[欧州地誌/Walesほか英諸島]

グリンドゥールの旗、カーディフ城に掲揚 - 挙兵の記念週間 / 2005-09-13 (火)

The Four Lions of Gwynedd Rampant

Owain Glyndŵrの旗

BBCの該当記事より

ウェイルズ議会は、9月16日がオウェイン・グリンドゥールが挙兵し議会を開催し'Prince of Wales'と称した記念すべき日であることから、12日からの一週間カーディフ城の城壁にグリンドゥールの紋章つきの旗を掲揚する事に同意した。カーディフ上にその旗が掲げられるのは、反乱を起こしていた当時以来600年ぶり。

一般的に最後のウェイルズ人'Prince of Wales'はサウェリン・アプ・グリフィズ«Llywelyn ap Gruffydd»;とされるが、このOwain Glyndŵrが称しているので、彼こそ本当に最後のウェイルズ人Prince of Walesだといえる。

グリンドゥールの反乱概略

オウェイン・グリンドゥール«Owain Glyndŵr»は中世ウェイルズのPowys王国の子孫。イングランド支配下のウェイルズでは、14世紀にリチャード二世が地盤強化の為にウェイルズ人を登用して封じていたが、ヘンリー四世の簒奪によって、ウェイルズ人には情勢が厳しくなった。ウェイルズ嫌いのノルマン系貴族de Greyといろいろあった末、ヘンリー四世によって謀反人として召喚を受けたグリンドゥールは1400年9月16日にその支持者によって'Prince of Wales' (cy: Tywysogion Cymru; la: Princeps Walie)に推戴された。

直ちに北東ウェイルズのde Grey領を攻めると、南下してウェルシュ・プール«Welshpoole»等を攻略。アングルシー«Anglesey»からはチューダー一族が呼応し一大勢力となった。

ヘンリー四世はスコットランド遠征から引き返してシュルーズベリーへ逗留し鎮圧の機会を狙ったが天候面もあって思うに任せず、その間にグリンドゥール軍は戦線を拡大。1402年にはフランスとブルターニュの支援を受け、1403年には全ウェイルズ的な反乱へと成長した。同年から1404年にかけてカマーゼン、カーディフ、ブレコン、ハルレック、アバリストウィス等を攻略した。

Owain Glyndŵr, at Wikipedia Germany

Owain Glyndŵr

ドイツ語版WikipediaWebsiteより

しかし1405年から1406年のフランス・ウェイルズ連合軍のイングランド侵攻が失敗に終わると、フランス軍は引上げ、やがてグリンドゥールの凋落が始まる。イングランドでは継嗣のヘンリー(後のヘンリー五世)が軍の主導権を握ると、経済封鎖を中心とした戦略に切替え、ウェイルズを切り崩す事に成功した。

1409年頃には既に局地的な反抗に過ぎなくなっていたが、1412年以降オウェイン・グリンドゥールの消息は聞かれなくなった。イングランド側からオウェインの息子マレディズ«Maredydd»を通じて和平交渉がなされ、1416年の時点では拒否したものの1421年で講和を受け入れたため、おそらくその辺りでオウェインが没したのだと考えられている。

2000年に挙兵600周年をむかえ、オウェインの紋章である「グウィネズの獰猛な四頭の獅子«The Four Lions of Gwynedd Rampant»」が再びクロースアップされ、9月16日を祝おうとする運動が盛り上がってきた。今回、ウェイルズ人の宿願が一つかなったのである。

しかしこうして見ると、中先代の乱と何となく似ているなぁ……。

この記事はすでにMini Newsで流したものの詳細版です。

参照
BBC, '' Glyndŵr flag flies at city castle' BBC'
1: dzlfox (2005/09/16 09:35)
今日が実際の記念日ですね。
日本にいる知り合いのウェイルズ人(カーディフ出身でオーストラリアに移住)にこの話をしたら、喜んでました。
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