メアリ一世の夫君 – フェリペ二世 – 婿殿シリーズPart IV

本記事は2005年8月に執筆公開されたものを発掘し再掲載したものです。現時点での情報の正確性は保証しません。
今回はメアリ一世の夫君について考えて行きましょう。

メアリ一世の夫君はスペイン史上もっとも有名な国王であろうフェリペ二世です。レパント海戦とカレー沖海戦というスペイン・ハプスブルクの上昇と下降という二つの分岐点を現出した人です。

ところで、今をときめく女優ケイト・ブランシェットの出世作といえば『エリザベス』という映画です。この映画はインド人監督が色んなエピソードを勝手気ままに再構成したフィクションですが、称号・敬称に限って言うと、怪我の功名と言うのか、本当はちゃんと調べたのか、「適当にやってたらたまたま正解だった」という雰囲気をかもし出す場面があります。

そのうちの一つが映画冒頭にあります。メアリ女王の有名な「懐妊勘違い事件」の際に登城してきたノーフォーク公爵が女王にお喜びを申し上げた後、その横に腰掛ける暗そうな喋らない紳士に対し、「これはもちろん陛下(Your Majesty)のおかげでもあるのですが」の様な事を言います。この’Majesty’と称された男性が夫君のフェリペ二世です。

ですが、作家がどういうつもりだったかはともかく、ここにおける’Majesty’は少々ややこしいのです。’Majesty’といわれるからにはフェリペ二世はどこかの国王だったのですが、どこの国王だったのでしょう。

映画におけるこのシーンの年代がはっきりしないので、結婚時から見ていきましょう。

メアリとフェリペの結婚時、フェリペはアラゴンおよびカスティリャ(この二国を称してスペインと言う)の国王ではありませんでした。彼の父親がまだ生きていた為ですが、別にこれが問題なのではありません。既に女王であったメアリとの結婚を「対等」のものとするために、結婚の少し前にナポリ国王(King of Naples)エルサレム国王(King of Jerusalem)の位は譲られていた為です。つまり、彼はこの時点で’Majesty’と称される権利はあったわけです。

しかし、イングランドにおける彼の権利はそれに因るものではありません。

イングランドにおいては、jure uxorisの原則により、メアリ一世との婚姻が有効である限り’King of England’でした(もちろんそれに付随するKing of France and Irelandといった称号も持っていることになります)。

このことは、メアリ一世の詔書に明確に現れています。即位時に称号を定めた詔書(1553年10月1日)では、メアリ一世の称号は:

Mary the First, by the Grace of God Queen of England, France, and Ireland, defender of the faith, and of the Church of England and Ireland Supreme Head

となっています。しかし、ナポリ国王フェリペとの結婚時に称号を変更する詔書が出され:

PHILIP AND MARY by the grace of God King and Queen of England, France, Naples, Jerusalem, and Ireland; Defenders of the Faith; Princes of Spain and Sicily; Archdukes of Austria; Dukes of Milan, Burgundy, and Brabant; Counts of Hapsburg, Flanders, and Tyrol.

となりました(称号はフェリペのスペイン他継承によって適宜変更されました)。御覧のようにフェリペ(フィリップ)とメアリの連名となっています。もし、フェリペがKing-Consortならば、このように連名とはならずにメアリだけの名が記されるべきです。また、当時の議会も連名で召集されていることもフェリペの英国での地位を示しています。

メアリ一世が1558年11月17日に崩御したことにより、お互いの母国語で会話ができずにフランス語とドイツ語を話して何となく判った気になるという奇妙な夫婦関係が終わる事となります(もっとも夫はスペイン継承以降ほとんどイングランドにいませんでしたが)。それによってフェリペはKing of Englandという地位を失う事となります。

フェリペが次代のエリザベス一世に求婚する事になるのも、イングランドのプロテスタント化への牽制とともに、結婚自体が実際に名実ともに利をもたらすからといえます。

残念ながらエリザベスに結婚を拒否されたのち、スペインとイングランドの対立は激化し、無敵艦隊の崩壊とスペインの没落につながることになります。

しかし、フェリペは確かにメアリ一世との婚姻時はイングランド王フィリップでした。だからこそ現ウェイルズ公チャールズ王子が即位時に「フィリップ」というミドルネームを統治名に使った場合、彼は「フィリップ二世」となるのです。

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Comment(s)

1: 和田歩人 (2005/08/31 20:29)
今回もたいへん勉強させてもらいました。
Archdukeという称号が気になったので調べてみたら
オーストリア皇子にのみ使われる称号なのですね。
ヨーロッパの貴族制度は奥が深すぎです。
ここは大海をさまよう素人(和田)にはたいへん
参考になっています。
これからもよろしくおねがいします。
2: AMU (2005/08/31 21:59)
フィリップ王の称号
拝読しまして、メアリ一世の時代における女性の権利が
王位にまで及んでいるという感じがしました。
(おそらく、これ以降に書かれる女王の夫は
また各々の時代の制約があるのでしょうね。)それにしても、フェリペ二世の結婚時にナポリ王位を贈られたことは知っていましたが、当然のことながらエルサレム王位も付随してしまうのですね。
(すっかり忘れておりましたし、帝国内のスペイン系ハプスブルク領の称号も名乗っていたとは知りませんでした。)
しかし、ファナ女王の存命中に勝手にナポリ王国を譲るというのは、あくまで摂政であるカルロス1世がして良いのか微妙に思うのですが。
3: dzlfox (2005/08/31 23:13)
AMUさま
>ファナ女王の存命中に勝手にナポリ王国を譲るというのは、あくまで摂政であるカルロス1世がして良いのか微妙に思うのですが。この辺は時系列が少々複雑なのでいずれ整理する必要がありますね。暇を見つけて記事にでもします。少しまとめると、カルロスはアラゴン国王を母方の祖父のフェルナンドの崩御を受けて1516年に継ぎます。
それと同時に、母親のファナとともにカスティリャを共治します。これは、単にCo-Regencyに留まらずCo-Kingとして統治しています。しかしながら、問題のナポリ自体はアラゴン系に属しているはずなので、狂気ではあってもCo-Queenで且つ上位であろう母親に気兼ねする必要はなかっただと思われます。ハプスブルク家の称号に関しては、これは要するにハプスブルク家の一員は全員名乗るような物で、要するにドイツ的慣習ですね。
4: dzlfox (2005/08/31 23:19)
和田歩人さま、Archduke(-Palatine)という称号はかなり特殊な物でして、そもそもオーストリア公ルドルフ四世が無理矢理つくった物で、そういった経緯からハプスブルク家(後のハプスブルク-ロートリンゲン含む)限定となっています。

そもそも当主自身がその称号を実際に有しているのですが、ドイツ的慣習を受けてその一門もその称号を有しています(まぁ、英国でいう儀礼称号とでもいいますか)。ただ、一門がそれを帯びるのはルドルフ四世から結構時代が下ってからだったようにおもいます。

