[欧州地誌/Walesほか英諸島]

大法官、リンスター公爵正統性問題に裁定 / 2007-05-12 (土)

アイルランド首席公爵«Premier Duke in the peerage of Ireland»であるリンスター公爵«Duke of Leinster»の襲爵に対して異議が唱えられていた件で、英国大法官«Lord Chancellor»ファルコナー・オブ・ゼントン卿«Lord Falconer of Thornton»は、先代公爵の長男で第9代リンスター公爵を継承したとしているキルデア侯爵モーリス・フィッツジェラルド«Maurice FitzGerald, Mrquess of Kildare»(59歳。オックスフォードシャー在住)の襲爵の正統性を認めるとの裁定を下した。2007年4月24日付オンライン版Daily Telegraphが報じた。

カリフォルニア在住の建築業ポール・フィッツジェラルド«Paul FitzGerald»氏は正統な第9代公爵であると主張していたが、ファルコナー卿はポール側の証拠に満足しなかった、と憲法事項省«Department for Constitutional Affairs»報道官は述べている。

そもそも事の起こりは、第1次大戦にさかのぼる。

当時、第五代公爵はすでに無く、長男モーリス«Maurice»が跡を継いで第六代公爵となっていた。彼には二人の弟があり、次男デズモンド«Desmond»、三男エドワード«Edward»がいた。

このうち次男のデズモンド卿は第1次大戦で戦死した。したがって、三男のエドワード卿が未婚の第六代公爵の推定相続人«heir presumptive»となった。

やがて、1922年に第六代公爵が薨去し、三弟のエドワード卿が第七代として跡を継いだ。その長男が第八代として1976年に襲爵し2004年に薨去。その跡を継いだのが今回正統性に対して訴えられていた第九代となる。

さて、今回のポール・フィッツジェラルド氏の訴えは以下の通りである。

第一次大戦で戦死したと思われていたデズモンド卿だが、実は生きており、カナダに移り住んだ。これがポール氏の祖父である(ここでは、紛らわしいので、これを推定デズモンド卿と呼ぶ)。

死の間際、その推定デズモンド卿は娘、つまりポール氏の叔母に当たるテレサ・コードヒル«Theresa Caudhill»嬢に自らの身分の証拠を残したことを告げ、それを追っていくようにと告げたという。

ポール氏の父親、つまりテレサ嬢の兄であるレオナード«Leonard»氏も、第7代公爵が1976年自殺した後に同様のクレームをしているが、ポール氏曰く、健康問題から取り下げるように医師に忠告され、取り下げたという。レオナード氏は1994年に死去した。

推定デズモンド卿が残した証拠とは、テレサ嬢によれば、家宝のコレクション及び法的な文書が入った荷物だったという。その荷物は1929年に貴族院の国璽部«Crown Office»に当時のウェイルズ公(後のエドワード八世)らの立ち会いのもと収蔵された。しかし、テレサ嬢が貴族院に引き渡すように要求したところ、彼女曰く妨害にあったという。また、ポール氏が大法官府«The Lord Chancellor's Department»の後身である憲法事項省«Department for Constitutional Affairs»に照会したところ、置き場所を間違えたといわれたという。ある文書保管人がその存在自体を確認したことがあるが、現在は「失われた«lost»」ようだという。

テレサ嬢は「失われた」文書の中には、推定デズモンド卿が一代限りの継承権を辞退し、その子孫に継承権を戻させることを明らかにした文書があるに違いないと考えている。

テレサ嬢が発見したとする1933年7月に書かれた第七代公爵エドワード卿に当てたデズモンド卿の手紙と称するものがある。それには、エドワード卿が第七代公爵となるのは黙認するが、デズモンド卿の息子がその後を継ぐことを了解せよ、という内容になっている。

