[欧州地誌/Walesほか英諸島]

大法官、リンスター公爵正統性問題に裁定 / 2007-05-12 (土)

アイルランド首席公爵«Premier Duke in the peerage of Ireland»であるリンスター公爵«Duke of Leinster»の襲爵に対して異議が唱えられていた件で、英国大法官«Lord Chancellor»ファルコナー・オブ・ゼントン卿«Lord Falconer of Thornton»は、先代公爵の長男で第9代リンスター公爵を継承したとしているキルデア侯爵モーリス・フィッツジェラルド«Maurice FitzGerald, Mrquess of Kildare»(59歳。オックスフォードシャー在住)の襲爵の正統性を認めるとの裁定を下した。2007年4月24日付オンライン版Daily Telegraphが報じた。

カリフォルニア在住の建築業ポール・フィッツジェラルド«Paul FitzGerald»氏は正統な第9代公爵であると主張していたが、ファルコナー卿はポール側の証拠に満足しなかった、と憲法事項省«Department for Constitutional Affairs»報道官は述べている。

そもそも事の起こりは、第1次大戦にさかのぼる。

当時、第五代公爵はすでに無く、長男モーリス«Maurice»が跡を継いで第六代公爵となっていた。彼には二人の弟があり、次男デズモンド«Desmond»、三男エドワード«Edward»がいた。

このうち次男のデズモンド卿は第1次大戦で戦死した。したがって、三男のエドワード卿が未婚の第六代公爵の推定相続人«heir presumptive»となった。

やがて、1922年に第六代公爵が薨去し、三弟のエドワード卿が第七代として跡を継いだ。その長男が第八代として1976年に襲爵し2004年に薨去。その跡を継いだのが今回正統性に対して訴えられていた第九代となる。

さて、今回のポール・フィッツジェラルド氏の訴えは以下の通りである。

第一次大戦で戦死したと思われていたデズモンド卿だが、実は生きており、カナダに移り住んだ。これがポール氏の祖父である(ここでは、紛らわしいので、これを推定デズモンド卿と呼ぶ)。

死の間際、その推定デズモンド卿は娘、つまりポール氏の叔母に当たるテレサ・コードヒル«Theresa Caudhill»嬢に自らの身分の証拠を残したことを告げ、それを追っていくようにと告げたという。

ポール氏の父親、つまりテレサ嬢の兄であるレオナード«Leonard»氏も、第7代公爵が1976年自殺した後に同様のクレームをしているが、ポール氏曰く、健康問題から取り下げるように医師に忠告され、取り下げたという。レオナード氏は1994年に死去した。

推定デズモンド卿が残した証拠とは、テレサ嬢によれば、家宝のコレクション及び法的な文書が入った荷物だったという。その荷物は1929年に貴族院の国璽部«Crown Office»に当時のウェイルズ公(後のエドワード八世)らの立ち会いのもと収蔵された。しかし、テレサ嬢が貴族院に引き渡すように要求したところ、彼女曰く妨害にあったという。また、ポール氏が大法官府«The Lord Chancellor's Department»の後身である憲法事項省«Department for Constitutional Affairs»に照会したところ、置き場所を間違えたといわれたという。ある文書保管人がその存在自体を確認したことがあるが、現在は「失われた«lost»」ようだという。

テレサ嬢は「失われた」文書の中には、推定デズモンド卿が一代限りの継承権を辞退し、その子孫に継承権を戻させることを明らかにした文書があるに違いないと考えている。

テレサ嬢が発見したとする1933年7月に書かれた第七代公爵エドワード卿に当てたデズモンド卿の手紙と称するものがある。それには、エドワード卿が第七代公爵となるのは黙認するが、デズモンド卿の息子がその後を継ぐことを了解せよ、という内容になっている。

テレサ嬢によれば、推定デズモンド卿はリンスター公爵家の紋章を押したディケンズの小説を持っていたし、勲章や軍服、彼の祖母から伝わったという一連の真珠等があったという。また、彼のアイデンティティを記した文書を含んだトランクも覚えている。

