[外篇/ここに関するメモ]

Ineffabilis!は改築移転いたしました。 / 2009-12-08 (火)

長らく更新が止まっていた拙ブログですが、以前よりご連絡していましたように、諸々の事情からrnoteから変更することとなりました

それに伴い、コンテンツの整理・再構築を漸次進めてまいりましたが、ようやく一通りの形になりましたので、ここにお知らせするとともに、本ブログシステムでの運用の停止をご連絡いたします。

本ブログ自体に関しては不測の事態に備えてしばらく閲覧可能としますが、コメント書き込み機能を停止致します。

新サイトの方でも徐々に記事連載を復活させていきたいと思っておりますので、過去ログへのコメントも含め、新システムの方へ宜しくお願い致します。

ドメイン自体は同じbalchder.jpですが、xoopsの都合上URLが変更になります。また、これまでIneffabilis!に集約していたコンテンツも分散しています。

本rnoteシステムのIneffabilis!は、blosxomシステム時代から数えて2代目でした。rnote自体は非常に使いやすく柔軟性のあるシステムでしたが、開発更新停止のあおりを受けて、スパムなどの対策は脆弱でした

コメント機能を使用せずにウェブ管理者のみが更新するCMSとしては今でも非常に使い勝手いいのですが、拙Ineffabilis!は皆様のフォローによって成り立っていますので、コンテンツと密接につながるコメント機能が必須でした。

上記の状況から今回の改築移転作業を決断したものであり、皆様にはご理解の上、新システム上の各コンテンツもご愛顧いただければと思っております。

コンテンツ移転先

Ineffabilis!!!

本ブログの移転先です。称号・名を中心に世界の文化と歴史を見つめます。

蜜柑と御掻で雑感綴り

本ブログで雑感と称して書いていたものがありましたが、基本的にブログの方針に合わせて政治的な話は排除していました。この新しいブログは政治の話も含めて「雑感」を綴っていくものです。

決して学術的・論理的に検証した内容ではなく、炬燵でみかんとおかきを食べながら呟いている様を想像してお読みください。

foxtailsoup

各コンテンツへのポータルです。

以上よろしくお願いいたします。


[日本地誌/その他の畿内]

滝川橋(滋賀県甲賀市) / 2009-10-12 (月)

最近仕事で国道307号線を通って滋賀県甲賀市を抜けていくことが多いのですが、信楽から水口ぐらいまでは近江グリーンロードという名称で山道とはいえ「良い道」が作られています。

その途中に「滝川橋」という橋があるのですが、この端の両端には、こんなのがいます。

滝川橋の蛙1 滝川橋の蛙2 滝川橋の蛙3

滝川橋の蛙(2009年10月9日撮影)

この滝川という川については水が流れている音がしているのですが、木々が生い茂っているために見ることが出来ませんでした。というか、結構高いので、高所恐怖症の私は長時間下を眺めていることが出来なかったのです…。

滝川の下流側 滝川の上流側

滝川橋上流側と下流側(2009年10月9日撮影)

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[馬/轡心日記]

踏まれましたが、元気です。 / 2009-10-12 (月)

台風一過、秋の色が日に日に濃くなってきておりますが、皆様いかがお過ごしでしょうか?。

本Ineffabilis!の更新が全くなされていないことに対してお詫び申し上げます。仕事面でいろいろ忙しく、筆無精ぶりに拍車がかかっておりますので、サイト再構築が進んでおらず、それに伴って更新に足るような内容の執筆も進んでおりません。

一方で、憂さ晴らしと体力作りもかねて、一時期停滞していた乗馬も最近は積極的に行くようにしています。

先々週に行ったときに写真を撮ってきましたので、近況ご報告代わりにアップロードしておきます。

サイキョウリズム サイキョウリズムと私

騎乗前のサイキョウリズムと私(2009年10月3日撮影)

乗馬クラブもいろいろ変わっていきます。先日ある馬(上記とは別の馬)が腸捻転か何かで無くなったことをネットを見ていたら知りました。洗い場の表示は変わっていませんでしたが、確かに馬房は空になっていました。