テレサ嬢によれば、推定デズモンド卿はリンスター公爵家の紋章を押したディケンズの小説を持っていたし、勲章や軍服、彼の祖母から伝わったという一連の真珠等があったという。また、彼のアイデンティティを記した文書を含んだトランクも覚えている。

ポール氏によれば、推定デズモンド卿が育った場所の話をしていたことを聞いており、ポール氏がレオナード氏とアイルランドを訪問したところ、推定デズモンド卿がレオナード氏に語っていた通りだったという。

また、Daily Telegraphがポール氏側がまだ持っている「証拠文書」を見たところ、そこにはデズモンド卿がカナダで新しい生活をはじめ、信託資金によって援助され、ポロの指導員としても働いていたことを主張する内容だったという。

テレサ嬢は祖父との約束を守る為、30年以上130万ポンドをかけて主張してきた。ポール氏側は、証拠集めとして、書簡類の収集の他、推定デズモンド卿のDNAサンプル採取、元召使いの宣誓証言の採集などを行ってきた。しかし、今回、大法官ファルコナー卿はそれらの証拠に満足しなかったという。

晴れて正統な第九代公爵と認められたモーリス・フィッツジェラルド卿とポール・フィッツジェラルド氏の主張がとちらが正しいかについては、私としてはそれを裁定する権威である大法官の裁定を尊重するしかないが、この件にはいくつか疑問点がある。以下様々な観点の疑問をのべつとなしに列挙してみる:

  • 推定デズモンド卿の主張が正しいとすれば、何故身分を明かさなかったのか?1922年以前に存命を主張していれば、自身が継承できたはずである。テレサ嬢はデズモンド卿が10代の時にアイルランド共和主義者同盟«Irish Republican Brotherhood»
  • に所属しており、アメリカへの連絡係をしていたことと、その後のアイルランド問題をあげているが、あまり説得力はないように思える。
  • 「失われた」荷物には何が入っていたのか?何故失われたのか?テレサ嬢の照会の際に本当に妨害を受けたのか?そもそも本当にそれはポール氏の祖父の所有物だったのか?
  • テレサ嬢の主張しているような、一代譲った後に相続を元に戻ることが可能か?通常、相続権の正否を争ってポール氏が勝った場合、そもそもその間の爵位の相続の正統性が無くなり、系図も変わってしまう。爵位の相続方法は有爵者の自由に出来るものではない。1922年に主張する時機を逸したとしても、何故そんな慣習的に認められていないことをするのか?
  • 推定デズモンド卿の信託資金の出所は何か?
  • DNAテストの結果をDaily Telegraphが書いていない。……… 等々。

これらの疑問点が残っているが、単にDaily Telegraphが流していない(もしくは私が捕捉・理解し切れていない)ニュースがあるのか。ポール・フィッツジェラルド氏はまだまだ争い続けると言っているので、これから色々と明らかになるのか。正統性云々の前に、野次馬的な興味は尽きない所ではある。大法官の結論が出る前に、ポール氏は「真実は小説よりも奇なり、と言うからね」と言ってていたが、これからの展開は果たして。

"Leinster"は地名としては「レンスター」と読みますが、称号としては「リンスター」と読みます。

本文中では特に言及していませんが、ポール・デズモンド氏は、いつかは把握していませんが、正統性を主張してからsurnameをフィッツジェラルドに正式に変えているようです。つまり、推定デズモンド卿はカナダへ渡ってから、surnameを変更していたことになります。変更したのが、確認していませんが、おそらくCaudhillなのでしょう(?)名前自体も、デズモンドではなく他の名を名乗っていたような気がしますが、ちょっと出てきてません。

家系図1:現在正統と認められているリンスター公爵家の家系図

記事内容に関係する人物のみの抄録(ref. Burke's Peerage Online Ed.)

