カリフォルニア在住の建築業
そもそも事の起こりは、第1次大戦にさかのぼる。
当時、第五代公爵はすでに無く、長男
このうち次男のデズモンド卿は第1次大戦で戦死した。したがって、三男のエドワード卿が未婚の第六代公爵の
やがて、1922年に第六代公爵が薨去し、三弟のエドワード卿が第七代として跡を継いだ。その長男が第八代として1976年に襲爵し2004年に薨去。その跡を継いだのが今回正統性に対して訴えられていた第九代となる。
さて、今回のポール・フィッツジェラルド氏の訴えは以下の通りである。
第一次大戦で戦死したと思われていたデズモンド卿だが、実は生きており、カナダに移り住んだ。これがポール氏の祖父である(ここでは、紛らわしいので、これを推定デズモンド卿と呼ぶ)。
死の間際、その推定デズモンド卿は娘、つまりポール氏の叔母に当たる
ポール氏の父親、つまりテレサ嬢の兄である
推定デズモンド卿が残した証拠とは、テレサ嬢によれば、家宝のコレクション及び法的な文書が入った荷物だったという。その荷物は1929年に貴族院の
テレサ嬢は「失われた」文書の中には、推定デズモンド卿が一代限りの継承権を辞退し、その子孫に継承権を戻させることを明らかにした文書があるに違いないと考えている。
テレサ嬢が発見したとする1933年7月に書かれた第七代公爵エドワード卿に当てたデズモンド卿の手紙と称するものがある。それには、エドワード卿が第七代公爵となるのは黙認するが、デズモンド卿の息子がその後を継ぐことを了解せよ、という内容になっている。
テレサ嬢によれば、推定デズモンド卿はリンスター公爵家の紋章を押したディケンズの小説を持っていたし、勲章や軍服、彼の祖母から伝わったという一連の真珠等があったという。また、彼のアイデンティティを記した文書を含んだトランクも覚えている。
ポール氏によれば、推定デズモンド卿が育った場所の話をしていたことを聞いており、ポール氏がレオナード氏とアイルランドを訪問したところ、推定デズモンド卿がレオナード氏に語っていた通りだったという。
また、Daily Telegraphがポール氏側がまだ持っている「証拠文書」を見たところ、そこにはデズモンド卿がカナダで新しい生活をはじめ、信託資金によって援助され、ポロの指導員としても働いていたことを主張する内容だったという。
テレサ嬢は祖父との約束を守る為、30年以上130万ポンドをかけて主張してきた。ポール氏側は、証拠集めとして、書簡類の収集の他、推定デズモンド卿のDNAサンプル採取、元召使いの宣誓証言の採集などを行ってきた。しかし、今回、大法官ファルコナー卿はそれらの証拠に満足しなかったという。
晴れて正統な第九代公爵と認められたモーリス・フィッツジェラルド卿とポール・フィッツジェラルド氏の主張がとちらが正しいかについては、私としてはそれを裁定する権威である大法官の裁定を尊重するしかないが、この件にはいくつか疑問点がある。以下様々な観点の疑問をのべつとなしに列挙してみる:
- 推定デズモンド卿の主張が正しいとすれば、何故身分を明かさなかったのか?1922年以前に存命を主張していれば、自身が継承できたはずである。テレサ嬢はデズモンド卿が10代の時に
アイルランド共和主義者同盟 に所属しており、アメリカへの連絡係をしていたことと、その後のアイルランド問題をあげているが、あまり説得力はないように思える。
- 「失われた」荷物には何が入っていたのか?何故失われたのか?テレサ嬢の照会の際に本当に妨害を受けたのか?そもそも本当にそれはポール氏の祖父の所有物だったのか?
- テレサ嬢の主張しているような、一代譲った後に相続を元に戻ることが可能か?通常、相続権の正否を争ってポール氏が勝った場合、そもそもその間の爵位の相続の正統性が無くなり、系図も変わってしまう。爵位の相続方法は有爵者の自由に出来るものではない。1922年に主張する時機を逸したとしても、何故そんな慣習的に認められていないことをするのか?
- 推定デズモンド卿の信託資金の出所は何か?