馬(サラブレッド)は非常に繊細且つ弱い生き物です。

ちょっとしたことで死につながる病気や怪我をしてしまいます。

私はこの馬には乗ったことがありませんでしたが、乗ったことがある人なら、空になった馬房を見て、改めて「命」の尊さを知ることになるでしょう。

乗馬クラブには小さい子供が多くいますが、この子等がこの馬の死から何かを学んでくれれば、この馬も天で微笑んでくれるでしょう。

お疲れ様、ラストメイチャー

お疲れ様、ラストメイチャー(2009年10月3日撮影)

こうして現役中に急に生涯を閉じる馬もいれば、老齢まで頑張って勇退という馬もいます。

私も乗ったことがあるラストメイチャーが11月をもって勇退するようです。御年25歳(人間年齢に換算すると大体60代後半)。今後はゆっくり予定を過ごして欲しいです。

そういったことをいろいろ思いながら最近は3級を目指しつついろいろやっているんですが、先週の10月10日の土曜日、乗り終わって、その時に乗った馬の右手に立ち、顔を拭いていました。

ぐらっ…。

馬が右に傾きました。

あれっ…。

お、重い、って踏んでる、踏んでるぅ。

足が平べったくなっていく感触…。

急いで馬を左にどけ、洗い場を走って指導員を捜して言いました。

「踏まれた踏まれた!」

実際、骨には何も影響なく、左足の第二趾、第三趾、第四趾の打撲でした。

特に第二趾は爪の付け根部分から出血があり、若干赤くなって腫れており、押すと痛いのですが、まぁ、何とか大丈夫です。

普通、乗馬ではしっかりと気をつけていれば踏まれません。

私は馬術部に1年だけ居た関係で、中途半端に慣れてしまっており、ぼけらーっとしながらやっているから、こういった事態になっているわけです。

実際、私はある馬に1回、もう一頭の馬に2回噛まれてしまっています。 さらにまた今回違う馬に踏まれてしまうと言うことになったわけです。

あはははは。

まぁ、実はこういった事件もうまく使っていけばより馬と良い関係を気づけていくことになります。2回噛んで来た馬も、今は乗ることになって洗い場で会えば、「また、お前かぁ~」と言う顔で迎えてきます。レッスンの間も「お前やったら、しゃあないなぁ」という感じで、以前よりうまくコンタクトが取れているように思います。

おそらく今回踏んできた馬も、次回会えば「すまんすまん、お前が顔拭くから捩れてしもてん。体重はかけてなかったやろ?」という様な顔で嘶いてくれるでしょう。

こういったことがあるから馬は良いんですよねぇ。

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[称号・名/称号]

女王陛下から招待を受けたなら… / 2009-01-25 (日)

仮に皆さんが英国人であったとします。そこでどういう繋がりでか、女王陛下からバッキンガム宮殿でのアフタヌーンパーティの招待状を受け取ったとしましょう。

話をシンプルにするために英国人としています。日本人相手では話は少し変わってくるかもしれませんので。

これはどのように扱えばよいでしょうか?

出席するときは?

欠席するときは?

Debrett's Correct Formの解説を基に考えてみましょう。(1)

我々の普通の一般的なパーティへの招待状の時、R.S.V.P "repondez s'il vous plait"(フランス語で「ご返信ください」の意)と書かれていれば、要返信なので返信することになっています。

日本の慣習と同じようなもので、出席ならば出席、欠席ならば欠席と返信すればよいわけです(そのパーティのフォーマル度合いによって差異は生じますが)。

しかし、女王陛下からの招待状は異なります。

女王陛下の「ご招待」は「命令」です。

したがって、招待状およびその返事も、「命令」であることを意識したものとなります。

女王陛下から招待状が来る場合、女王陛下からは直接招待状が来ません

あくまで、以下の3人を通して送られ、それぞれの取り扱い範囲が決まっています。

王室家政長官«Lord Steward of the Household»

公式晩餐会«State Banquet»

Lord Stewardは本来は王室の家宰を司る職で政府の一員に名を連ねていた職。現在は事実上名目のみの職であり、本来の職掌である家宰の取り締まり、王室の財政面に関しては下記の"Master of the Household"に委ねられている。しかしながら、国賓の訪問時に女王に侍ったり、公式晩餐会のゲストを女王及びエディンバラ公に紹介する役を負ったり、儀礼的な機会に重要な役を預かっている。したがって、その「重い」役どころは変わらず、宮中第一の職であり、絶えずpeerが君主自らによって任命される。現任者は第5代アバコーン公爵«The 5th Duke of Abercorn»