ポール氏によれば、推定デズモンド卿が育った場所の話をしていたことを聞いており、ポール氏がレオナード氏とアイルランドを訪問したところ、推定デズモンド卿がレオナード氏に語っていた通りだったという。

また、Daily Telegraphがポール氏側がまだ持っている「証拠文書」を見たところ、そこにはデズモンド卿がカナダで新しい生活をはじめ、信託資金によって援助され、ポロの指導員としても働いていたことを主張する内容だったという。

テレサ嬢は祖父との約束を守る為、30年以上130万ポンドをかけて主張してきた。ポール氏側は、証拠集めとして、書簡類の収集の他、推定デズモンド卿のDNAサンプル採取、元召使いの宣誓証言の採集などを行ってきた。しかし、今回、大法官ファルコナー卿はそれらの証拠に満足しなかったという。

晴れて正統な第九代公爵と認められたモーリス・フィッツジェラルド卿とポール・フィッツジェラルド氏の主張がとちらが正しいかについては、私としてはそれを裁定する権威である大法官の裁定を尊重するしかないが、この件にはいくつか疑問点がある。以下様々な観点の疑問をのべつとなしに列挙してみる:

  • 推定デズモンド卿の主張が正しいとすれば、何故身分を明かさなかったのか?1922年以前に存命を主張していれば、自身が継承できたはずである。テレサ嬢はデズモンド卿が10代の時にアイルランド共和主義者同盟«Irish Republican Brotherhood»
  • に所属しており、アメリカへの連絡係をしていたことと、その後のアイルランド問題をあげているが、あまり説得力はないように思える。
  • 「失われた」荷物には何が入っていたのか?何故失われたのか?テレサ嬢の照会の際に本当に妨害を受けたのか?そもそも本当にそれはポール氏の祖父の所有物だったのか?
  • テレサ嬢の主張しているような、一代譲った後に相続を元に戻ることが可能か?通常、相続権の正否を争ってポール氏が勝った場合、そもそもその間の爵位の相続の正統性が無くなり、系図も変わってしまう。爵位の相続方法は有爵者の自由に出来るものではない。1922年に主張する時機を逸したとしても、何故そんな慣習的に認められていないことをするのか?
  • 推定デズモンド卿の信託資金の出所は何か?
  • DNAテストの結果をDaily Telegraphが書いていない。……… 等々。

これらの疑問点が残っているが、単にDaily Telegraphが流していない(もしくは私が捕捉・理解し切れていない)ニュースがあるのか。ポール・フィッツジェラルド氏はまだまだ争い続けると言っているので、これから色々と明らかになるのか。正統性云々の前に、野次馬的な興味は尽きない所ではある。大法官の結論が出る前に、ポール氏は「真実は小説よりも奇なり、と言うからね」と言ってていたが、これからの展開は果たして。

"Leinster"は地名としては「レンスター」と読みますが、称号としては「リンスター」と読みます。

本文中では特に言及していませんが、ポール・デズモンド氏は、いつかは把握していませんが、正統性を主張してからsurnameをフィッツジェラルドに正式に変えているようです。つまり、推定デズモンド卿はカナダへ渡ってから、surnameを変更していたことになります。変更したのが、確認していませんが、おそらくCaudhillなのでしょう(?)名前自体も、デズモンドではなく他の名を名乗っていたような気がしますが、ちょっと出てきてません。

家系図1:現在正統と認められているリンスター公爵家の家系図

記事内容に関係する人物のみの抄録(ref. Burke's Peerage Online Ed.)