5: AMU (2005/09/01 21:09)
アラゴン王位
紛らわしいことを書いてしまい申し訳ありません。私の読める範囲の本でまとめると
厳密にはカスティリャ・アラゴン両王位はファナ女王が
終身在位し、カルロスは国王を自称する摂政と読めまして
私は、ファナ女王の生前のカルロスはデンマークのマルグレーテ1世のような立場と受け取っておりました。質問ばかりになってしまいますが、機会がありましたら
この辺の事情をお教えいただけないでしょうか。
(読んだ本が悪いのか、ファナを無視するものからカルロスを簒奪者とするものまで色々ありまして…本当にオルデンブルク家断絶時と並んで疑問に思う継承例の一つです。)
6: dzlfox (2005/09/01 23:12)
確かにファナの辺りは私もわからない所が多々あるので、じっくり調べてみるつもりです。たしかに、フェルナンドの遺言には、ファナがアラゴン系も継ぐ、カルロスは摂政、いうことなのですが、この摂政がファナとのCo-regencyでそれで二人がregina et rexだそうなので、「摂政」の意味合いが日本語から我々が観想するのとは違うのかも、とか思っています。あとは、そのときに継承法がどれだけ固まっていたか、とか・・・。

 

英国女王の夫君の称号の種類 – 婿殿シリーズ Part III

本記事は2005年8月に執筆公開されたものを発掘し再掲載したものです。現時点での情報の正確性は保証しません。

これは本来最後のまとめでやろうかと思っていたのですが、先に書いておきます。

先の記事を参考にしていくと、英国女王の夫君の称号に以下の種類が考えられることになります。

  1. King (of England/GB/UK)
  2. King (他国の)
  3. King-Consort
  4. Prince-Consort
  5. Prince (of England/GB/UK)
  6. Duke (of the realm)
  7. 元々帯びていた称号のまま

まず、’King’に関しては上記のように二通りあります。他国の国王がその称号のままでいる。もしくは、他国の国王であったりその他の人が’King of England (etc)’の称号を賜る。メアリ一世の夫君は後者に当たりますが、前者の例はイングランド系統にはありません。スコットランドのメアリ女王の最初の夫フランソワ(当時のフランスのドーファン)も後者でした。

三番目のKing-Consortはなんとも訳に困る語です。Prince-Consortが王配とか王配公とか訳されますから王配君とか訳しますか(そもそも王配公と言う訳が好きではないので投げやり、ともいう)。王妃のことをQueen-Consortと言うことからも分かるように、王妃の男性形といったものですね。ただし、王妃は問答無用で王妃になりますが、King-Consortは称号を賜る必要があります(女王が賜ったり、議会が送ったり)。

じゃぁ、一番目のKingとはどう違うのかという疑問が浮かびます。結局は権限の差です。実質的な影響力はともかく、形式的には、コインに夫の名前や肖像画が併記されない、議会が両人の名で招集されない、詔書などにも併記されない、などがあります。

Prince-Consortに関しては…女王の夫しての公式な地位を英国王族の地位とともに正式に授ける称号だと私は思っています。ただし、King-Consortほどのいわば女王と「准同格」であるようなほどの地位ではない、ということでしょう。もっとも、これを受けた唯一の人はKing-Consort以上の影響力と実力を持っていましたが。

次の’Prince of Eng/GB/UK’ですが、これは要するに英国王族の地位だけを与えるというものです。ここでは女王の配偶者としての公的な地位を明示する称号を与えられていない、ということになります。これについていえば、現エディンバラ公爵が1957年に’Prince of the United Kingdom’に叙されています。もっとも彼の場合結婚のほんの直前に’Duke of Endinburgh’に叙されているので次のカテゴリーに分類されるでしょうけども。(もっとも宮殿は同時に’Prince’を叙したつもりだったのだけども…)

次は英国の公爵位を賜るケースです。まぁ、別に公爵位でなくとも良いのでしょうが、女王の夫君となる人ですから、公爵位が爵位の中では相応しいでしょう。現エディンバラ公爵はエリザベス王女との結婚式の直前、アン女王の夫君ジョージ王子は前国王・女王であるウィリアム三世とメアリ二世の在位時に王位継承者の夫として賜っています。「女王の夫」という状況になってからの授爵ではないものの、明らかに後に「女王の夫」となったときの立場強化も兼ねているといえるでしょう。

最後の、元のまま、ですが、要するに結婚後何らかの理由で称号を与えられていない状況にあります。ジェーンの夫やPricne Consortとなるまでのアルバート公がこれに当てはまります。政治的な要因が主だといえるでしょう。

さて、次回はメアリ一世の夫君を見ていくことにします。

私は良くPrince Albert of Saxe-Coburg-Gothaのことをアルバート公と書きますが、この時の「公」は’Prince’の訳ではなく、日本語で敬意を表す接尾語の「公」のつもりです。Prince Albert of S-C-Gの’Prince’はPrinzですから、君主家の一族の位です。S-C-G当主はFürstですから、その一族のであるPrinzを訳すとするなら「公子」でしょう。Prince-Consortを考慮を入れるとまた話がややこしくなりますが。

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Comment(s)

1: AMU (2005/08/28 20:22)
フェリペ2世がKing-Consortではなく
Kingとしてイングランド王とは知りませんでした。
(てっきりKing-Consortとばかり思っておりまして
夫君王などと書いておりました(^^;)

これから先の女王の夫君についての記事を
楽しみにしております。

2: dzlfox (2005/08/28 22:13)
こんばんは。実はこのシリーズの目玉はそこでして・・・(笑)
今書いている所なので、ご期待に添えるように頑張ります。

英国女王の夫君について – 婿殿シリーズ Part II

本記事は2005年8月に執筆公開されたものを発掘し再掲載したものです。現時点での情報の正確性は保証しません。

前回から「婿殿」シリーズをやっていますが、今回は英国女王の夫君について考察していきます。今までの記事を読まれている方にとっては、エディンバラ公との絡みで重複している記述があるかもしれませんが、ご容赦下さい。

さて… 結論から申しますと、英国においては女性君主の夫の地位・称号に関しての統一的な法的な規定はありません。英和辞書に「女王の夫君」として’prince consort’と載っていることもあって、しばしば女王の夫君全てが’prince consort’であるような印象を受けますが、これは異なります。英国法では’Prince Consort’の称号を賜らない限り’Prince Consort’ではありません。英国史上、この号を受けたのはヴィクトリア女王の夫君であるPrince Albert of Saxe-Coburg-Gothaだけです。

ところで、英国史上女王(並びにそれに類する人)は何人かいますが、その婿殿たちはどのような称号だったのか、見ていくことにします。まず、リストアップして見ます。夫君は英国における称号で書きます。