この職を高等国務卿«Great Officers of State»の一人で世襲職である大家令«Lord High Steward»と混同してはならない。

王室侍従長«Lord Chamberlain of the Household»

園遊会«Garden Party»、冠婚葬祭などの主要宮中行事。

Lord Chamberlainは宮中の行事を取り締まる職である。ただし、かつては非常に重要な行政職であったが、現在は日々の事務は君主附私設秘書官«Private Secretary to the Sovereign»や"Master of the Household"が実務を取り仕切るため、Lord Chamberlainはパートタイムの職となっている。現在のもっぱらの仕事は上記のような宮中行事実施の際の儀礼担当及び宮内各部署長官の調整、王室と庶民院との窓口役などである。絶えずpeerが任命され、現任者は第3代ピール伯爵«The 3rd Earl of Peel»である。

この職を高等国務卿«Great Officers of State»の一人で世襲職である式部卿«Lord Great Chamberlain»と混同してはならない。

王室家政官«Master of the Household»

バッキンガム宮殿及びその他の女王の御在所における女王主催の王室行事。

Master of the Householdは王室内の事柄を管轄する。王室の司厨、公的な催し、その他王室内の家政スタッフ等を管轄するほか、女王及び王族の御在所の訪問客に対する歓待等を管轄する。現任者はデイヴィッド・ウォーカー空軍少将«Air Vice-Marshal David Walker»

招待状の文例

さて、冒頭で仮定したバッキンガム宮殿でのアフタヌーンパーティはMaster of the Householdの管轄である。したがって、招待状はMaster of the Householdの名で出される。

その文面例は以下の通りになる (Debrett'sの文面例をこの記事の例に合わせて変更)。この文面は一例であって、実際の文の構成は異なる場合があります。

The Master of the Household
is Commanded by Her Majesty to invite
Mr and Mrs Anthony Banks
to an Afternnon Party at Backingham Palace
on Sunday, 25 January from 4 to 6.30 o'clock.

臣、王室家政官は
アンソニー・バンクス夫妻を
1月25日日曜日の4時から6時30分までの
バッキンガム宮殿でのアフタヌーンパーティに
招待するように陛下よりご命令を受けました。

ここで注目すべきは、この文面で「命令«Command»」という語が使われているわけですが、この女王陛下の使用人たるMaster of the Householdは「招待状を送る」命令を受けているわけではなく、「招待する」命令を受けているわけです。

さて、この様に使用人を通して招待という名の命令を受けた事になりますので、その返事もそれを踏まえるようにします。

招待を受ける場合の返信

基本的には「命令」を反映させた所以外は、フォーマルな返信のマナーを踏襲します。ポイントは「私(達)は」と書くのではなく、招待されている人名を用いて、誰が招待されたのかと言うことを明確にすることです。

Mr and Mrs Anthony Banks present their compliments to the Master of the Household, and have the honour to obey Her Majesty's Command to the Afternoon Party at Backingham Palace on Sunday, 25 January at 4 o'clock.

アンソニー・バンクス夫妻は王室家政官に謝意を表し、1月25日日曜日の4時にバッキンガム宮殿でのアフタヌーンパーティへ出席するようにとの陛下のご命令に従う栄誉に浴させて頂きます。

招待を断る場合の返信

女王陛下のご招待は命令ですので、出席を断る理由を明記せねばなりません。その場合、「先約があるので…」というのは命令を拒否するのに十分な理由とは見なされませんので注意が必要です。

実際の所女王陛下からの招待を断るような状況と言えば、身内が病気であるといったやむを得ない事情であることが多いでしょう。また、他のより単純な理由で出席したくないという場合でも、そういった理由に仮託して返事することになるでしょう(別に仮病かどうかなどは調査されませんので)。

下記ではバンクス夫人の病気を理由にして辞退しています。

Mr and Mrs Anthony Banks present their compliments to the Master of the Household, and much regret that they will be unable to obey Her Majesty's Command to the Afternoon Party at Backingham Palace on Sunday, 25 January at 4 o'clock owing the illness of Mrs Banks.