ジェラルド・フィッツジェラルド«Gerald FitzGerald» [第5代リンスター公爵«5th Duke of Lenster»] b.1851-d.1893. suc.1887.
  1. モーリス«Maurice» [第六代リンスター公爵] b.1887-d.1922. suc.1893. 未婚
  2. デズモンド卿«Lord Desmond» b.1888-d.1916.(戦死)
  3. エドワード«Edward» [第七代リンスター公爵] b.1892-d.1976. (自殺) suc. 1922.
    1. ジェラルド«Gerald» [第8代リンスター公爵] b.1914-d.2004. suc.1976
      1. モーリス«Maurice» [第9代リンスター公爵] b.1948-. suc.2004 当代リンスター公爵
        1. トマス«Thomas» [儀礼称号: オファリー伯爵«Coutesy known as Earl of Offaly»] b.1974-d.1997.
      2. ジョン卿«Lord John» [推定相続人«heir presumptive»] b.1952-.
家系図2:ポール・フィッツジェラルド側が主張する家系図

ただし、ポール側の主張する「エドワード卿の後に相続系統を戻す」方式ではなく、相続法であるheirs male of his bodyで考えている。本来相続すべき人物にはde jureの語を附す。

記事内容に関係する人物のみの抄録(ポール氏側の生没年はDaily Telegraphの記事内容から抜粋もしくは推定。)

ジェラルド・フィッツジェラルド«Gerald FitzGerald» [第五代リンスター公爵«5th Duke of Lenster»] b.1851-d.1893. suc.1887.
  1. モーリス«Maurice» [第六代リンスター公爵] b.1887-d.1922. suc.1893. 未婚
  2. デズモンド«Desmond» [de jure 第七代リンスター公爵] b.1888-d.1967.(大戦中戦死したと思われていたが、カナダへ移住していた) suc. de jure 1922.
    1. レオナード«Leonard» [de jure 第八代リンスター公爵] b.?-d.1994. suc. de jure 1967. (芸術家兼教師)
      1. ポール«Paul» [de jure 第九代リンスター公爵] b.c.1967-. su. de jure 1994.(カリフォルニアにて建築会社経営)
    2. テレサ・フィッツジェラルド«Lady Teresa FitzGerald» a.k.a.テレサ・コードヒル«Teresa Caudhill» b.c.1925-.
  3. エドワード卿«Lord Edward» b.1892-d.1976. (自殺)(第七代リンスター公爵を称する)
    1. ジェラルド・フィッツジェラルド«Gerald FitzGerald» b.1914-d.2004. (第八代リンスター公爵を称する)
      1. モーリス・フィッツジェラルド«Maurice FitzGerald» b.1948-. (第九代&当代リンスター公爵を称する)
参考文献
  1. Tom Peterkin, 'Battle Over Irish Dukedom Settled.' Telegraph.co.uk., Online. pub. 6:51am BST 24/04/2007.
  2. Olga Craig, 'DNA Tests and a Mystery Package in the £1m Battle Just for a Duke's Title.' Telegraph.co.uk., Online. pub. 1:37am BST 15/05/2006.
  3. Tom Peterkin and Catherine Elsworth, 'A Californian Claimant, an 'Escape' From the Trenches and the Fight for a Dukedom.' Telegraph.co.uk., Online. pub. 1:34am GMT 28/02/2006. (ポール氏の顔写真あり)

これはニュースと言うべきものなので、称号ニュースのほうで扱おうと思いましたが、ややこしい問題はこちらで扱う、という従来の方針通り、こちらで扱うことにしました。ニュース系内容ですので、称号カテゴリではなく、英諸島カテゴリになっています。

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ウェイルズ公、陸海空軍大将に昇任なされる / 2006-11-15 (水)

13日付オンライン版Daily Telegraphによると、英国国防省はウェイルズ公チャールズ王子の陸海空軍に於ける階級をそれぞれ中将から大将へと昇任させることを発表した。

これは14日のウェイルズ公58歳の誕生日にあわせたものと考えられる。国防省スポークスマンは公の同僚に階級を合わせるための措置としている。

王族としてウェイルズ公の昇任は誕生日にあわせたものが近年は多い。まぁ、若い頃はともかく今は名誉昇任的な意味合いだからでしょう。昔は陸海空軍ばらばらの昇任だったように思いますが、最近はまとめて昇任しておられます。将官以降の昇格履歴は以下の通り。