- DNAテストの結果をDaily Telegraphが書いていない。……… 等々。
これらの疑問点が残っているが、単にDaily Telegraphが流していない(もしくは私が捕捉・理解し切れていない)ニュースがあるのか。ポール・フィッツジェラルド氏はまだまだ争い続けると言っているので、これから色々と明らかになるのか。正統性云々の前に、野次馬的な興味は尽きない所ではある。大法官の結論が出る前に、ポール氏は「真実は小説よりも奇なり、と言うからね」と言ってていたが、これからの展開は果たして。
"Leinster"は地名としては「レンスター」と読みますが、称号としては「リンスター」と読みます。
本文中では特に言及していませんが、ポール・デズモンド氏は、いつかは把握していませんが、正統性を主張してからsurnameをフィッツジェラルドに正式に変えているようです。つまり、推定デズモンド卿はカナダへ渡ってから、surnameを変更していたことになります。変更したのが、確認していませんが、おそらくCaudhillなのでしょう(?)名前自体も、デズモンドではなく他の名を名乗っていたような気がしますが、ちょっと出てきてません。
記事内容に関係する人物のみの抄録(ref. Burke's Peerage Online Ed.)
ジェラルド・フィッツジェラルド [第5代リンスター公爵 ] b.1851-d.1893. suc.1887.-
モーリス [第六代リンスター公爵] b.1887-d.1922. suc.1893. 未婚デズモンド卿 b.1888-d.1916.(戦死)エドワード [第七代リンスター公爵] b.1892-d.1976. (自殺) suc. 1922.ジェラルド [第8代リンスター公爵] b.1914-d.2004. suc.1976モーリス [第9代リンスター公爵] b.1948-. suc.2004 当代リンスター公爵トマス [儀礼称号: オファリー伯爵 ] b.1974-d.1997.
ジョン卿 [推定相続人 ] b.1952-.
ただし、ポール側の主張する「エドワード卿の後に相続系統を戻す」方式ではなく、相続法であるheirs male of his bodyで考えている。本来相続すべき人物にはde jureの語を附す。
記事内容に関係する人物のみの抄録(ポール氏側の生没年はDaily Telegraphの記事内容から抜粋もしくは推定。)
ジェラルド・フィッツジェラルド [第五代リンスター公爵 ] b.1851-d.1893. suc.1887.-
モーリス [第六代リンスター公爵] b.1887-d.1922. suc.1893. 未婚デズモンド [de jure 第七代リンスター公爵] b.1888-d.1967.(大戦中戦死したと思われていたが、カナダへ移住していた) suc. de jure 1922.レオナード [de jure 第八代リンスター公爵] b.?-d.1994. suc. de jure 1967. (芸術家兼教師)ポール [de jure 第九代リンスター公爵] b.c.1967-. su. de jure 1994.(カリフォルニアにて建築会社経営)
テレサ・フィッツジェラルド a.k.a.テレサ・コードヒル b.c.1925-.
エドワード卿 b.1892-d.1976. (自殺)(第七代リンスター公爵を称する)ジェラルド・フィッツジェラルド b.1914-d.2004. (第八代リンスター公爵を称する)モーリス・フィッツジェラルド b.1948-. (第九代&当代リンスター公爵を称する)
- 参考文献
-
- Tom Peterkin, 'Battle Over Irish Dukedom Settled.' Telegraph.co.uk., Online. pub. 6:51am BST 24/04/2007.
- Olga Craig, 'DNA Tests and a Mystery Package in the £1m Battle Just for a Duke's Title.' Telegraph.co.uk., Online. pub. 1:37am BST 15/05/2006.
- Tom Peterkin and Catherine Elsworth, 'A Californian Claimant, an 'Escape' From the Trenches and the Fight for a Dukedom.' Telegraph.co.uk., Online. pub. 1:34am GMT 28/02/2006. (ポール氏の顔写真あり)
これはニュースと言うべきものなので、称号ニュースのほうで扱おうと思いましたが、ややこしい問題はこちらで扱う、という従来の方針通り、こちらで扱うことにしました。ニュース系内容ですので、称号カテゴリではなく、英諸島カテゴリになっています。