アンソニー・バンクス夫妻は王室家政官に謝意を表させて頂きます。1月25日日曜日の4時にバッキンガム宮殿でのアフタヌーンパーティへ出席するようにとの陛下のご命令に対し、バンクス夫人の病気のために誠に遺憾ながら従うことが出来ません。

後の感謝の手紙

招待を受けたイベントが終わった後、感謝の手紙を送る事とされています。この場合、特に定型的な文面はないようですが、一つ重要な点としては、あくまで招待状を送ってきた人物(つまり、上記の3人のうちの誰かになるわけですが)に宛てて手紙を書き、「女王陛下に感謝の意をお伝えするように要請」するようにします。

園遊会の際の例外

女王陛下からのご招待に対する反応については基本的には上記の通りですが、園遊会«Garden Party»の時の招待に関しては例外があります。

園遊会の場合、その招待客の多さからか、Lord Chamberlainの名で送られてくる招待状(その文面については余り差異がないはずです)には入場証«admission card»が添えられており、「招待客が出席できない場合を除いて確認は必要ない」と書かれています。

したがって、以下のように対応します。

  • 出席する場合:特に返事する必要なし。当日はその入場証を持参する。
  • 出席を辞退する場合: 上記の作法に従い、辞退する手紙を送る。その際に必ず入場証を返却する。
  • 感謝の手紙は特に必要ないようです。

他の王族からの招待状

他の王族からの招待状も通常その王族の家宰担当者から送られてきますが、女王陛下からの招待とは異なり、王族からの招待は命令ではありません。

したがって、上記の返信の文例から「命令に従う云々」に関する語句を使わないようにして返信するようにします。もちろん返信先は、その招待状を送ってきた家宰担当者です。

実はこの記事はあまり実践では役に立ちません。そんな機会が滅多にないからです。 しかし、英国の称号システムに関連することでもあり、立憲君主制独特の要素もありますので、とりあげました。

国民が基本的に君主の臣下であるというのは(立憲政であれ、絶対政であれ、憲法にその記載があろうが無かろうが)君主制の基本事項です。

しかしながら、我々に関するポイントとしては我々は日本国民であって、英国女王陛下の臣民ではない点です。

この場合、命令云々の拘束性はどうなるのか?

日本在住のまま招待を受けた場合、英国領内に滞在中に招待を受けた場合、それぞれどのような取り扱いになるのかについては私の方では検証できていません。

  1. Debrett's Correct Form, (1999; London: Headline, 2002) 263-64.
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[日本地誌/その他の畿内]

ウェールズ文化祭(2009年2月28日開催)のお知らせ / 2009-01-19 (月)

私は昔ウェイルズの大学に留学していた縁で関西ウェールズ会«The Kansai St David's Society»に入らせて頂いているのですが、その関西ウェールズ会が主催する「ウェールズ紹介イベント」である『ウェールズ文化祭』が2月28日土曜日に大阪・ドーンセンターで開催されます。

昨年は大東文化大学の小池先生によるウェールズ語入門講座がメインイベントとして行われました。

今年のメインイベントは………

なんと、ケルティックハープの第一人者菊地恵子さんによるハープコンサートです。

今年は青山ハープ社の協力により、グランドハープ、ケルティックハープ、ラップハープ(吟遊詩人ハープ)の3種類のハープを駆使し、ウェールズの楽曲を演奏してくださいます。

さらに菊地先生による解説がつく予定。

これが出来るような人は、日本では菊地先生ぐらいしかいません。

これがなんと無料です!