ジェラルド・フィッツジェラルド«Gerald FitzGerald» [第5代リンスター公爵«5th Duke of Lenster»] b.1851-d.1893. suc.1887.
  1. モーリス«Maurice» [第六代リンスター公爵] b.1887-d.1922. suc.1893. 未婚
  2. デズモンド卿«Lord Desmond» b.1888-d.1916.(戦死)
  3. エドワード«Edward» [第七代リンスター公爵] b.1892-d.1976. (自殺) suc. 1922.
    1. ジェラルド«Gerald» [第8代リンスター公爵] b.1914-d.2004. suc.1976
      1. モーリス«Maurice» [第9代リンスター公爵] b.1948-. suc.2004 当代リンスター公爵
        1. トマス«Thomas» [儀礼称号: オファリー伯爵«Coutesy known as Earl of Offaly»] b.1974-d.1997.
      2. ジョン卿«Lord John» [推定相続人«heir presumptive»] b.1952-.
家系図2:ポール・フィッツジェラルド側が主張する家系図

ただし、ポール側の主張する「エドワード卿の後に相続系統を戻す」方式ではなく、相続法であるheirs male of his bodyで考えている。本来相続すべき人物にはde jureの語を附す。

記事内容に関係する人物のみの抄録(ポール氏側の生没年はDaily Telegraphの記事内容から抜粋もしくは推定。)

ジェラルド・フィッツジェラルド«Gerald FitzGerald» [第五代リンスター公爵«5th Duke of Lenster»] b.1851-d.1893. suc.1887.
  1. モーリス«Maurice» [第六代リンスター公爵] b.1887-d.1922. suc.1893. 未婚
  2. デズモンド«Desmond» [de jure 第七代リンスター公爵] b.1888-d.1967.(大戦中戦死したと思われていたが、カナダへ移住していた) suc. de jure 1922.
    1. レオナード«Leonard» [de jure 第八代リンスター公爵] b.?-d.1994. suc. de jure 1967. (芸術家兼教師)
      1. ポール«Paul» [de jure 第九代リンスター公爵] b.c.1967-. su. de jure 1994.(カリフォルニアにて建築会社経営)
    2. テレサ・フィッツジェラルド«Lady Teresa FitzGerald» a.k.a.テレサ・コードヒル«Teresa Caudhill» b.c.1925-.
  3. エドワード卿«Lord Edward» b.1892-d.1976. (自殺)(第七代リンスター公爵を称する)
    1. ジェラルド・フィッツジェラルド«Gerald FitzGerald» b.1914-d.2004. (第八代リンスター公爵を称する)
      1. モーリス・フィッツジェラルド«Maurice FitzGerald» b.1948-. (第九代&当代リンスター公爵を称する)
参考文献
  1. Tom Peterkin, 'Battle Over Irish Dukedom Settled.' Telegraph.co.uk., Online. pub. 6:51am BST 24/04/2007.
  2. Olga Craig, 'DNA Tests and a Mystery Package in the £1m Battle Just for a Duke's Title.' Telegraph.co.uk., Online. pub. 1:37am BST 15/05/2006.
  3. Tom Peterkin and Catherine Elsworth, 'A Californian Claimant, an 'Escape' From the Trenches and the Fight for a Dukedom.' Telegraph.co.uk., Online. pub. 1:34am GMT 28/02/2006. (ポール氏の顔写真あり)

これはニュースと言うべきものなので、称号ニュースのほうで扱おうと思いましたが、ややこしい問題はこちらで扱う、という従来の方針通り、こちらで扱うことにしました。ニュース系内容ですので、称号カテゴリではなく、英諸島カテゴリになっています。

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ウェイルズ公、陸海空軍大将に昇任なされる / 2006-11-15 (水)

13日付オンライン版Daily Telegraphによると、英国国防省はウェイルズ公チャールズ王子の陸海空軍に於ける階級をそれぞれ中将から大将へと昇任させることを発表した。

