[欧州地誌/写真]

[Ffotos] Castell Caernarfon / 2004-10-04 (月)

カエルナルヴォン城内側

カエルナルヴォン城内側

2003年12月6日撮影

ウェイルズのカエルナルヴォン«Caernarfon» (英語読みでは「カナーヴォン」もしくは「カナーフォン」)はこのサイトのテーマに深い関わりのある土地です。そもそもこのサイトは、私自身が昨年末まで中西部ウェイルズにいましたから、英国特にウェイルズに関することを扱うのがテーマの一つです。

それ以上に、やはり第二のテーマである称号に関しての方がより密接なつながりでしょう。ご存じの通り、エドワード一世築城のこのカナーヴォン(カエルナルヴォン)城は、エドワード一世が、子供が生まれそうになった王妃をここに連れてきて、後のエドワード二世を出産させたという話があります。その事実をもって、エドワード一世はのちにこのエドワード(所謂エドワード・オヴ・カナーヴォン)をイングランド人初の'Prince of Wales'に封じたのです。

最近では、後のエドワード八世が1911年にカエルナルヴォン城にて叙任され、現ウェイルズ公であるチャールズ王子は1969年に叙任されました。

この写真に写っている「椅子」は、1969年7月1日のその叙任式において、エリザベス女王陛下がお座りになった椅子で、カエルナルヴォン城内に展示されています。そこでは、その叙任式に関する様々な説明・展示があります。

ウェイルズ公チャールズの叙任式に使われた椅子

ウェイルズ公チャールズの叙任式に使われた椅子

2003年12月6日撮影

エドワード一世は、ウェイルズ中部のアバリストウィス«Aberystwyth»からアングルシー島«The Isle of Anglesey»ボーマリス«Beaumaris»まで、数珠繋ぎのように城を建てていきました。もちろん征服間もないウェイルズ鎮守のためです。そうした軍事的な意味合いから、この一連の城は大抵こぢんまりしています。また、城壁の角にタワーを築き、それを城壁でつないで、そのタワーの内部と巡らされた城壁の内側に居住区間を築くというレイアウトのために、窮屈な感じも受けます。

カエルナルヴォン城内部の廊下

カエルナルヴォン城内部の廊下

2003年12服 4c3 ?6日撮影

この、カエルナルヴォン城も、そういった例に漏れず、大きさとしてはそこそこあるもの、狭苦しい感じがあります。そもそも立地からして、攻めにくい要害の地を選んでいるように思われます。海沿いに建てているのは、海上輸送を重視したものでしょう。アングロ・ノーマン時代に、イングランド西部から内陸街道沿いに侵攻した中南部ウェイルズ征討作戦がウェイルズ人側からのカウンターアタックで撃退されたことがあります。そのときのウェイルズ人側の作戦は、陸地の補給路を分断するというものでした。以来、アングロ・ノーマン人は、より得意な海上輸送を補給のメインとするために、補給しやすい、海沿い・川沿いに城を建てるようになっていきます。おそらく、エドワード一世もそれ以来の伝統的戦略にしたがっていたのでしょう。もちろん、北ウェイルズ付近にはチェスターというイングランドの拠点がありますが。

1: DoS (2004/10/05 09:45)
ハワード・カーターのツタンカーメン王墓発掘のパトロンだった
カーナヴォン卿はこの城と関係あるのですか?
2: dzlfox (2004/10/06 10:31)
所謂「カーナヴォン卿」というのは、The 5th Earl of Carnarvonのことで、CarnarvonというのはCaernarfonの英語形です。
ですから、まぁ、Town and County of Canarvon (Caernarfon)に何らかの由来があるのでしょう。もともとCanarvon家はEarl of Pembrokeの分家ですから、いかにもありそうです。(Pembrokeの爵位を見れば南中心ですが…)
カーナヴォンというのは、まぁ日本語表記の一つです。本来は、二番目の'a'にアクセントがくるのでカナーヴォンの方がどちらかといえば正しいんですが。
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