  • 1998年11月14日 (50歳) 陸海空軍少将 - Major General, Rear Admiral, Air Vice Marshal
  • 2002年11月14日 (54歳) 陸海空軍中将 - Lieutenant General, Vice-Admiral, Air Marshal
  • 2006年11月14日 (58歳) 陸海空軍大将 - General, Admiral, Air Chief Marshall
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プライド・カムリ、ウェイルズ外相創設とウェイルズ公位廃止を狙う / 2006-08-24 (木)

8月8日付のWestern Mail紙のTomos Livingstone氏の署名記事に、ウェイルズの政党Plaid Cymru«プライド・カムリ»のMP Adam Price氏が、ウェイルズの祭であるNational Eisteddfodが開かれているスウォンジーにて、ウェイルズ自治政府も外相を持つべきだという意見をぶち上げたことが載っていました。

EU/UN内でのウェイルズの立場を高める為に、ウェストミンスターを通じる現在の形ではなく、ウェイルズ独自に動くべきとのことです。香港やマカオ並みの立場となるべきといっています。プライド・カムリのほかのMPはケベックの例を引き出し、独自の外交戦略を持つことの意味を説いていますが、ウェイルズの労働党は、まぁ、当然ながら冷淡な反応を示しています。

もう一つプライス氏がぶち上げたのは、Prince of Walesという称号の廃止に関する住民投票を行うことです。記事によればこれは元々プライド・カムリが共和主義的な立場であることが問題のようですが、大義名分として党が言っているように、エドワード一世の征服以来イングランド王位継承者がこの称号をもっていることが問題となっていると思われます。

はっきりいって、Prince of Wales=イングランドの図式で思っているウェイルズ人はかなり多いです。まぁ、実際そのとおりなのですが。

どうせなら、中世の王国の直系子孫を探し出してきて復古運動してみませんか、プライス氏。あ、リパブリカンだから無理か。

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エリザベス二世女王陛下80歳公式誕生日礼拝式出席者一覧(抄) Part. II / 2006-06-29 (木)

元々The Timesに掲載されていた6月16日に聖ポール大聖堂で行われたエリザベス二世女王の公式誕生日礼拝式の出席者一覧の続編です。

諸外国の王族

  • アレクサンダル・ユーゴスラヴィア太子カタリナ太子妃両殿下 (TRH Crown Prince Alexander and Crown Princess Katherine of Yugoslavia)
  • マルガリータ・バーデン大公女殿下(HGDH Princess Margarita of Baden)

Princess Margarita of Badenの母君はPrince Greece and Denmarkでエディンバラ公爵の姪ということになります。ついでに、確か離婚しておられますが、ユーゴスラヴィア王室に嫁いでおられました。

英連邦

一部敬称略の場合あり
  • 英連邦事務総長ドン・マッキノン閣下(HE the Rt Hon. Don McKinnon, Commonwealth Secretary-General)
  • アンティグア・バーブーダ総督サー・ジェイムズ・カーライル閣下 レイディ・カーライル夫妻(TE Sir James Carlisle, Governor-General of Antigua and Barbuda and Lady Carlisle)
  • ニュージーランド総督デイム・シルヴィア・カートライト閣下 ピーター・カートライト氏夫妻 (TE Dame Silvia Cartwright Governor-General of New Zealand and Mr Peter Cartright)
  • バハマ総督アーサー・ディオン・ハナ閣下夫妻 (TE Mr Arthur Dion Hanna, Govenor-General of The Bahamas and Mrs Hanna)
  • バルバドス総督サー・クリフォード・ハズバンズ閣下 レイディ・ハズバンズ夫妻(TE Sir Clifford Husbands and Lady Husbands)
  • オーストラリア総督マイクル・ジェフリー退役少将閣下夫妻 (TE Major-General Michael Jeffery, Retd, Governor-General of the Commonwealth of Australia and Mrs Jeffery)
  • ソロモン諸島総督サー・ナサニエル・ワイナ閣下 レイディ・ワイナ夫妻(TE Sir Nathaniel Waena, Governor-General of the Solomon Islands and Lady Waena)
  • グレナダ総督サー・ダニエル・ウィリアムズ閣下 レイディ・ウィリアムズ夫妻 (TE Sir Daniel Williams, Governor-General of Grenada and Lady Williams)
  • 他各国外交団も列席した模様

