ウェイルズの
それ以上に、やはり第二のテーマである称号に関しての方がより密接なつながりでしょう。ご存じの通り、エドワード一世築城のこのカナーヴォン(カエルナルヴォン)城は、エドワード一世が、子供が生まれそうになった王妃をここに連れてきて、後のエドワード二世を出産させたという話があります。その事実をもって、エドワード一世はのちにこのエドワード(所謂エドワード・オヴ・カナーヴォン)をイングランド人初の'Prince of Wales'に封じたのです。
最近では、後のエドワード八世が1911年にカエルナルヴォン城にて叙任され、現ウェイルズ公であるチャールズ王子は1969年に叙任されました。
この写真に写っている「椅子」は、1969年7月1日のその叙任式において、エリザベス女王陛下がお座りになった椅子で、カエルナルヴォン城内に展示されています。そこでは、その叙任式に関する様々な説明・展示があります。
エドワード一世は、ウェイルズ中部の
この、カエルナルヴォン城も、そういった例に漏れず、大きさとしてはそこそこあるもの、狭苦しい感じがあります。そもそも立地からして、攻めにくい要害の地を選んでいるように思われます。海沿いに建てているのは、海上輸送を重視したものでしょう。アングロ・ノーマン時代に、イングランド西部から内陸街道沿いに侵攻した中南部ウェイルズ征討作戦がウェイルズ人側からのカウンターアタックで撃退されたことがあります。そのときのウェイルズ人側の作戦は、陸地の補給路を分断するというものでした。以来、アングロ・ノーマン人は、より得意な海上輸送を補給のメインとするために、補給しやすい、海沿い・川沿いに城を建てるようになっていきます。おそらく、エドワード一世もそれ以来の伝統的戦略にしたがっていたのでしょう。もちろん、北ウェイルズ付近にはチェスターというイングランドの拠点がありますが。