これは14日のウェイルズ公58歳の誕生日にあわせたものと考えられる。国防省スポークスマンは公の同僚に階級を合わせるための措置としている。

王族としてウェイルズ公の昇任は誕生日にあわせたものが近年は多い。まぁ、若い頃はともかく今は名誉昇任的な意味合いだからでしょう。昔は陸海空軍ばらばらの昇任だったように思いますが、最近はまとめて昇任しておられます。将官以降の昇格履歴は以下の通り。

  • 1998年11月14日 (50歳) 陸海空軍少将 - Major General, Rear Admiral, Air Vice Marshal
  • 2002年11月14日 (54歳) 陸海空軍中将 - Lieutenant General, Vice-Admiral, Air Marshal
  • 2006年11月14日 (58歳) 陸海空軍大将 - General, Admiral, Air Chief Marshall
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プライド・カムリ、ウェイルズ外相創設とウェイルズ公位廃止を狙う / 2006-08-24 (木)

8月8日付のWestern Mail紙のTomos Livingstone氏の署名記事に、ウェイルズの政党Plaid Cymru«プライド・カムリ»のMP Adam Price氏が、ウェイルズの祭であるNational Eisteddfodが開かれているスウォンジーにて、ウェイルズ自治政府も外相を持つべきだという意見をぶち上げたことが載っていました。

EU/UN内でのウェイルズの立場を高める為に、ウェストミンスターを通じる現在の形ではなく、ウェイルズ独自に動くべきとのことです。香港やマカオ並みの立場となるべきといっています。プライド・カムリのほかのMPはケベックの例を引き出し、独自の外交戦略を持つことの意味を説いていますが、ウェイルズの労働党は、まぁ、当然ながら冷淡な反応を示しています。

もう一つプライス氏がぶち上げたのは、Prince of Walesという称号の廃止に関する住民投票を行うことです。記事によればこれは元々プライド・カムリが共和主義的な立場であることが問題のようですが、大義名分として党が言っているように、エドワード一世の征服以来イングランド王位継承者がこの称号をもっていることが問題となっていると思われます。

はっきりいって、Prince of Wales=イングランドの図式で思っているウェイルズ人はかなり多いです。まぁ、実際そのとおりなのですが。

どうせなら、中世の王国の直系子孫を探し出してきて復古運動してみませんか、プライス氏。あ、リパブリカンだから無理か。

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[欧州地誌]

ルクセンブルクのルイ大公子、継承権放棄の上で結婚を決意 / 2006-08-24 (木)

今年3月にガールフレンドのテシー・アンソニー嬢«Miss Tessy Anthony»との間に未婚のまま男子ガブリエル«Gabriel»を儲けたルクセンブルクのルイ大公子殿下«HRH Prince Louis of Luxembourg»がテシー嬢と9月29日に結婚する事になりました。

テシー嬢の出産の際には殿下が19歳であることが問題視されましたが、結局結婚するということに落ち着いたようです。ただし、結婚と同時にルイ大公子は大公位継承権を放棄することになりました。この結婚と放棄によってによって、身分・称号関係は以下のようになります。今思いつく分のみ列挙

  1. Prince Louis自体はHRHおよびPrince Louis of Luxembourgを保持。
  2. TessyおよびGabrielはいかなる称号をも帯びない。
  3. 一家(Tessy, Gabrielおよびその後に生まれる家族)は'de Nassau'という家名を有する。
  4. Prince Louisおよびその子孫はルクセンブルク大公位の継承権を喪失する。
  5. 将来TessyとGabrielが何らかの称号をもらうことはあり得る。
  6. Gabrielは婚姻外«out of wedlock»で生まれたので庶出子だったが、両親の結婚により準正される。

2006年2月のdecreeでルクセンブルク大公家のfamily nameは'Nassau'から'de Nassau'となったようです。


[欧州地誌]

ユーゴスラヴィア太子をセルビア首相に? - 太子は拒否 / 2006-07-18 (火)