TEはTheir Excellenciesです。Joint form(二人以上、この場合は夫婦、を組み合わせる形)は多分これで良いはずです。校正抜けがあるかもしれませんが

他にも貴族関係や聖職者関係を抜き出そうかとも思ったのですが、今回のシリーズはこれで終了致します。いずれウェブサイトを作成・整理する時には、そちらで対応できればと思います。

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エリザベス二世女王陛下80歳公式誕生日礼拝式出席者一覧(抄) Part. I / 2006-06-20 (火)

6月16日に聖ポール大聖堂で行われたエリザベス二世女王の公式誕生日礼拝式の出席者一覧です。元々The Times掲載のものです。主な方々だけをここでは抜粋しています。

英国王族(配偶者含む)及び近親者

  • 女王陛下(HM The Queen)
  • エディンバラ公爵殿下(HRH The Duke of Edinburgh)
  • ウェイルズ公殿下(HRH The Prince of Wales)
  • ウィリアム王子殿下(HRH Prince William of Wales)
  • ヘンリー王子殿下(HRH Prince Henry of Wales)
  • ヨーク公爵殿下(HRH The Duke of York)
  • ビアトリス王女(HRH Princess Beatrice of York)
  • ウェセックス伯爵同夫人両殿下(TRH The Earl and Countess of Wessex)
  • プリンセス・ロイヤル殿下ティモシー・ローレンス海軍少将夫妻(HRH The Princess Royal and Rear-Admiral Timothy Laurence)
  • リンリー子爵夫妻(Viscount and Viscountess Linley)
  • ダニエル・チャットー氏 レイディ・セーラ・チャットー夫妻(Mr Daniel Chatto and Lady Sarah Chatto)
  • グロスター公爵同夫人両殿下(TRH The Duke and Duchess of Gloucester)
  • アルスター伯爵夫妻(Earl and Countess Ulster)
  • ギャリー・ルイス氏 レイディ・ダヴィナ・ルイス夫妻(Mr Gary Lewis and Lady Davina Lewis)
  • レイディ・ローズ・ウィンザー(Lady Rose Windsor)
  • ケント公爵殿下(HRH The Duke of Kent)
  • サント・アンドリュース伯爵夫妻(Earl and Countess of St Andrews)
  • ニコラス・ウィンザー卿(Lord Nicholas Windsor)
  • マイケル王子・同妃両殿下(TRH Prince and Princess Michael of Kent)
  • フレデリック・ウィンザー卿(Lord Frederick Windsor)
  • アレクサンドラ妃殿下[ケント公爵未亡人] (HRH Princess Alexandra)
  • ジェイムズ・オギルヴィ夫妻(Mr and Mrs James Ogilvy)
  • マリアナ・オギルヴィ嬢(Miss James Ogilvy)
  • ソルトーン卿(Lady Saltoun)

マウントバッテン系親戚の出席者

  • ミルフォード・ヘイヴン侯爵夫妻(The Marquess and Marchioness of Milford Haven)
  • アイヴァー・マウントバッテン卿夫妻(Lord and Lady Ivar Mountbatten)
  • フィリップ・ナッチブル氏夫妻(Hon Philip and Mrs Knatchbull)
  • ティモシー・ナッチブル氏夫妻(Hon Timothy and Mrs Knatchbull)
  • チャールズ・エリングワース氏レイディ・アマンダ・エリングワース夫妻 (Mr Charles and Lady Amanda Ellingworth)