マティルダ (Matilda, Lady of the English; ‘Empress Maud’)
アンジュー伯ジョフリー四世akaノルマンディー公ジェフリー五世(Geoffrey V, Duke of Normandy, Count d’Anjou)
ジェーン (Jane; ‘Lady Jane Grey’)
ギルフォード・ダドリー卿 (Lord Guilford Dudley)
メアリ一世 (Mary I)
イングランド国王フィリップ(King Philip of England; スペイン国王フェリペ二世)
エリザベス一世 (Elizabeth I)
結婚せず
メアリ二世 (Mary II)
イングランド国王ウィリアム三世 (King William III of England)
アン (Anne)
カンバーランド公爵デンマーク王子ジョージ (Prince George of Denmark, Duke of Cumberland)
ヴィクトリア (Victoria)
王配公サクソ・コウバーグ・ゴータ公子アルバート (Prince Albert of Saxe-Coburg-Gotha, Prince Consort of Great Britain)
エリザベス二世 (Elizabeth II)
エディンバラ公爵フィリップ (Phillip, Duke of Edinburgh)

最初の二人は、公式には女王ではありませんし、モードに関して言えば実際に女王も名乗っていません。Lady of the English (England)はしばしば「イングランドの女主人」とかいう風に訳されますが、このLadyはLordの女性形で、要するに「イングランド(女)領主」という事です。当時は戴冠してナンボの時代なので、戴冠していないMathildaはLady of the Englishを宣しました。

とはいえ、ここで最初の二人をいきなり扱うのは、ちょっと面倒なので後回しにして、次回からメアリ一世から順に考察していきたいと思います。

スコットランド王国の女王も上記リストから省いています。これは別の王国なので事情も違うから、という理由もあるのですが、一緒にするとややこしいので…
いずれ、扱います。

jure uxorisに関するメモ – 婿殿シリーズ Part I

本記事は2005年8月に執筆公開されたものを発掘し再掲載したものです。現時点での情報の正確性は保証しません。

最近夏バテ気味なことと多忙なこともあって更新が滞っていましたが、またじっくりとやっていくつもりです。

今回から、数回のシリーズで「婿殿」に関する考察をしていきたいと思います。うちらの世代では「婿殿」というと、必殺仕事人シリーズで婿養子の中村主水(藤田まこと)をいびる菅井きんを思い出しますが、それと似たような話で、女王の夫君、女性貴族の夫君といった人らに改めてスポットを当てたいと思います。

それに先立ち、先ずjure uxorisという概念を理解せねばなりません。’jure uxoris’というラテン語は英語では’by/in right of a wife’と訳されますから、日本語では「妻の権利によって」という意味になります。これは要するに「妻の権利を夫が代行する」といったような意味です。

ラテン語は詳しくないので発音は自信がないですが、【ユレ・ウクソリス】でしょう。ロマンス語系言語並びに英語では’jure’が【ジュレ】と読まれるでしょうけども。

この代行ということを少し考えてみます。

中世の欧州(イングランドに限らず)の慣習法においては、不動産(領地など)、称号・爵位を相続・所有する女性の夫は、それらを所有するだけでなく、それらを自らの物と同様に自由に用いることができます。私有地・領地などからあがる地代及び収益も自由に使えます。

つまり、夫の権によって、妻の所有権がそっくり夫に移し変わるようなことになります。

動産に関しては違う概念(coverture)によって、結婚時に夫の物となります。

先に書きましたように、称号や爵位もこれに関連してきます。現代の英国法では、妻の爵位が上でも、夫はそれに追随して昇格することはありません。しかしながら、上記の中世の慣習法に従えば、昇格することになります。

たとえば、女性の男爵The Lady Lewishamが騎士であるSir William Daviesと結婚するとします。現代の英国では、夫の称号は変わりません。

しかし、このカップルが中世イングランドの人だとすると、jure uxorisによると、夫は、Lord Lewishamとなります(名乗る権利を得ます)。家系図などでは、William, jure uxoris Lord Lewisham等と記されるでしょう。この場合、妻がBaroness in her own rightであることには変わらないことに注意。

さて、彼が得るのは称号だけに留まりません。中世の薔薇戦争以前でしたら、男爵は領主権もついてきますから、その領地及びその収入を夫が自由に使えることになります。

問題は、封建制においてその頂点に立つのは各君主ですから、 各国君主にもこれが適用されることです。これが結構欧州史に関連してくるので、次回からそれも考察していきたいと思います。

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Comment(s)

1: 公爵 (2005/08/23 00:27)
離婚したら・・・結婚によって妻の称号や権利を得た夫が離婚した場合は、結婚によって得た称号などは失うのでしょうか?
2: dzlfox (2005/08/24 23:10)
明確にちゃんと令をいろいろ追って調べたわけではないですが、メアリ一世とフィリップの例をとってみれば(これは死別ですが)失う物と考えて良いように思います。
ただ、まぁ、称号なんて物ははっきり言って実際に資格が亡くても名乗れてしまうので、名乗っている人もいたでしょうし、確かどっかでその例を見たような気もするので、いずれちろっと調べておきます。

妻が妊娠中に有爵者が死亡した場合の相続 – もうひとつのabeyance

本記事は2005年5月に執筆公開されたものを発掘し再掲載したものです。現時点での情報の正確性は保証しません。

以前に、abeyanceという概念をさらっと扱いました。イングランド貴族における女性の爵位相続権に関する件で、女性の姉妹が共同相続人となる場合、爵位はabeyance、つまり現有者不存在という状況になり、一時的に爵位が停止状態になるというものでした。

上記のabeyanceはいずれもう少し考察してみますが、ここでもう一つabeyanceが発生するケースを見てみます。

たとえば、X男爵の夫人が妊娠中に、男爵自身が逝去したとします。この時、もし男爵に男子がいるならば、男爵の逝去の時点において問答無用でその長男が襲爵します。では、もし子供がいない場合、女子はいるが男子はいない場合はどうなるのでしょうか。

この場合、夫人が出産するまで、abeyanceとなります。というのも、男子が産まれるか、女子が産まれるかによって、襲爵する人が変わってくるからです。

もちろん残念ながら流産・死産という結果もあります。

いくつかのパターンを考えてみます。

男爵位が女子への相続を認めない爵位の場合

男子が産まれた場合

前述のように夫人が懐妊中は爵位はabeyanceとなりますが、男子が産まれた場合、その男子が直ちに(生まれた瞬間)襲爵します。

女子が産まれた場合

残念ながら女子は継げませんので、他に襲爵可能な人がいるならその人が襲爵します。いない場合、残念ながら断絶となります。

男爵位がLPの規定によって女子への相続を認める場合

Letters Patentのremainderは大抵女子への相続を認めていませんが、何らかの理由で認めている場合があります。LPはきちんとした法定文書なので、どういう順序で相続するかきっちり書いてあります。したがって相続はそれに従います。