その他、ウェールズ文化の紹介、ウェルシュケーキ試食、ウェルシュウィスキー(←レアもの)試飲、バザー、メンズコーラス(ウェールズ語の歌)等々じっくり楽しめる物となっております。

是非、皆様お誘い合わせの上お越し下さい。

ウェールズ文化祭 2009

2009年2月28日(土) 13:00~17:30 (開場12:30)

大阪天満橋 ドーンセンター1F パフォーマンススペース

ステージイベント

  • 13:15 - 菊地恵子ハープコンサート
  • 15:30 - ウェルシュポップ ビデオショー
  • 17:00 - 大阪メンズコーラス コンサート

イベントの詳細、問い合わせ先に関しては下記の公式ポスターをご確認ください。

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[欧州地誌/Walesほか英諸島]

大法官、リンスター公爵正統性問題に裁定 / 2007-05-12 (土)

アイルランド首席公爵«Premier Duke in the peerage of Ireland»であるリンスター公爵«Duke of Leinster»の襲爵に対して異議が唱えられていた件で、英国大法官«Lord Chancellor»ファルコナー・オブ・ゼントン卿«Lord Falconer of Thornton»は、先代公爵の長男で第9代リンスター公爵を継承したとしているキルデア侯爵モーリス・フィッツジェラルド«Maurice FitzGerald, Mrquess of Kildare»(59歳。オックスフォードシャー在住)の襲爵の正統性を認めるとの裁定を下した。2007年4月24日付オンライン版Daily Telegraphが報じた。

カリフォルニア在住の建築業ポール・フィッツジェラルド«Paul FitzGerald»氏は正統な第9代公爵であると主張していたが、ファルコナー卿はポール側の証拠に満足しなかった、と憲法事項省«Department for Constitutional Affairs»報道官は述べている。

そもそも事の起こりは、第1次大戦にさかのぼる。

当時、第五代公爵はすでに無く、長男モーリス«Maurice»が跡を継いで第六代公爵となっていた。彼には二人の弟があり、次男デズモンド«Desmond»、三男エドワード«Edward»がいた。

このうち次男のデズモンド卿は第1次大戦で戦死した。したがって、三男のエドワード卿が未婚の第六代公爵の推定相続人«heir presumptive»となった。

やがて、1922年に第六代公爵が薨去し、三弟のエドワード卿が第七代として跡を継いだ。その長男が第八代として1976年に襲爵し2004年に薨去。その跡を継いだのが今回正統性に対して訴えられていた第九代となる。

さて、今回のポール・フィッツジェラルド氏の訴えは以下の通りである。

第一次大戦で戦死したと思われていたデズモンド卿だが、実は生きており、カナダに移り住んだ。これがポール氏の祖父である(ここでは、紛らわしいので、これを推定デズモンド卿と呼ぶ)。

死の間際、その推定デズモンド卿は娘、つまりポール氏の叔母に当たるテレサ・コードヒル«Theresa Caudhill»嬢に自らの身分の証拠を残したことを告げ、それを追っていくようにと告げたという。

ポール氏の父親、つまりテレサ嬢の兄であるレオナード«Leonard»氏も、第7代公爵が1976年自殺した後に同様のクレームをしているが、ポール氏曰く、健康問題から取り下げるように医師に忠告され、取り下げたという。レオナード氏は1994年に死去した。

推定デズモンド卿が残した証拠とは、テレサ嬢によれば、家宝のコレクション及び法的な文書が入った荷物だったという。その荷物は1929年に貴族院の国璽部«Crown Office»に当時のウェイルズ公(後のエドワード八世)らの立ち会いのもと収蔵された。しかし、テレサ嬢が貴族院に引き渡すように要求したところ、彼女曰く妨害にあったという。また、ポール氏が大法官府«The Lord Chancellor's Department»の後身である憲法事項省«Department for Constitutional Affairs»に照会したところ、置き場所を間違えたといわれたという。ある文書保管人がその存在自体を確認したことがあるが、現在は「失われた«lost»」ようだという。

テレサ嬢は「失われた」文書の中には、推定デズモンド卿が一代限りの継承権を辞退し、その子孫に継承権を戻させることを明らかにした文書があるに違いないと考えている。

テレサ嬢が発見したとする1933年7月に書かれた第七代公爵エドワード卿に当てたデズモンド卿の手紙と称するものがある。それには、エドワード卿が第七代公爵となるのは黙認するが、デズモンド卿の息子がその後を継ぐことを了解せよ、という内容になっている。

テレサ嬢によれば、推定デズモンド卿はリンスター公爵家の紋章を押したディケンズの小説を持っていたし、勲章や軍服、彼の祖母から伝わったという一連の真珠等があったという。また、彼のアイデンティティを記した文書を含んだトランクも覚えている。