主な王室関係者のうち欠席者は以下の通り: コーンウォール公爵夫人殿下(服喪中)、ユージニー王女殿下(GCSE試験のため)、ピーター・フィリップス氏、ザラ・フィリップス嬢、ケント公爵夫人殿下、ティモシー&ヘレン・テイラー夫妻。

また、マウントバッテン系の親戚のうち、レイディ・タチアナ・マウントバッテン、メディナ伯爵、マウントバッテン・オブ・ブーマ伯爵夫人、ブラボーン卿夫妻、レイディ・パメラ・ヒックス他は欠席。

Lady Saultonはヴィクトリア女王の3男コンノート公爵(HRH The Duke of Connaught)の娘Princess Patricia of Cannaughtの息子であるCapt. Alexander Ramsey of Mar(故人)の妻。つまり、女王の縁戚だが、王室と非常に親しいようで、Timesの記事にもオギルヴィに続いて書かれていたので、ここに含めた。

初版: 2006-06-20T15:25:00+09:00 例によって誤字・脱字・誤記・誤変換の可能性があります。

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埋もれさすにはもったいない英国ニュース (2006年3月9日版) / 2006-03-09 (木)

記事に取り上げる間もなく古くなってしまった英国関連のニュースなどを簡単に取り上げます。

カーディフ・ミステリー (1月16日)

『旬のイギリス』さんにも取り上げられていたカーディフに存在する謎。

Road Sign

上の標識で、英語では「歩行者、右方注意」と書いているのに、ウェイルズ語では「歩行者、左方注意」と書いてあり、"分かっている"地元民はニヤニヤ楽しんでいる由。

ちなみに「ケルズウィル・エドリクゥック・イル・クウィス」という感じで読みます。

うーん、カーディフだからなぁ、生活言語は英語だし…。まぁ、ネタ的においしいからいいのか…。

自由党党首にミンギス・キャンベル卿(3月3日)

党首代理だったSir Menzies Campbellが党首に選出されました。64歳。保守党の党首よりご高齢の自由党党首ってのがなんか…。

スコットランドの人なので、Menziesと書いてミンギスと読みます(UK Todayのほうではミンゲスと書いてますが、まぁ、どっちでもいいです。)。

記事中に特に称号関係のエラーはありませんでした。

キャメロン夫妻に男子誕生

称号ニュースのほうに書いても良かったのだけど、こっちに。ジェイムズ・キャメロン保守党党首の夫人でご懐妊中だったサマンサ・キャメロン夫人が2月14日に男子をご出産されました。

夫妻にはすでに長男イヴァン、長女ナンシーと二人の子がいますが、イヴァン氏のほうは重度の障碍があるらしいので、キャメロン一族の政治的基盤を受け継ぐ期待はこの赤ちゃんにかかってくるように思います。 まずは健やかに…。

『従業員』3人以下の「ミニ売春宿」、合法化へ (1月18日)

まずはリンク先UK Todayのニュースをご一読を。

どこの歴史もそうですが、売春というのは単に社会風俗史のみならず一般的な歴史に非常に深いかかわりがあります。なので、これを機会に似非歴史家として英国の現代売春事情を学術資料的に記事にしようかと思ったのですが、悪いイメージがつきそうなので(笑)、簡単に上記記事の補足をします。

以下一応R-16指定にしておきます。

現代の英国では、「対価を払って性的サービスを受ける」事自体(これを普通売春と呼ぶと思いますが)は合法です。そういう判例が出ております。しかし、英国の法律は特にそうなのですが、それそのものの行為を規制するより、外堀を埋めるかのように色々規制して行く方法を取っています。

簡単に言うと、街娼の禁止、ポン引きの禁止、売春宿形成の禁止です(他にもあるでしょうが)。

というわけで、英国では「個人が」新聞やネットなどで「個人的に」広告を出して性的なサービスを提供する事は合法とされるわけです。が、個人が客を迎えたり客の元に行ったりするのは危険が伴うので、2、3人から数人の規模で共同で仕事場のフラットを借りたり広告を出したりしている人が多くいます。じゃぁ、これは売春宿とは違うのか、という話になるわけで、いわばグレイ・ゾーンだったわけです(もちろん、より組織だったより売春宿に近い組織もあります)。

