaster of Balfourとはなりません。上記のLord Napier of Merchistounの場合はMaster of Napierであるのに、何故でしょうか。

実は、Lord Napier of Merchistounは氏族長(正確にはChief of the Name and Arms of Napier)であるのに対し、Lord Balfour of Burleighは氏族長ではなくBalfour一族の分家にすぎないからです。

この場合、もし、Lord Balfour of Burleighの継嗣がMaster of Balfourと名乗ると、これは限定的にBalfourを使ってしまうことになります。あくまで姓を限定的に用いるのは氏族長(およびその継嗣)にあるのです。したがって、この場合、地名であるBurleighを用いて、Master of Burleighと呼ばれます。

これは姓に追加領地名を伴うLordでも同じで、すなわち、Lord Balfour of Burleighを略す場合はLord Balfourではなく、Lord Burleighであることに注意せねばなりません。

これがスコットランド法における規則となっています。

ただし、この規則は連合王国の貴族制度でもしつこく生き残っており、スコットランドで氏族長が登録されている姓を持つ貴族が封じられるとき、彼が氏族長でないのなら必ず追加領地名がつきます。彼がその姓を限定的に用いることができないからです。

呼称に関してはいずれ貴族の呼称について扱う際にともに扱いたいと思います。

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[称号・名/称号]

エドワード八世は退位したのか、退位していないのか、要は何なのか / 2006-02-25 (土)

王室制度・称号の専門家や系図学者の集まるような場所で、「エドワード八世は退位したが云々(Edward VIII abdicated....)」というと、「退位してないけど?」と言われることがあるかもしれません。これは、まぁ、昔の(今も?)NetNewsで「レスお願いします」と書いたら「レスって何ですか?」というフォローアップをもらうのと同じような話なのですが、さて、何故エドワード八世は退位していないのでしょうか?

はっきり言ってこれは非常にややこしい問題です。以降簡単に私が理解している事を書きますが、間違っている可能性もありますので、鵜呑みにしないようにしてください。

この記事についてまず御注意: エドワード八世の退位の件自体はa.t.r.FAQの'Can the Sovereign abdicate?'に簡潔にまとめられています。英語の読める方はそちらを見られたほうがいいと思いますが、ここでは日本人的な疑問点から「退位」という用語も含めて書いていきます。このエントリは上記のFAQおよび昔読んだa.t.r.の過去ログなどにも基づいて、自分なりに解釈して書いています。

英国の慣習法では、王位継承は権利ではなく義務である、という考えがあることは以前に書いたかと思います。それゆえに、英国では王位継承権は放棄できません。これは君主に関しても同様でして、英国の君主は好き勝手に退位できないとされています。現代におけるルールを厳密に書くと:

君主と議会、それぞれが片方だけの意思では退位できない、ということになります。

この「片方の意志だけではできない」という言葉尻からして双方が合意すれば退位できるような気がしますが、実はこれはエドワード八世の退位問題で無理やりこじ開けた穴が例外事項となったものです。

では、退位できるんでしょ?という話になりそうですが、ここに英国の慣習法上の用語の使い方が非常に問題となってきてややこしくなります。

英国の慣習法の用法で:

「君主が退位する(Severeign abdicates)」

という表現をした場合、それは君主が:

「余はここに退位する。」

と宣言して実際に退位する事なのですが、これは英国王の場合実行することは出来ません。

英国の王位は王位継承法«Act of Settlement 1701»によって、(ウィリアムおよび後のアン女王の継嗣がなき場合は)選帝侯妃ゾフィア«Electress Sophia» (ジェイムス一世の娘の娘)およびその継嗣«heir of her body»に限られることになっています。

ここがポイントなのですが、この継承法には:

the Crown and regal government ... shall be, remain, and continue to ... Princess Sophia, and the heirs of her body, being Protestants:

王位および王政は、プロテスタントであるゾフィア選帝侯妃およびその継嗣に帰し、とどまり、引き継がれる。

とあるのですが、ここで注意すべきなのは、この継承法における言葉遣いは次のことを意味しているということです:

この法の中で議会は、王位は選帝侯妃ゾフィアの継嗣が望めばその継嗣に渡るとは言っていない。議会は王位が選帝侯妃ゾフィアの継嗣に渡るように命じてるのであり、またその他の誰にも渡る事はない言っているのである。

したがって、王位の継承権は放棄できる性格のものではなく、また一旦王位に着いたとしても退位(つまり王位の放棄と考えてもいいかもしれませんが)は出来ないのです。 で、もう一つ重要なのは、王位が選帝侯妃ゾフィアの継嗣に渡るように明確に指示されている点です。また、これは要するに、議会側からも一方的に廃することができないわけです。