男子が産まれた場合

たいていの場合、女子よりも男子を優先する規定になっていますから、その場合は女子を差し置いて、男子が産まれた瞬間に襲爵します。

女子が産まれた場合

もしそれまで子供がいなかったならば、女子が産まれた時点でその子が襲爵します。もし、女子がいるならば、女子が産まれた時点で長女が襲爵します。

Writによるイングランド貴族

Writによって授爵されたと見なされている古いイングランド貴族は女子への相続が可能です。

男子が産まれた場合

他と同じように、男子が産まれた瞬間にabeyanceが解けて襲爵します。

女子が産まれた場合

もし他の女子がいない場合は同じく生まれたときに襲爵となりますが、既に女子がいた場合、例によって共同相続人となりますから、違う意味でabeyanceとなります。

スコットランド貴族で女子への相続が認められている場合

古いスコットランド貴族には、女子への相続が認められているものもあります。

男子が産まれた場合

これも同様です。生まれた時点でabeyanceから爵位が復帰し、襲爵します。

女子が産まれた場合

こういった貴族の相続法は’heir general’ですから、共同相続人の概念がありません。したがって、女子がいない場合、産まれてきた女子が襲爵し、既に女子がいる場合、姉の方が妹の誕生後直ちに襲爵します。

残念ながら、流産・死産と言うこともあり得ます。その場合は、それが判明した時点で、相続が行われるでしょう。

実際の例

貴族の爵位において実際に起こった例としては、1975年の第六代カウリー伯爵«The 6th Earl Cowley»の薨去に伴う相続問題があります。

第六代伯爵は妊娠中の夫人を残して亡くなったので、Earl Cowleyの爵位はabeyanceとなりました。生まれてきた子が女子でした。残念ながらこの爵位は女子が継げないものだったので、その子は継げず、六代目の叔父に当たる人物が第七代伯爵となりました。

君主の例

こういったabeyanceおよび死後の誕生«posthumous birth»による相続・継承は貴族だけでなく、君主においても適用されます。他のヨーロッパの貴族制・君主制におけるルールはすべて把握していませんが、たいてい同様に扱われるはずです。

たとえば、スペイン王位の例があります。アルフォンソ十二世は1885年11月に崩御なさいました。そのとき、女子を二人儲けていましたが、男子はいませんでした。しかしマリア・クリスティネ王妃が妊娠中だったので、王位はabeyanceとなりました。1886年5月に男子が誕生し、その子はその生まれた瞬間に国王となりました。これがアルフォンソ13世です。注意すべきは、こういう場合国王となるのは生まれた瞬間であり、決して胎内にいるときは国王ではない、ということです。決して遡及して適用されません。これは爵位も同じです。

雑感

出産まで待つというのは、昔は胎児の性別がわからなかったからでしょう。一部の陰陽師は脈でわかったとか言う話もありますが。確かに、出産まで待たずに相続が始まるなら、ある意味より暗殺が横行したような気もします。

しかし、奥方の心労は並大抵のことではないでしょう。下手したら断絶の憂き目にもなることですし。男女の性別は本人の預かり知らぬ事とはいえ、世間はそんなことを気にしないでしょうし。日本でも「変成男子の法」という胎児の性別を女子から男子へと変えると称する法がありました。冷泉天皇はこの例だとか。だから虚弱体質や狂気の傾向があったのだとか昔は言われていたようです。…大変なことです。

準正と称号に関するメモ

本記事は2005年4月に執筆公開されたものを発掘し再掲載したものです。現時点での情報の正確性は保証しません。

先日東京地裁の出した国籍法違憲判決がそれなりに話題になりました。その中でもポイントは「出生前に認知すれば非婚であっても日本国籍が与えられるのに、出生後の認知であるなら非婚の場合は国籍が与えられない」のが非合理、ということでした。この判決の是非はこのサイトでは論じませんが、ここと関係があるのは準正に関してのことです。

Sankei Webの記事「『非嫡出子も日本人』国籍法規定は違憲 東京地裁」に国籍法のポイントとして次のように書かれています:

【生後認知→結婚】出生後、父母が法律上の夫婦となった時点で届け出れば日本国籍が取れる(準正子)

生後認知の後、結婚するかどうかで国籍の有無が決まる、とされていたのは、その結婚によって非嫡出子が準正されるからです。

この準正というのは民法によって定められています。男女が結婚していない状況で生まれた子供は非嫡出子とされますが:

  1. 出生後父親が認知し、その後父母が結婚した場合 – 婚姻準正 (民法789条I)
  2. 出生後に父親が認知しなかったが、その後父母が結婚し、父親が認知した場合 – 婚姻準正 (民法789条II)

という条件で、準正子とされ、嫡出子とされます。(1)の場合はもちろん父母の結婚の時点で準正したとされます。(2)の場合本来法的には父親の認知の時点で準正したとされるのですが、現在の法務省見解は、父母の結婚の時点に遡って遡及的«ex post facto»に準正が適用される、ということのようです。したがって、準正子は始めから«ab initio»嫡出子である、という扱いになります。

さて、英国のように貴族の爵位やその他の世襲の称号が生きている国では、当然それらの相続にこの準正という概念が問題となってくると想像できます。どうなっているのでしょうか。

結論から言うと簡単すぎる結論になってしまいますが、イングランド法(とその後継のグレート・ブリテン法および連合王国法)では、準正子には爵位および准男爵位の相続権が認められていません。

しかしながら、それらの準正子も儀礼称号を使うことは認められているようです。それらの男子は余子としての儀礼称号を用います。女子は通常通りです。例として、第7代ヘアウッド伯爵«The 7th Earl of Harewood»の継嗣であるラセルズ卿«Lord Lascelles»の子供らの例があります。

David, Viscount Lascelles

m. 1st 12 Feb 1979 (divorce 1989): Margaret Rosalind;

  1. Emily; b 23 Nov 1975
  2. Benjamin; b 19 Sept 1978
  3. Alexander; b 13 May 1980
  4. Edward; b 19 Nov 1982

上記の系図を見ておわかりになるように、EmilyとBenjaminの姉弟が婚姻外に生まれ«born out of wedlock»、AlexanderとEdwardが婚姻中に生まれて«born in wedlock»います。両親の結婚により、EmilyとBenjaminも準正されています。

この場合、生まれた順番からいえば、Benjaminが最年長の男子ですが、継嗣はAlexanderとなります。

現状では子爵の子供扱いなので、全員儀礼称号は’The Honourable’ですが、将来父親がThe Earl of Harewoodをつぐと、儀礼的にLord Lascelles (Viscount Lascelles)と称されるのは、Benjaminではなく、Alexanderとなります。このとき、Benjaminは伯爵の余子となるので、伯爵の余子としてHon. BenjaminLord Benjaminとなります。Emilyは伯爵の女子扱いなので’Lady Emily’となります。