2006年7月12日付のセルビアの新聞Kurirに、「セルビアの首相にアレクサンダル太子を!」という意見があることが載ったようです。亡命政府が言っているのかな? その理由としては、急進的な勢力の拡大を防ぐ為に、民主主義用語に太子が積極的な役割を果たすべきだ、というのが要旨です。

これに対し、ユーゴスラヴィア太子府は同日王室皇室ウェブサイトにてプレスリリースを出し、太子自ら次のような文面で首相の職に就く可能性を否定しました。

立憲議会君主制の原則とは政治の上に位置し、一体性、継続性および安定性を提供するものである。君主は君臨し、政府は統治する。君主は政党の一員ではなく、どの政党の贔屓をしない。

・・・・・・・・・・・・・・・

我々がセルビアに必要なのは、これ以上の論争を避け、民主的に選ばれた政府に国を統治するという職務を続ける事ができるようにする中立の国家元首である。これは立憲議会君主制によって達成でき得る。

・・・・・・・・・・・・・・・

我々がセルビアで必要なのは、立憲議会君主制を通してもたらされる尊敬に足りよく証明されている新たなイメージである。アレクサンダル太子は皆をその政治的見解、宗教民族に関係なく束ねる用意ができている。

このようにアレクサンダル太子殿下はあくまで立憲君主制による王政復古を目指すものであり、首相として政治参加はしないことを明言しました。これは自らは君主と正当な権利をあくまで有しているので、政治参加することによって自らの立憲君主としての正当性の一貫性を壊すつもりは無い、ということでしょう。この辺は、いみじくも柳様がコメント欄でご指摘くださったように「格」を落としてでも実利を得ようというブルガリアのシメオン二世へ以下のアプローチと対照的ではあります。

さて、セルビアに引き続いて旧ユーゴスラビア王国の一員だったスロヴェニアからの話です。

7月17日が太子の誕生日なのですが、7月14日付の太子府のプレスリリースによると、スロヴェニアの大統領ヤネス・ドルノウシェク博士より太子妃殿下共々17日にスロヴェニアを首都リュブリャナ訪問するよう招待を受けたとのことです。

セルビアとスロヴェニアの友好関係強化のためにスロヴェニアを訪問したがっていた大使はもちろん承諾され、17日にはスロヴェニアにて61歳の誕生日を祝われたようです。

基本的にユーゴスラビア王室は「セルビア」であり、セルビア主義から離れて独立したスロヴェニアにとって見れば、セルビア色が強すぎるような存在というイメージがありますが、皆をその政治的見解、宗教民族に関係なく束ねる用意ができている太子にとっては今回の招待は面目躍如といったところでしょう。

これからの王政復古の機運盛り上がりに期待したいところです。まぁ、したとしてもセルビア単独でしょうが

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[欧州地誌/Walesほか英諸島]

エリザベス二世女王陛下80歳公式誕生日礼拝式出席者一覧(抄) Part. II / 2006-06-29 (木)

元々The Timesに掲載されていた6月16日に聖ポール大聖堂で行われたエリザベス二世女王の公式誕生日礼拝式の出席者一覧の続編です。

諸外国の王族

  • アレクサンダル・ユーゴスラヴィア太子カタリナ太子妃両殿下 (TRH Crown Prince Alexander and Crown Princess Katherine of Yugoslavia)
  • マルガリータ・バーデン大公女殿下(HGDH Princess Margarita of Baden)

Princess Margarita of Badenの母君はPrince Greece and Denmarkでエディンバラ公爵の姪ということになります。ついでに、確か離婚しておられますが、ユーゴスラヴィア王室に嫁いでおられました。