しかしながら、1936年の状況はいかんともしがたい状況になっていました。即位したエドワード八世はシンプスン夫人と結婚したい。彼女はすでに離婚手続きに入っている。とはいえ、当時の社会状況を考えるに君主が二度目の離婚をしようとしているシンプスン夫人との結婚など、とてもではないがウェストミンスターは認められないし、海外の植民地の支持も得られない。

11月にエドワード八世はボールドウィン首相に離婚成立後の正式に結婚の意志を伝えました。そのときに、首相は、結婚をあきらめる、内閣の反対を押し切って結婚、退位、という3つの選択肢を伝え、エドワード八世は「退位」を選びました。内閣の反対を押し切るという事は、憲法的な疑問もあり、立憲君主的ではないからでしょう。

とはいえ、退位という方法も、今まで見てきたように慣習法的に(つまり憲法的に)問題があるので、その隙間を縫うようにして準備が整えられました。

Instrument of Abdication

Instrument of Abdicationのファクシミリ版。Heraldicaウェブサイトより。

エドワード八世の署名(右; Edward RI)のほか、立会人のアルバート、ヘンリー、ジョージ王子の署名が見える。

ここで問題になったのは以下の点です。

  1. 国王が退位する、といっても退位できないし、議会が退位を宣言しても退位させられない。
  2. 上が成立してもエドワードが「選帝侯妃ゾフィアの継嗣」であることに変わりない。

これを解決するためには以下の方法が考えられました。

  • 国王が退位の意思・希望を表明。議会が王権停止の法案を提出。国王裁可。

まず、エドワード八世が「退位に関する文書«Instrument of Abdication»」を出し、ヨーク公爵アルバート王子(後のジョージ六世)、グロスター公爵ヘンリー王子、ケント公爵ジョージ王子とともに署名しました。ここで重要なのは、ここではエドワード八世は「退位する」とは言っていない点で、あくまで「退位」意志と希望を述べただけです。つまり、「自ら退位する」という事を行っていないわけで、慣習法に反していません。

余、エドワード八世…は、余と余の子孫の王位を放棄するという翻意できぬ決定を下せし事、並びにこの「退位に関する文書」に速やかに効力を与えよという余の要求を、ここに宣言する。

これに沿う形で議会は陛下の退位宣言法«His Majesty's Declaration of Abdication Act (1936)»を即日成立させました。 この法には以下の文言があります。

  1. この法への国王裁可により、・・・ 今上陛下によって署名なされた退位宣言に関する文書は効力を発し、それにより陛下は国王ではなくなり、王位を譲位したものとなり、それゆえに王室の一員となり、その結果次期王位継承者が継承し、それに伴う全ての権利、大権および身分を有する。

  2. 陛下、もしあるとすれば陛下の子女およびその子女の子孫は、陛下の退位の後は王位並びにその継承に何等の権利、称号および利権を有さず、王位継承法第一項の内容はそれに従って解釈される

まず、1項目によって、議会は国王の要望にしたがって国王の王権を停止しています。ここで重要なのは、王権が停止するのがあくまで、「国王ではなくなる«cease to be King»」(国王である事をやめる)という事によるのであって、「退位する«abdicate»」結果ではない、という事です。

2項目には「退位«abdication»」という語が出てきますが、これは1項の結果、退位という状態になっていると解釈すべきでしょう。

何故こんなややこしい事をしているのかというと、先に述べたとおり英国法における「退位」という用語がそもそも「君主が退位する」という行為を示しており、この行為自体は認められないものだからです。そこで、君主が「退位の意向」を示し、議会がそれに効力を与え、君主がその法を裁可することによって、「退位している状態」になっているのです。

ただし、それだけでは先にふれた「ゾフィアの継嗣」という継承法の条件にエドワード八世とその子孫は残ってしまいますから、2項目で排除しているのです。

というわけで、この法によって先に述べた2つの懸案を解決する抜け道が用意されました。エドワード八世が君主としての最後の仕事、すなわちこの法案を裁可«Royal Assent»することによって(おそらく Le Roy le veultと書き入れる)、エドワード八世は退位状態となり、ジョージ六世が即位しました。

以上のような状況から、エドワード八世は退位したものの、退位しておらず、しかし退位している状態になっているといえるのです。

………一応、続く………。

この記事なんですが、書き始めてから書き終わるまでに非常に日数がかかっているので、いろいろちぐはぐな面もあるかと思います。いずれ、暇ができれば見直したいのですが、暫定的に公開します。