このLascellesのケースでは、Lord Lascellesは女王陛下に「準正子がHonの儀礼称号を名乗る」旨の許諾を求めて許可されたそうです。他の例でもHonを名乗る例があるために、これは特別な措置と言うことではありません。しかし、君主に許可を求めるのが通例なのか、Lascellesが女王の身内だから特別に求めたのか(Lascellesは女王の従兄弟の子)、まだちょっとわかっていません。

さて、これは英国の貴族および准男爵位の話でしたが、王位・王族に関しても同様です。仮にHRH Prince William of Walesが結婚前に子供をつくってしまった場合、その子供は男女にかかわらずHRHの敬称とPrince/essの身分を与えられますが、王位継承からは除外されます。したがって、仮に最年長の男子として生まれてきた男子であっても、父親が登極後に’The Prince of Wales’や’The Duke of Cornwall’となることはありません。

例によってスコットランド貴族«The Peerage of Scotland»は話が変わってきます。スコットランド法においては準正子にも爵位・称号の相続権が認められています。したがって、スコットランド貴族の準正子が最年長の長子だった場合、継嗣としての儀礼称号を帯びるはずです。

ただし、過去に「結婚時にスコットランドに居住していない場合、爵位の相続権が認められない」という判例があったようです。これはおそらく、この「結婚による準正による相続権付与」というものがスコットランド法における結婚に基づいていたものなので、スコットランド法が適用されるべき場所に居住していないと行けない、ということなのではないか、と勝手に想像しています。

さて、こうしたことから、やはりスコットランドは異色なのだ、と思われるかもしれませんが、実はイングランドのほうが異色なのです。というのも、基本的に、フランスやドイツなどの大陸系は程度の差こそあれ準正子に相続権を認めているからです。

個人的に面白いと思うのはここなのですが、この準正という行為が西欧においては後期ローマ法に起源を発していて、あのユスティニアヌス法典«Justinian Code»にまとめられていたということです。教会法に取り入れられたのはかなり後になってからの様です。したがって、ローマの影響がより濃いフランス・ドイツに準正が認められているのはこのせいかもしれません。スコットランドの場合は古き盟友フランス経由の影響が強いのでしょう。

フランスでは王位には準正子の相続権を認められていなかったものの、貴族には認められていたそうです。ただしそうなった例はほとんどないらしい。また王位に関しては継承法が不文法だという点で曖昧であるそうな。中世ドイツではローマ法を基準にした慣習法があり、準正という行為は認められていたものの、準正子への封地の相続権および長子の権は認めないとされていました。しかし、18世紀以降の諸領邦が制定した市民法においては、準正子の相続権を認める旨が記されているようで、これらは1896年のドイツ法典にも引き継がれています。モナコでは公位の継承権も準正子に認められています。

注意すべき所として、教会法«Canon Law»には、妊娠から出産におけるまでの間のうちどこかの時点で、両親ともに独身である、という状況でなければならない、と定められている所です。つまり、妊娠から出産までの間、ずっと不倫・浮気の関係であったカップルの子供に対しては教会法は準正を認めていません。逆に言えば、その間に少しでも独身の期間があれば教会法は寛容です。

Sankwi Webのニュースソースリンク切れを確認。(2009/02/15 22:31)

準正に関する語彙のメモ

legitimation
準正
legitimate
嫡出子
legitimated
準正子
illegitimate
庶出子
out of wedlock
婚姻外に(で); e.g.: born out of wedlock (婚姻外に生まれた)
in wedlock
婚姻中に(で)
adultery
不義
legitimatio per matrimonium subsequens
「後の結婚による準正(legitimation by subsequent marriage)」を意味するラテン語

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Comment(s)

1: AMU (2005/04/15 23:29) aaa49120(あっとまーく)pop01.odn.ne.jp
>ヘンリー7世
私も、この問題には興味があるのですが
称号や継承権にも関係してくるというのが最初は意外でした。
しかし、準正による問題点を思うと
非常に納得がいきました。
(準正により庶子が、嫡子になる事態は
既存の嫡子の権利を損ないますから)

ヘンリー7世に王位継承権がなかったというのは
先祖が王族ではあっても準正により嫡出子になったからと
改めて再確認出来ました。
(ランカスター公の再婚時にリチャード2世が庶子の準正は認めても、王位継承権は否認したというのは、イングランド法としては当然だったのですね。)

2: Lucius (2005/04/18 06:34) l.aquarius(あっとまーく)excite.co.jp
>認知準正 > 出生後に認知すれば日本国籍が与えられるのに、

 「出生前に」の誤記ですね。

> (2)の場合本来法的には父親の認知の時点で準正したとされるのですが、現在の法務省見解は、父母の結婚の時点に遡って遡及的«ex post facto»に準正が適用される、ということのようです。

 遡及させないと、父の死後に強制認知が認められた場合や、母の死後に父が認知した場合などに、既に発生した相続について他の嫡出子との間で相続分が違ったままになってしまうから、という説明がされていますね。

3: dzlfox (2005/04/21 22:51)
Luciusさま、ご指摘ありがとうございます。
多少表現を変えて書き直しました。
補足もありがとうございます。
#前振り部分だったので、すっ飛ばしました。
4: dzlfox (2005/04/21 22:54)
AMUさま、そうですね。
嫡出子にしてみれば、いきなり庶出だった人間に相続順位を追い越されたら、たまりませんね。

ヘンリー七世に関していずれ書きたいのですが、八世の子らの絡みで、一般的なイングランド法がどれだけ継承法まで及んでいたか、興味がある所です。

5: 板の魔術師 (2005/05/02 16:51)
はじめまして、称号や系図に興味があって、これまでROMしていたものです。
質問なのですがスコットランド法では準正子に相続権が認められるとすると、スコットランドとイングランドやUKの両方の
爵位を持つ大貴族の場合、爵位が2つの家系に分離する
ということでよろしいでしょうか?
(英王室でいえばロスシー公)
6: dzlfox (2005/05/02 17:26)
板の魔術師さまご訪問ありがとうございます。
これからもよろしくお願いします。

さて:
>スコットランドとイングランドやUKの両方の爵位を持つ大貴族の場合、爵位が2つの家系に分離するということでよろしいでしょうか?

はい。
この準正に限らず、相続法の異なる爵位を有している場合、そういう事態が起きれば、分離します。女系にいったり、行かなかったり。

>英王室でいえばロスシー公

Duke of RothesayとDuke of Cornwallはかなり特殊な爵位でして、そもそもこれは襲爵されえないので、分かれません。
さらに、これらは、「君主の子である継嗣」のものなので、英国王位が準正子への継承権を認めていないので、準正子がこれを称することは現行法ではあり得ません。

7: 板の魔術師 (2005/05/02 19:34)
なるほど。やはり王家は特別ですか。
ご回答ありがとうございます。

英国の署名に関するメモ

本記事は2005年4月に執筆公開されたものを発掘し再掲載したものです。現時点での情報の正確性は保証しません。

英国の君主等の署名などに関して書きたいと思います。

エリザベス二世女王は、即位後御自身の称号を定める詔において、次のように署名しておられます。

Elizabeth R.