英連邦

一部敬称略の場合あり
  • 英連邦事務総長ドン・マッキノン閣下(HE the Rt Hon. Don McKinnon, Commonwealth Secretary-General)
  • アンティグア・バーブーダ総督サー・ジェイムズ・カーライル閣下 レイディ・カーライル夫妻(TE Sir James Carlisle, Governor-General of Antigua and Barbuda and Lady Carlisle)
  • ニュージーランド総督デイム・シルヴィア・カートライト閣下 ピーター・カートライト氏夫妻 (TE Dame Silvia Cartwright Governor-General of New Zealand and Mr Peter Cartright)
  • バハマ総督アーサー・ディオン・ハナ閣下夫妻 (TE Mr Arthur Dion Hanna, Govenor-General of The Bahamas and Mrs Hanna)
  • バルバドス総督サー・クリフォード・ハズバンズ閣下 レイディ・ハズバンズ夫妻(TE Sir Clifford Husbands and Lady Husbands)
  • オーストラリア総督マイクル・ジェフリー退役少将閣下夫妻 (TE Major-General Michael Jeffery, Retd, Governor-General of the Commonwealth of Australia and Mrs Jeffery)
  • ソロモン諸島総督サー・ナサニエル・ワイナ閣下 レイディ・ワイナ夫妻(TE Sir Nathaniel Waena, Governor-General of the Solomon Islands and Lady Waena)
  • グレナダ総督サー・ダニエル・ウィリアムズ閣下 レイディ・ウィリアムズ夫妻 (TE Sir Daniel Williams, Governor-General of Grenada and Lady Williams)
  • 他各国外交団も列席した模様

TEはTheir Excellenciesです。Joint form(二人以上、この場合は夫婦、を組み合わせる形)は多分これで良いはずです。校正抜けがあるかもしれませんが

他にも貴族関係や聖職者関係を抜き出そうかとも思ったのですが、今回のシリーズはこれで終了致します。いずれウェブサイトを作成・整理する時には、そちらで対応できればと思います。

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[欧州地誌]

サヴォイア公爵事件がブルガリアに飛び火? / 2006-06-23 (金)

先日イタリアでサヴォイア公爵が逮捕されましたが、ブルガリアのシメオン二世に飛び火しそうな流れになってきました。

シメオン二世とは旧ブルガリア王国の最後国王で、退位しているわけではないので、シメオン二世と称する権利もありますが、現ブルガリアではSimeon Saxcoburggotski(英語ではSimeon Saxe-Coburgと英語形で書かれることがある)と名乗っています。前政権時に首相を務めました(国会議員ではない)。

6月21日付Sofia News Agencyの記事によると:イタリア当局から送られてきた書類の中に前首相シメオン二世の名前があった、とブルガリア内務相が発表したということです。

同記事は、サヴォイア公爵とイタリアの実業家Pierpaolo Cerani氏に対して、選挙時での協力の見返りとして、ブルガリア国内での便宜の約束と金銭のやり取りがあったのではないかという、イタリアのメディアの記事を引いています。また同イタリア紙によるとCerani氏は容疑を否定しているという事です。

ブルガリア検察当局は月曜日にも詳細な調査を開始するとのことですが、21日のStandartの記事ではではシメオン二世の弁護士はシメオン二世が調査を受けているとの話を否定しています。弁護士曰く「サヴォア公爵とCerani氏とのやり取りの中でシメオン二世の名前が出ただけ」とのことですが、今後の展開次第では(もし嫌疑が晴れ逮捕・検挙されなくとも)シメオン二世の政界引退へとつながるようにも思われます。

ちなみにサヴォイア公爵とシメオン二世は従兄弟同士です。シメオン二世の母君はブルガリア国王ボリス三世の王妃イオアンナですが、この方がそもそもPrincess Giovanna of Italy (Savoy)で、サヴォイア公爵の父ウンベルト二世の妹になります。

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エリザベス二世女王陛下80歳公式誕生日礼拝式出席者一覧(抄) Part. I / 2006-06-20 (火)

6月16日に聖ポール大聖堂で行われたエリザベス二世女王の公式誕生日礼拝式の出席者一覧です。元々The Times掲載のものです。主な方々だけをここでは抜粋しています。