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[称号・名/称号]

君主の継嗣の特有の称号 PART I / 2005-12-15 (木)

現存する君主国における、君主の継嗣の称号について記します。このサイトでは特有の称号を有している継嗣はその称号で呼ぶことにしています。そこで改めて簡単に考察してみることにしました。

"cr"は宣下(授爵)を必要とする。"aut"は必要な要件を満たすと自動的にその称号を帯びる。

  • 英国 (The United Kingdom)
    Prince of Wales (and Earl of Chester)[ウェイルズ公] "cr"

    本来はイングランド王位の継嗣。法定推定相続人«heir apparent»でなければならない。

    Duke of Cornwall [コーンウォール公爵] "aut"

    本来はイングランド王位の継嗣。君主の子で且つ法定推定相続人«heir apparent»でなければならない。

    Duke of Rothesay (Earl of Carrick, Baron of Renfrew, Lord of the Isles, Prince and Great Steward of Scotland) [ロスシー公爵] "aut"

    本来はスコットランド王位の継嗣。君主の子で且つ法定推定相続人«heir apparent»でなければならない。それぞれの称号の由来は別々。

  • オランダ (The Kingdom of the Netherlands)
    Prins/es van Oranje [オラニエ公] "aut"

    英語ではPrince of Orange。1815年のKingdom of the Netherlands以来継嗣の称号となる。

    オラニエ公の妃の称号について。19世紀にはオラニエ公妃«Princess of Orange»の称号を宣下されて有している人もいたが、現在は基本的に妃はその称号を帯びない。おそらく、絶対長幼制が採用され、女子でもheir apparentになるために、女性系の称号を女子法定推定相続人のために取っておく必要があるからと思われる。

    ただし、慣例的に妃をPrincess of Orangeと呼ぶケースも見られるかもしれない。しかし、もちろんこれはオフィシャルな物ではない。
  • ベルギー (The Kingdom of Belgium)
    Duc de Brabant [ブラバント公爵] "aut"

    1840年12月24日のRoyal Decreeによって国王の長男は自動的にDuc de Brabantとなることになった。同Decreeはレオポルド一世が継嗣のレオポルド王子を封じたもの。このことは1993年(もしくは1994年)に首相の国会答弁によって確認された。

    ブラバント公爵の継嗣はかつてはComte de Hainault«エノー伯爵»だった。これはレオポルド一世がブラバンド公爵レオポルド王子の継嗣レオポルド王子を1859年6月12日のRoyal Decreeで封じたものが最初。このレオポルド王子は父親の即位に従ってブラバント公爵になったが父に先立って薨去。

    1930年9月10日のRoyal Decreeによってこのエノー伯爵は宣下によらず自動的にブラバント公爵の継嗣に賜ることとなった。

    しかし、これらは2001年10月16日のRoyal Decreeによって改正される。おそらくこれは絶対長幼制への変更に即してのことだろう。というのもその当時ブラバント公爵フィリップ王子夫妻にお子が生まれる直前だったからである。

    まず、ブラバンド公爵の要件が、「君主の最年長の嫡出男子」から「君主の最年長の嫡出子」に変更される。また、エノー伯爵という称号を定めた上記のDecreeが廃止された。そのかわり、ブラバンド公爵が父王に先立って薨去した場合、その継嗣(かつてならエノー伯爵を帯びていたであろう人物)がブラバント公爵を帯びる。

    逆に言うと、ブラバント公爵の継嗣は現在特に特有の称号を帯びないことになる。

スペインのアストゥリアス公およびその他の君主国はPART IIで。

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[称号・名/称号]

補足: 君主の席次 / 2005-11-24 (木)

先の例ではややこしい所もあったので、補足します。

継嗣と王族の名代についての話です。

彼らに関しては、「継嗣」、「王族」という身分と、「名代として来ている」場合と「本人の身分で来ている」場合という二通りの区別する必要があります。

名代として来ている人は文字通り君主の名代ですから、君主の間で席次を得ます(親の席次に従って)。継嗣が名代でも、その他の王族が名代でも、同様です。

本人の身分で来ている人は、継嗣なら継嗣の、王族なら王族のカテゴリーでそれぞれ席次を得ます。これもおそらく親の即位年月日にしたがって

したがって、もつ氏のご質問には次のような答えになるかと思います。

> 日本の皇太子はImperial HighnessなのでRoyal Highnessのウェイルズ公よりも上位かとか

この場合

  1. Imperial HighnessとRoyal Highnessは関係ない。
  2. 日本であれば、東宮殿下が上位
  3. イギリスであればウェイルズ公が上位
  4. それ以外の国であれば親が先に即位しているウェイルズ公が上位

ということでよろしいでしょうか?