英国で赤い郵便ポストを見たことがある人はERIIというモノグラムを見たことがあると思いますが、これも上記の署名と同種です。

さて、この’R’が何を表すのかというと’Regina’すなわち英語で言う所の’Queen’のラテン語です。ようするに’Elizabeth R’は’Queen Elizabeth’を表しています。’King’の場合、同じく’R’なのですが、’Rex’の略となります。

注意すべきは、現代では’Regina’はラテン語であるものの、名前の部分は英語で書く、ということです。’Elizabeth’はラテン語系も同じなのでわかりにくいですが、歴代のジョージ国王も’Georgius’ではなく’George’を用いています。


facsimile ver of Proclamation 1917

ジョージ五世による詔の複写

さて、ここにその例として、1917年にジョージ五世によって下された、家名をウィンザーに変更且つドイツに関する称号を放棄する詔を見てください。以前、この詔がGazetteか何かに出版されたものをスキャンした画像がアップロードされていたサイトがあったのですが、今はアクセス不可能になっています。Internet Archiveで見れることは見れるのですが、重すぎますので、うちのスペースにおいておきます。まぁ、大丈夫でしょう。

ジョージ五世の御名が’George RI’となっていることに気づかれるかと思います。これは’George Rex et Imperator’即ち「国王兼皇帝ジョージ」を意味します。「皇帝」が付加されているのは、当時のジョージ五世がインド皇帝だったからです。位が高い「皇帝」の方が後ろに来ているのは、英国王にとって、英国本国の称号の方がインドの称号よりも重要であったからでしょう

国王の妻、即ち王妃の場合も、女王と同じように署名します。ものによっては’R’抜きで署名しているのもあるようです。

では、他の王族はどうでしょうか。ウェイルズ公チャールズ王子は、’Charles P’と署名します。これは、’Charles Princeps Wallie’の略です。’Princeps Wallie’とは’Prince of Wales’のラテン語系ですから、その署名における’P’は「王族」を示す’princeps’ (prince)のことではない、という所に注意すべきです。

ウェイルズ公以外の王族は名だけで署名するようです。

では貴族«peer»はどの様に署名するのでしょうか。貴族の場合、その称号の領地名の部分を書きます。たとえば、The Duke of Norfolkなら’Norfolk’、The Marquess of Buteなら’Bute’と署名します。その夫人は、’«Forename» + 領地名’と署名します。The Duchess of Norfolkの場合、’Georgina Norfolk’と署名することになります。

儀礼称号として爵位を称する所謂儀礼貴族«Courtesy Peer»(peerの長男・長男の長男など)も同じ法則に従います。

ところで、王族の子孫で王族の資格がない人物は既に王族ではないので、当然ながら貴族における法則に従って署名します。

たとえば、現在の第二代グロスター公爵«The 2nd Duke of Gloucester»は王族なので、その名でもって’Richard’と署名しますが、その長男であるアルスター伯爵«Earl of Ulster»は王族ではない普通のcourtesy peerなので、’Ulster’と署名します。

上記の話で、国王のRexなり女王のReginaといったラテン語を用いるのは、もちろん英国が西欧である、つまりはラテン語圏(西ローマ帝国の範疇)であるからですが、ギリシア圏(東ローマ)では当然ギリシア語を用います。たとえば、ギリシアのコンスタンティノス二世陛下は’Konstantinos B’と署名なさるそうです。このBというのは、ギリシア語で’King’を意味する’Basileus’ (バシレウス)の略です。‘Basileus’は東ローマ皇帝ヘラクレイオスが自分の称号として使ったので、しばしば皇帝と訳されますしそれはそれで間違いではないのですが、本来のギリシア語では今で言う「王」の概念を表したものです。ではなぜ王を表す’Basileus’を用いたかというと、ヘラクレイオスがササン朝ペルシアを破った事によります。当時東方世界で最高位と考えられていたペルシャの支配者の称号がしばしば皇帝と訳される「王の中の王」(ペルシャ語形 ‘Shahan Shah’; ギリシア語形 “Basileus Basileon”)で、東ローマ側が勝利したことによって、それを名乗ることにしたからです。ですから、翻訳時にはややこしくなります。とはいえ、コンスタンティノス二世陛下が用いられているのは、明らかに本来のギリシア語に基づくKingの意味の’Basileus’です。

他の大陸系の例を少し見つけましたので、リストにします。

Queen Beatrix of the Netherlands
Beatrix (ただしBeatrix Rと署名することもある)
King Harald V of Norway
Harald R
Grand Duke Jean of Luxembourg
Jean
フランスの歴代国王
名だけで’R’をつけない。 e.g. Louis
Emperor Nikolai II of Russia
Nikolai (キリル語で)

基本的にラテン語圏の場合’R’または’I’を付加するようですが、決して決まりではないようです。

旧ブログ時代Writeback(s)

Comment(s)

1: 公爵 (2005/04/14 23:20)
>ラテン語私の英語版ブログでは署名について助言下さりありがとうございます。
君主である場合と貴族である場合で署名は変わるのですね。
しかも、君主の称号を表す文字はラテン語・・・。
この記事をちゃんと読んでから書けば良かったです。
2: dzlfox (2005/04/15 22:42)
ラテン語はやはり必要だなぁとしばしば思います。
私も習ったことがないものですから、苦労しながら中途半端な独学でパズルを説いてます。

ウェイルズ公挙式

本記事は2005年4月に執筆公開されたものを発掘し再掲載したものです。現時点での情報の正確性は保証しません。

皆さんもご存じの通り、ウェイルズ公チャールズ王子殿下とカミラ・パーカー・ボウルズ夫人との市民婚がウィンザーのギルドホール内アスコット・ルームにて行われました。その後、祝福の儀式«The Service of Prayer and Dedication»がウィンザー城内のサン・ジョージズ・チャペル«St George’s Chapel»にて行われ、結婚式には欠席したエリザベス二世女王陛下も列席なさいました。その後、ウィンザー城にて陛下主催のレセプション(披露宴)が行われました。

この結婚により、カミラ・パーカー・ボウルズ夫人«Mrs Camilla Parker Bowles»ウェイルズ公妃殿下«HRH The Princess of Wales»となりました。しかしながら、結婚前に出されたアナウンスメントにより、コーンウォール公爵夫人«The Duchess of Cornwall»と称されることとなります。