となってしまうと、「自衛」と引換えに「潜る」必要が出てくるわけで、かえって危険だ、という話も前からありました。

今回の法案は、これを合法化して売春婦の安全を守ろう、という主旨となります。

ロンドン塔のワタリガラス避難

鳥インフルエンザを恐れてロンドン塔のワタリガラスが避難したという話。このカラスについてはもう少し詳しく話をするつもりでいますが、忘れてしまいそうなので、ここにメモしておきます。

キューナードの新造船Queen Victoria

少しややこしい事を書きたいので、これも次回に。

誤解を招きそうな記事タイトルだったので、ちょっと変更しました。(17/03/2006)

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Cyfrifiad 2001 - ウェイルズの国勢調査 / 2005-10-13 (木)

現在日本では国勢調査の調査票の回収が着々と進められています。個人情報の保護と国民の義務と板挟みにあっていらっしゃる方々のご意見があちこちのブログで読めるのでなかなか興味深いものがあります。うちの場合、父親が役場へ持って行ったそうです。徒歩二分だし。

Cyfrifiad 2001表紙

ウェイルズ語版国政調査票表紙

さて、英国では2001年に国勢調査がありました。私は当時ウェイルズで院生をしていたいました。当時はイングランド人のン十年前に同じ大学を卒業した人の家に、その人とドイツ人の哲学の院生とシェアして住んでいました。

その家にも調査員のおばちゃんが来たので、私とドイツ人は大家に呼ばれて玄関先に降りていき、説明を受けました。

Cyfrifiad 2001 開いたところ

Cyfrifiad 2001 開いたところ

でも、やっぱりそこはウェイルズ。一筋縄にはいきません。ウェイルズ語版と英語版の二部ずつくれるのです。確かにウェイルズでは法によりオフィシャルなものはすべてバイリンガルです。でも、明らかに私は日本人なのに。この家にはウェイルズ人はいないのに。おもろいなぁ、そういうの好きだなぁ、確かに私はウェイルズ語習っていたけど。

もっとおもしろいのは、間違えるといけないので書き方を示しつつ、番号みたいなのを予めおばちゃんが記入して、ついでに名前も聞き取って書いてくれるんだけども、デフォルトでウェイルズ語版の方に書き込んでいるのです。

国勢調査の意義をバイリンガルで説いている紙

国勢調査の意義をバイリンガルで説いている

「おばちゃん、うちらウェイルズ語版の方は何についての項目なのか読めへんがな」

というわけで、ウェイルズ語版の方は記念としてとっておき、英語版の方を提出しました。いい時期にいたなぁ、と思います。ちなみに帰国後に知り合った現在近くのNOVAで講師をしているカーディフ人に見せたところ、感動していました。彼は17歳でオーストラリアに移住していたので。

さて、ハウスメイトのドイツ人は「ethnicの欄を答えなくてもいいか?」とおばちゃんに何回も聞いていました。曰く「無意味だ」さすが、リベラルなドイツ人論理学者。

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英国郵政改革物語 / 2005-09-27 (火)

bikkinさんの『英国蛙の記』と言うブログがあって、最近よく読ませていただいている。そこの「2005年6月英国旅行(12)」と言う記事で、デヴォンやコーンウォールの郵便ポストをじっくり写真にとってこられて、じっくり観察してはるのだが、英国には規格というものがないのか・・・!という・・・・・・・・・英国在住経験者ならおもわず共感してしまうような素晴らしい観察眼・結論です。

<GR>とありますから、当然こちらは<ジョージ5世(1910-1936)>時代のものと 推定されます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・これも<GR>です。ジョージ、コーンウォールで大流行り? というか、エリザベス2世になってから新しいポストが立ってないのか?!(田舎だから・・・) 見るポスト見るポスト、ジョージ5世。ジョージ6世もめったに見ないけど。

