先日大河ドラマ『功名が辻』の制作発表の模様がニュースになっていた。『功名が辻』といえば、司馬遼太郎原作の山内一豊の妻千代を大フィーチャーした小説である。原作自体は、はっきり言うと作者の余談や回り道が多すぎて小説としては余り出来が良くないが、登場人物の性格付けや描写はさすがで、主人公の千代が魅力的にあいあがっており、それが小説自体を「読ませる」ものにしている。そういう意味では成功している作品であるともいえる。
というわけで、これを面白いドラマ化するには、脚本家の技量が必要だろうし、千代役の女優の演技も重要だろう。数年前に民放でやっていた檀ふみ主演の『功名が辻』は時間の都合で数回しか見れなかったが、中々魅力的な千代の仕上がりだった。今回は仲間由紀恵だそうなので、是非とも頑張っていただきたい。
『功名が辻』は山内一豊の周りの話なので、当然中盤は秀吉・秀次政権の中心地であった京が舞台となる。『新撰組』『義経』『功名が辻』と続いて京都が重要な位置を占める大河となるわけで、観光局は商業的にすぎない程度に頑張っていただきたいものだ。
さて、文庫版『功名が辻』第二巻のハイライトはいわゆる秀次事件である。豊臣秀吉が一旦は関白職を譲り後継者とした甥の秀次を謀反の容疑で自刃に追いやった事件である。秀次自身は高野山で自刃したのだが、秀次の妻子等三十九人は京の三條河原で処刑される。当たり前だが、これは関白の縁者に対して行うべき待遇ではない。この凄惨な光景をしばしは生々しく描いている。
地獄とはこうか、と京のものは戦慄した。
虐殺が終わると、刑吏達は穴を埋めはじめ、たちまち盛り土ができあがった。
…この塚のよび名を、秀吉がそう呼べと命じたのかどうか、
「畜生塚」
とよばれた。
司馬氏がこの様に描いている塚には石塔が築かれたようだが、鴨川の氾濫などによって所在がわからなくなってしまう。しかし、1611年になって、当時高瀬川を開削していた角倉了以が墓石を発見し、高瀬川沿いに現在の木屋町通りを三条通から少しくだった所に塚を再建し祀った。これが後に秀次の法号瑞泉寺殿からとって
274 寺の門を入って右の奥に秀次公の墓と称する塚があり(悪逆塚ともよばれるらしい)、一族を慰霊する五輪塔などもある。また、処刑された正側室や用事などに関する資料や辞世も寺で展示されており、ため息をつかざるをえない。
寺へは、文字通り、三條木屋町を五メートルくだるだけなので簡単に行けます。木屋町通の東側に門が見えるし、写真でわかるように「豊臣秀次公之墓」ともあるのですぐにわかるでしょう。