英国王族(配偶者含む)及び近親者

  • 女王陛下(HM The Queen)
  • エディンバラ公爵殿下(HRH The Duke of Edinburgh)
  • ウェイルズ公殿下(HRH The Prince of Wales)
  • ウィリアム王子殿下(HRH Prince William of Wales)
  • ヘンリー王子殿下(HRH Prince Henry of Wales)
  • ヨーク公爵殿下(HRH The Duke of York)
  • ビアトリス王女(HRH Princess Beatrice of York)
  • ウェセックス伯爵同夫人両殿下(TRH The Earl and Countess of Wessex)
  • プリンセス・ロイヤル殿下ティモシー・ローレンス海軍少将夫妻(HRH The Princess Royal and Rear-Admiral Timothy Laurence)
  • リンリー子爵夫妻(Viscount and Viscountess Linley)
  • ダニエル・チャットー氏 レイディ・セーラ・チャットー夫妻(Mr Daniel Chatto and Lady Sarah Chatto)
  • グロスター公爵同夫人両殿下(TRH The Duke and Duchess of Gloucester)
  • アルスター伯爵夫妻(Earl and Countess Ulster)
  • ギャリー・ルイス氏 レイディ・ダヴィナ・ルイス夫妻(Mr Gary Lewis and Lady Davina Lewis)
  • レイディ・ローズ・ウィンザー(Lady Rose Windsor)
  • ケント公爵殿下(HRH The Duke of Kent)
  • サント・アンドリュース伯爵夫妻(Earl and Countess of St Andrews)
  • ニコラス・ウィンザー卿(Lord Nicholas Windsor)
  • マイケル王子・同妃両殿下(TRH Prince and Princess Michael of Kent)
  • フレデリック・ウィンザー卿(Lord Frederick Windsor)
  • アレクサンドラ妃殿下[ケント公爵未亡人] (HRH Princess Alexandra)
  • ジェイムズ・オギルヴィ夫妻(Mr and Mrs James Ogilvy)
  • マリアナ・オギルヴィ嬢(Miss James Ogilvy)
  • ソルトーン卿(Lady Saltoun)

マウントバッテン系親戚の出席者

  • ミルフォード・ヘイヴン侯爵夫妻(The Marquess and Marchioness of Milford Haven)
  • アイヴァー・マウントバッテン卿夫妻(Lord and Lady Ivar Mountbatten)
  • フィリップ・ナッチブル氏夫妻(Hon Philip and Mrs Knatchbull)
  • ティモシー・ナッチブル氏夫妻(Hon Timothy and Mrs Knatchbull)
  • チャールズ・エリングワース氏レイディ・アマンダ・エリングワース夫妻 (Mr Charles and Lady Amanda Ellingworth)

主な王室関係者のうち欠席者は以下の通り: コーンウォール公爵夫人殿下(服喪中)、ユージニー王女殿下(GCSE試験のため)、ピーター・フィリップス氏、ザラ・フィリップス嬢、ケント公爵夫人殿下、ティモシー&ヘレン・テイラー夫妻。

また、マウントバッテン系の親戚のうち、レイディ・タチアナ・マウントバッテン、メディナ伯爵、マウントバッテン・オブ・ブーマ伯爵夫人、ブラボーン卿夫妻、レイディ・パメラ・ヒックス他は欠席。

Lady Saultonはヴィクトリア女王の3男コンノート公爵(HRH The Duke of Connaught)の娘Princess Patricia of Cannaughtの息子であるCapt. Alexander Ramsey of Mar(故人)の妻。つまり、女王の縁戚だが、王室と非常に親しいようで、Timesの記事にもオギルヴィに続いて書かれていたので、ここに含めた。

初版: 2006-06-20T15:25:00+09:00 例によって誤字・脱字・誤記・誤変換の可能性があります。

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