ジョージ五世はDuke of Cornwallだったけど、ジョージ六世とエリザベス二世はDuke/Duchess of Cornwallではなかったから地元でイマイチ不人気だから ・・・・・・・・・ とかいう理由だったらもの凄く面白いのだけども、決してそれはないだろうなぁ。まぁ、田舎だから、お金がない、面倒臭い、今となっては貴重なのでそのままにしている、実は誰も気付いていない、といったところが理由なんでしょうけど。

というわで、現コーンウォール公爵のチャールズ王子が即位後に新しいポストが立つのかどうかがコーンウォール・ウォッチャーの皆さんには重要になるでしょう…。

さて、上記のbikkin さんの記事を読んで思わずインスパイアされて、昔に書こうと思っていたことを思い出したので、英国の近代郵便制度への改革の話を書いておきます。有名なので、今更、ですが。

英国における郵便制度は古く、ヘンリー八世(Henry Everywhereと勝手に私が呼んでいるだけあって(???) どこにでも出てくる人)がMaster of the Posts"という役職を1516年につくったのが'Royal Mail'の始まりだといわれている。このRoyal Mailが一般的に使えるようになったのがチャールズ一世の御世で1635年の事。その後コモンウェルス時代に定率料金制が導入され、王政復古のチャールズ二世時代に郵政省が正式に設立された。それ以降郵便事業がどんどん動いていくことに成る。しかし、問題があった。料金は受取人払いだったのである。それを改革したのがサー・ローランド・ヒル«Sir Rowland Hill»である。

ローランド・ヒルは1837年に郵政改革を説くパンフレットを出版し、シティのビジネスマンの署名を集め、マスコミを最大限に活用し、ロビー活動を盛んにし、その結果1839年9月16日ウェストミンスターは郵政改革の法案を成立させた。その後、ローランドは郵政に関するスーパーバイザーの地位を得たが、これはあくまで名誉職だったらしい。とはいえ、Penny Blackと呼ばれる1ペニー切手を貼れば全国へ郵便を送ることができる、と言う 9c9 制度が始まったのだった。その後いったん郵政を離れたが、のちに郵政省次官«Secretyary to the Post Master Genral»として復帰し、並立する郵便局長官«Secretary of the Post Office»とやりあいながらも辣腕を振るった。

この功績もあって(郵政以前に関わった南オーストラリア植民地化にも功があったのだが)、1860年にヴィクトリア女王によってKnight Commander of the Bathに叙された。

こんな彼には、郵政のことを考えるきっかけとなったといわれる次のような有名な逸話がある。非常に有名な話なので、果たして本当のことなのかはともかくとして記しておこう。

あるときローランド・ヒルが村を歩いていると、郵便の配達人がある女性にロンドンからの郵便を届けていた。貧しそうなその女性は受け取りを拒否しようとしていて、配達人とやり取りをしているところだった。代金が払えず受け取れないのだ、そう考えて哀れに思ったローランドが立て替えて払ってやった。

しかし、女性は困惑したふうである。ローランドが問い詰めると次のように述べた。

「自分にはロンドンに婚約者がいるが、貧乏なので郵便料金が払えない。そこで、婚約者が手紙を送る際にあらかじめ決めておいたマークを封筒書いておくことにした。それで、私は郵便を受け取らなくても、彼が無事な事や私を愛してくれているといったメッセージを受け取ることができる」

ローランドはこのことを受けて郵便に関する問題を真剣に考えるようになったそうである。もっとも、実際には既存の郵便システムのままこれ以上の人口増大が進むと、色々財政的な負担が大きくなる、という様なことも根底にはあったらしい。しかし、この出来事がきっかけになったといっても不思議ではないだろう・・・・・。

でもいまのRoyal Mail/Post Office/Parcelforceの迷走振りを見ると嘆くだろうなぁ。日本の郵政はどちらへ転ぶでしょうか・・・。

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