ポール氏によれば、推定デズモンド卿が育った場所の話をしていたことを聞いており、ポール氏がレオナード氏とアイルランドを訪問したところ、推定デズモンド卿がレオナード氏に語っていた通りだったという。

また、Daily Telegraphがポール氏側がまだ持っている「証拠文書」を見たところ、そこにはデズモンド卿がカナダで新しい生活をはじめ、信託資金によって援助され、ポロの指導員としても働いていたことを主張する内容だったという。

テレサ嬢は祖父との約束を守る為、30年以上130万ポンドをかけて主張してきた。ポール氏側は、証拠集めとして、書簡類の収集の他、推定デズモンド卿のDNAサンプル採取、元召使いの宣誓証言の採集などを行ってきた。しかし、今回、大法官ファルコナー卿はそれらの証拠に満足しなかったという。

晴れて正統な第九代公爵と認められたモーリス・フィッツジェラルド卿とポール・フィッツジェラルド氏の主張がとちらが正しいかについては、私としてはそれを裁定する権威である大法官の裁定を尊重するしかないが、この件にはいくつか疑問点がある。以下様々な観点の疑問をのべつとなしに列挙してみる:

  • 推定デズモンド卿の主張が正しいとすれば、何故身分を明かさなかったのか?1922年以前に存命を主張していれば、自身が継承できたはずである。テレサ嬢はデズモンド卿が10代の時にアイルランド共和主義者同盟«Irish Republican Brotherhood»
  • に所属しており、アメリカへの連絡係をしていたことと、その後のアイルランド問題をあげているが、あまり説得力はないように思える。
  • 「失われた」荷物には何が入っていたのか?何故失われたのか?テレサ嬢の照会の際に本当に妨害を受けたのか?そもそも本当にそれはポール氏の祖父の所有物だったのか?
  • テレサ嬢の主張しているような、一代譲った後に相続を元に戻ることが可能か?通常、相続権の正否を争ってポール氏が勝った場合、そもそもその間の爵位の相続の正統性が無くなり、系図も変わってしまう。爵位の相続方法は有爵者の自由に出来るものではない。1922年に主張する時機を逸したとしても、何故そんな慣習的に認められていないことをするのか?
  • 推定デズモンド卿の信託資金の出所は何か?
  • DNAテストの結果をDaily Telegraphが書いていない。……… 等々。

これらの疑問点が残っているが、単にDaily Telegraphが流していない(もしくは私が捕捉・理解し切れていない)ニュースがあるのか。ポール・フィッツジェラルド氏はまだまだ争い続けると言っているので、これから色々と明らかになるのか。正統性云々の前に、野次馬的な興味は尽きない所ではある。大法官の結論が出る前に、ポール氏は「真実は小説よりも奇なり、と言うからね」と言ってていたが、これからの展開は果たして。

"Leinster"は地名としては「レンスター」と読みますが、称号としては「リンスター」と読みます。

本文中では特に言及していませんが、ポール・デズモンド氏は、いつかは把握していませんが、正統性を主張してからsurnameをフィッツジェラルドに正式に変えているようです。つまり、推定デズモンド卿はカナダへ渡ってから、surnameを変更していたことになります。変更したのが、確認していませんが、おそらくCaudhillなのでしょう(?)名前自体も、デズモンドではなく他の名を名乗っていたような気がしますが、ちょっと出てきてません。

家系図1:現在正統と認められているリンスター公爵家の家系図

記事内容に関係する人物のみの抄録(ref. Burke's Peerage Online Ed.)

ジェラルド・フィッツジェラルド«Gerald FitzGerald» [第5代リンスター公爵«5th Duke of Lenster»] b.1851-d.1893. suc.1887.
  1. モーリス«Maurice» [第六代リンスター公爵] b.1887-d.1922. suc.1893. 未婚
  2. デズモンド卿«Lord Desmond» b.1888-d.1916.(戦死)
  3. エドワード«Edward» [第七代リンスター公爵] b.1892-d.1976. (自殺) suc. 1922.
    1. ジェラルド«Gerald» [第8代リンスター公爵] b.1914-d.2004. suc.1976
      1. モーリス«Maurice» [第9代リンスター公爵] b.1948-. suc.2004 当代リンスター公爵
        1. トマス«Thomas» [儀礼称号: オファリー伯爵«Coutesy known as Earl of Offaly»] b.1974-d.1997.
      2. ジョン卿«Lord John» [推定相続人«heir presumptive»] b.1952-.
家系図2:ポール・フィッツジェラルド側が主張する家系図