市民婚列席者リスト

  1. ウィリアム王子殿下 (HRH Prince William)
  2. ヘンリー王子殿下 (HRH Prince Henry)
  3. ヨーク公爵殿下 (HRH The Duke of York)
  4. ビアトリス王女殿下 (HRH Princess Beatrice)
  5. ユージニー王女殿下 (HRH Princess Eugenie)
  6. ウェセックス伯爵殿下 (HRH The Earl of Wessex)
  7. ウェセックス伯爵妃殿下 (HRH The Countess of Wessex)
  8. プリンセス・ロイヤル殿下 (HRH The Princess Royal)
  9. ティモシー・ローレンス海軍少将 (Rear Admiral Timothy Laurence)
  10. ピーター・フィリップス氏 (Mr Peter Phillips)
  11. ザラ・フィリップス嬢 (Miss Zara Phillips)
  12. アレクサンドラ王女殿下 (HRH Princess Alexandra)
  13. リンリー子爵 (Viscount Linley)
  14. リンリー子爵夫人 (Viscountess Linley)
  15. セーラ・チャトー令夫人(The Lady Sarah Chatto)
  16. ダニエル・チャトー氏 (Mr Daniel Chatto)
  17. ブルース・シャンド少佐 (Major Bruce Shand)
  18. ブルース・シャンド氏 (Mr Bruce Shand)
  19. サイモン・エリオット氏 (Mr Simon Elliot)
  20. サイモン・エリオット夫人 (Mrs Simon Elliot)
  21. ベン・エリオット氏 (Mr Ben Elliot)
  22. ケイティ・エリオット嬢 (Miss Katie Eliot)
  23. ルーク・アーウィン氏 (Mr Luke Irwin)
  24. ルーク・アーウィン夫人 (Mrs Luke Irwin)
  25. トム・パーカー・ボウルズ氏 (Mr Tom Parker Bowles)
  26. セーラ・バイズ嬢 (Miss Sara Buys)
  27. ローラ・パーカー・ボウルズ嬢 (Miss Laura Parker Bowles)
  28. ハリー・ロープス氏 (Mr Harry Lopes)

祝福の儀式列席者

祝福の儀式«The Service of Prayer and Dedication»への列席者はここで全員書き出すには多すぎますので、英王室関係者・海外の王室関係者のみ抜粋します。

英王室関係者

  1. 女王陛下 (HM The Queen)
  2. エディンバラ公爵殿下 (HRH The Duke of Edinburgh)
  3. ウィリアム王子殿下 (HRH Prince William)
  4. ヘンリー王子殿下 (HRH Prince Henry)
  5. ヨーク公爵殿下 (HRH The Duke of York)
  6. ビアトリス王女殿下 (HRH Princess Beatrice)
  7. ユージニー王女殿下 (HRH Princess Eugenie)
  8. ウェセックス伯爵殿下 (HRH The Earl of Wessex)
  9. ウェセックス伯爵妃殿下 (HRH The Countess of Wessex)
  10. プリンセス・ロイヤル殿下 (HRH The Princess Royal)
  11. ティモシー・ローレンス海軍少将 (Rear Admiral Timothy Laurence)
  12. ピーター・フィリップス氏 (Mr Peter Phillips)
  13. ザラ・フィリップス嬢 (Miss Zara Phillips)
  14. リンリー子爵 (Viscount Linley)
  15. リンリー子爵夫人 (Viscountess Linley)
  16. セーラ・チャトー令夫人(The Lady Sarah Chatto)
  17. ダニエル・チャトー氏 (Mr Daniel Chatto)
  18. グロスター公爵殿下 (HRH The Duke of Gloucester)
  19. グロスター公爵妃殿下 (HRH The Duchess of Gloucester)
  20. ケント公爵殿下 (HRH The Duke of Kent)
  21. ケント公爵妃殿下 (HRH The Duchess of Kent)
  22. ケント家マイケル王子殿下 (HRH Prince Michael of Kent)
  23. ケント家マイケル王子妃殿下 (HRH Princess Michael of Kent)
  24. アレクサンドラ王女殿下 (HRH Princess Alexandra)
  25. ジェイムズ・オギルヴィ氏 (Mr James Ogilvy)
  26. ジェイムズ・オギルヴィ夫人 (Mrs James Ogilvy)

外国の王室関係者

  1. バーレーン国王陛下 (HM The King of Bahrain)
  2. ギリシア国王陛下 (HM The King of the Hellenes)
  3. ギリシア王妃陛下 (HM The Queen of the Hellenes)
  4. オランダ王国コンスタンティン殿下 (HRH The Prince Constantijn of The Netherlands)
  5. オランダ王国コンスタンティン妃殿下 (HRH The Princess Constantijn of The Netherlands)
  6. ノルウェイ王国太子殿下 (HRH The Crown Prince of Norway)
  7. ノルウェイ王国太子妃殿下 (HRH The Crown Princess of Norway)
  8. ルーマニア王国マルガリータ王女殿下 (HRH Princess Margarita of Romania)
  9. ホーエンツォレルン-ヴェリンゲン公子ラドゥ殿下 (HSH Prince Radu of Hohenzollern-Veringen) [注1]
  10. サウジアラビア王国トルキ・アル-ファイサル王子殿下 (HRH Prince Turki AL-Faisal)
  11. サウジアラビア王国ヌーフ・ビント・ファハド妃殿下 (HH Princess Nouf bint Fahad)
  12. ユーゴスラヴィア太子殿下 (HRH The Crown Prince of Yugoslavia)
  13. ユーゴスラヴィア太子妃殿下 (HRH The Crown Princess of Yugoslavia)
[注1]

The Prince of Walesウェブサイトなどでは、この人物は Prince Radu of Hohenzollernとなっていますが、彼は自らのことを正確には’Prince of Hohenzollern-Veringen’と称しています。実は、この称号はややこしいこととなっています。

庶民のRadu Ducaがルーマニア王家のマルガリータ王女と1996年に結婚したのち、ルーマニア王家の本家筋に当たるホーエンツォレルン公家に称号を賜るように要請しました。このとき既にルーマニア王家も統治を支配していません。1999年になって、ホーエンツォレルン公家の当主Prince Friedrich Wilhelm von HohenzollernはRaduに’Hohenzollern-Veringen’の名を称することを許しました。このことを受けてRaduは’HSH Prince of Hohenzollern-Veringen’を称します。

しかし、同年Prince von HohenzollernはRaduを称号僭称で訴えます。というのは、ホーエンツォレルン公は、’Hohenzollern-Veringen’の名を与えただけで、’HSH Prince of Hohenzollern-Veringen’という称号を与えていない、というのです。

このことは、現在国を統治していない旧君主が称号を作る権利があるか、という問題もあってややこしい状態になっています。

正確に言いますと、1848年にプロイセン国王とホーエンツォレルン-ジグマリンゲン公(おそらくPrince Karl Anton von Hohenzollern-Sigmaringen)との間に合意がなされ、ホーエンツォレルン公が君主権を喪失した場合、新たに(女系)の公族の位を宣下したり、その称号を叙すことができない、とされました。両君主国とも今は消え去ってしまいましたが、この合意が有効と見なされています。有効ではない、と見なす人もいる。

しかしながら、王室の社交界においては、ルーマニア王女の夫君に敬意を表して、大抵その主張の通りに書いていることが多い様です。この辺はロシアのニコライ・ロマノフと似たような状況でしょう。

旧ブログ時代Writeback(s)

Comment(s)

1: AMU (2005/04/11 20:31) aaa49120(あっとまーく)pop01.odn.ne.jp
ルーマニア王国マルガリータ王女殿下についてですが
2000年版ゴータ貴族年鑑によると
彼女は1997年にCrown Princessになっているのですが
通常は、王太子を称していないのでしょうか?