  1. 然り。ただし、旧ロシア宮廷では関係あったとのこと。
  2. 然り。
  3. 然り。
  4. 然り。この場合、ともに継嗣なので、名代であるか否かは関係ない、

> モナコのアルベール公子(当時)はSerene Highnessでも君主の継嗣なので、英国のヨーク公爵よりも上か

この場合は、

  1. イギリスであれば、ホスト国王族のヨーク公が上位
  2. それ以外の国であれば、君主の継嗣であるアルベール公子が上位

ということでよろしいでしょうか?

  1. 然り。
  2. この場合、両者が君主の名代ならば、即位が先のレーニエ三世(当時; 1949年即位)の名代であるアルベール公世子(当時)の方が、英国のエリザベス二世女王(1952年即位)の名代であるヨーク公爵よりも上。

    両者がそれぞれ名代ではなく本人の身分で来ているならば、継嗣であるアルベール公世子(当時)の方が王族であるヨーク公爵よりも上。

    両者のうちどちらかが名代で、もう一方が名代ではない場合、名代の方が上。

もう一度申し上げますが、これは英国とスペインの宮廷における標準的な席次の慣習です。基本的には各宮廷にも同様の慣習が考えられますが、英国にも例外があるように、各宮廷の近親度などによって席次の順番算定方法が異なってきます。

昔いろいろあさった資料がHDDに眠っているので機会があればまとめたいと思います。

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[称号・名/称号]

君主の席次に関するメモ / 2005-11-22 (火)

ブログブルク公国で、国際的な舞台での君主間の席次(序列)についての記事がありました。席次に関してa.t.r.に有用と思われる一連のやりとりがありました。

そのやりとりはGary Holtzman氏の序列に関する質問に答えたもので、その質問が君主だけでなく継嗣や王族にも触れていました。Holtzman氏の質問は日本の皇太子はImperial HighnessなのでRoyal Highnessのウェイルズ公よりも上位かとかモナコのアルベール公子(当時)はSerene Highnessでも君主の継嗣なので、英国のヨーク公爵よりも上かといった具体的な例を示しての質問でした。

系譜学者で美術商でもあるGuy Stair Sainty氏の答えはそれを踏まえた上でのものでしたので、公爵の投稿に関して適切かつ有用かと思いますので、ここに翻訳の上転載してさせていただきます。まぁ、許可は取ってないけど、News Groupへのポストなので出典を明示すればいいでしょう。

ホスト国の王族がまず上席となる。

次に現君主、それから現君主の継嗣もしくは王族による現君主の名代。

次いで旧君主家の当主、そしてその継嗣および一門(王族・公族等)による当主の名代。

現在君臨している君主間の席次は継承した日付順による。皇帝と王との間に席次の区別はなく(今日においては)、ヨーロッパの王と非ヨーロッパの王との間にも席次の区別はない。継嗣の席次は父親[女王なら母親でしょうが]の席次が与えられる。

旧国王(ブルガリア、ギリシアおよびルーマニアの各国王)の席次は、その他の旧君主家よりも上位ではあるが、現君主家よりも下位となる。

ただし氏によればこれは英国とスペインの宮廷における慣習であり、国によっては異なる場合があるという。実際ロシアの宮廷ではシステムが異なりました。 また、英国ではユーゴスラヴィア王家当主のアレクサンダル皇太子についてはギリシアのコンスタンティノス二世と同じカテゴリーに属す席次が与えられているという。というのも、彼が皇太子の身分で生まれていることと、もちろん英国王室との深い関係が考えられるでしょう。 母親がギリシア王女でエリザベス二世がゴッドマザー

とりあえず、以上を持ってメモとします。

日本の天皇もしくは皇帝がヨーロッパのそれと同一の見なされているかどうか、この問題は差別云々より、異なる起源・発展課程を持つ称号に関して、どれとどれを同じとみるか、という問題があるので、事態は複雑に過ぎます。だいたい西欧と東欧も称号の「格」に関して統一した見解ができたのは、そんなに古いことではありません。

ブログブルク公国はアウトソージングしていたインフラが問題を起こし、対処として東西に分割されたようです。これ以降、より安定していると思われる西ブログブルク公国にトラックバックおよびリンクいたします。

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