ただし、ポール側の主張する「エドワード卿の後に相続系統を戻す」方式ではなく、相続法であるheirs male of his bodyで考えている。本来相続すべき人物にはde jureの語を附す。

記事内容に関係する人物のみの抄録(ポール氏側の生没年はDaily Telegraphの記事内容から抜粋もしくは推定。)

ジェラルド・フィッツジェラルド«Gerald FitzGerald» [第五代リンスター公爵«5th Duke of Lenster»] b.1851-d.1893. suc.1887.
  1. モーリス«Maurice» [第六代リンスター公爵] b.1887-d.1922. suc.1893. 未婚
  2. デズモンド«Desmond» [de jure 第七代リンスター公爵] b.1888-d.1967.(大戦中戦死したと思われていたが、カナダへ移住していた) suc. de jure 1922.
    1. レオナード«Leonard» [de jure 第八代リンスター公爵] b.?-d.1994. suc. de jure 1967. (芸術家兼教師)
      1. ポール«Paul» [de jure 第九代リンスター公爵] b.c.1967-. su. de jure 1994.(カリフォルニアにて建築会社経営)
    2. テレサ・フィッツジェラルド«Lady Teresa FitzGerald» a.k.a.テレサ・コードヒル«Teresa Caudhill» b.c.1925-.
  3. エドワード卿«Lord Edward» b.1892-d.1976. (自殺)(第七代リンスター公爵を称する)
    1. ジェラルド・フィッツジェラルド«Gerald FitzGerald» b.1914-d.2004. (第八代リンスター公爵を称する)
      1. モーリス・フィッツジェラルド«Maurice FitzGerald» b.1948-. (第九代&当代リンスター公爵を称する)
参考文献
  1. Tom Peterkin, 'Battle Over Irish Dukedom Settled.' Telegraph.co.uk., Online. pub. 6:51am BST 24/04/2007.
  2. Olga Craig, 'DNA Tests and a Mystery Package in the £1m Battle Just for a Duke's Title.' Telegraph.co.uk., Online. pub. 1:37am BST 15/05/2006.
  3. Tom Peterkin and Catherine Elsworth, 'A Californian Claimant, an 'Escape' From the Trenches and the Fight for a Dukedom.' Telegraph.co.uk., Online. pub. 1:34am GMT 28/02/2006. (ポール氏の顔写真あり)

これはニュースと言うべきものなので、称号ニュースのほうで扱おうと思いましたが、ややこしい問題はこちらで扱う、という従来の方針通り、こちらで扱うことにしました。ニュース系内容ですので、称号カテゴリではなく、英諸島カテゴリになっています。

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[外篇/ここに関するメモ]

称号ニュース暫定的にぼちぼち再開について / 2007-04-15 (日)

長らく更新が止まっていた当ブログですが、称号ニュースのほうから暫定的にぼちぼち再開しています。

マイペースに更新していきますので、引き続きよろしくお願いいたします。

更新に関しては、RSSをチェックして頂ければ…と思います。


[日本地誌/その他の畿内]

ウェールズ文化祭(2007年3月3日開催)のお知らせ / 2007-02-01 (木)

私も所属しています関西ウェールズ会«The Kansai St David's Society»が主催するウェールズ紹介イベント『ウェールズ文化祭』が今年は3月3日(土曜日)に大阪市中央公会堂で行われます。

入場無料ですので、皆さんお誘い合わせの上、どしどしお越し下さい。

ちなみに、私は当日紹介するほうで参加予定です。

  • 日時: 2007年3月3日(土曜日)午後2時-6時
  • 場所: 大阪市中央公会堂 小集会室(地下鉄御堂筋線・京阪「淀屋橋」駅から徒歩約5分)
  • 入場無料

お問い合わせ先などの詳細は、pdfファイルのチラシをご覧いただくか、この記事にコメントしてくださればご案内いたします。

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