それにしても、ラドゥ殿下に義父のミハイ国王が
称号を与えなかったのが不思議です。
(本家にお願いするより容易な気がするのですが)
ちなみに、2000年版ゴータ貴族年鑑ではラドゥ殿下について、ご本人の主張通りに記載されておりました。

2: dzlfox (2005/04/11 22:11)
AMUさま、こちらではお久しぶりです。

>彼女は1997年にCrown Princessになっているのですが

え~、結論から言うと、彼女はCrown Princessではないのです。
たしかに、Almanach de Gothaの記述はそうなっているそうで、実際King MihaiがPss Margaritaを’Heir’とした、という事実はあります。
しかし、これは問題があるのです。
ルーマニア王位の継承は1922年の憲法によって[女子の継承権が否定]されています。したがって、そもそもPss MargaritaをはじめとしたKing Mihaiの娘達は王位を継承できないのです。
継承できないので、’Crown Princess’となることはできません。
憲法というのは、国王でもそう簡単に変えることはできません。ルーマニアは既に君主制ではないので、手順を踏んで変えることもできません。
このことはMihai陛下も認識しておられて、とあるインタビューで「自分としては娘達に王位を継がせてやりたいが、1922年憲法で禁じられているので、できない」といっておられます。
では、1997年のは何だったかというと、’Crown Princess of Romania’ではなく、’Heir to the Headship of the Royal House of Romania’への叙任だということです。つまり、Mihai陛下はPss Margaritaをルーマニア王位の継承者ではなく、家の家長の継承者とするということです。
ある研究者がMihai陛下に直接連絡を取って尋ねた所、「1997年にPss MargaritaをCrown Princessに叙したことはない」と仰った、とのことです。

3: dzlfox (2005/04/11 22:14)
>それにしても、ラドゥ殿下に義父のミハイ国王が
称号を与えなかったのが不思議です。

こちらの方は、私はまだ理由を確認していないのですが、女性王族の夫に王族の類の称号を与えることに、(旧)ルーマニア法で何らかの制限があるのかもしれません。

4: Lucius (2005/04/12 04:27) l.aquarius(あっとまーく)excite.co.jp
> ウェセックス伯爵殿下 (HRH The Earl and Countess of Wessex)

 ”and Countess”は重複ですね。そういえば、夫妻だとTRHになるんですね。当たり前なんですが見慣れないのでちょっと新鮮でした(笑)

5: dzlfox (2005/04/12 09:45)
Lucius様ご指摘ありがとうございます。
はじめは夫婦単位で書いていたのを個人単位に変更した際に修正漏れがあったようです。
そのくせTRHはしっかりHRHに変えているという。

>TRHは新鮮。

そういえば、どこかのサイトかブログで、TRHとHRHの違いについて悩んでいる人がいたような気がします。
人称の変化って日本語では余り見かけないような気がしますが、ぱっと気づくまではやはり混乱するのでしょうか。

6: もつ (2005/04/12 19:55)
>1848年のホーエンツォレルン公
こんにちは。
いつも読ませていただいています。
今回の話も(Writebackを含めて)非常に面白いのですが、一点質問があります。

> 1848年にプロイセン国王とホーエンツォレルン公との間に合意がなされ、

とありますが、プロイセン国王はフリードリヒ・ヴィルヘルム4世として、ここでのホーエンツォレルン公とは誰のことなんでしょうか。
ちょっと、誰と誰が合意したのかよくわからなかったので書き込ませていただきます。

7: dzlfox (2005/04/12 20:23)
はじめまして。これからもよろしくお願いいたします。

>ここでのホーエンツォレルン公とは誰のことなんでしょうか。

あ~、これはちょっと確信がなかったのでごまかした所なんですが(笑)、おそらくPrince Karl Anton von Hohenzollern-Sigmaringenだと思われます。
#この時はまだHohenzollern-Hechingenがあったので、単独のHohhenzollernではなかったですね。混乱させまして、申し訳ありません。
後で少し訂正させていただきます。

8: AMU (2005/04/12 22:41) aaa49120(あっとまーく)pop01.odn.ne.jp
難しいですね
>え~、結論から言うと、彼女はCrown Princessではないのです。

なるほど、そういうことなのですね。
陪臣化された王侯家の権利の問題も含めて
何とも難しいですね。

それにしても、ルーマニア王家はマルガリータ王女が継ぐにしても、ルーマニア王位は何方が継がれるのか気になるところです。
(前に私の分かる範囲で系図を確認したところ、
ルーマニア王家には、もう王位継承権を認められている男子がいないようです。~カロル2世の最初の結婚の家系は
駄目でしょうし。)

9: Lucius (2005/04/13 01:47) l.aquarius(あっとまーく)excite.co.jp
プリンスパワー?
 出席者リストを見ていて「これは誰だっけ?」というのを検索していて気づいたんですが、HRH Prince Michael of Kentの長男がLord Frederick Windsor、長女がLady Gabriella Windsorとなっているのは、Princeの子としての儀礼称号なんでしょうか?<公爵並?
10: dzlfox (2005/04/13 09:38)
>ルーマニア王位は何方が継がれるのか

1923/38憲法における継承規定は:

1. カロル一世の嫡出系男系男子を長幼順
2. (1)が絶えた後は、カロル一世の最年長の兄弟およびその子孫から、上記と同じ条件で。
3. (2)に当てはまる人らが、前もって継承権を放棄した場合、議会に従い、国王が西欧の君臨している君主家の一族から一人選んで後継者に指名する
4. それでもだめなら、王位は空位

となっています。
#現在では3番目のは事実上死文ですが。

というわけで、’法令上’では、King Mihaiの次は、現ホーエンツォレルン公(当時はホーヘンツォレルン-ジグマリンゲン)であるPrince Friedrich Wilhelm von Hohenzollernがheir to the Romanian Throneとなります。

ただ、問題は、ルーマニア人が、ミハイ国王の娘のことはともかく、ジグマリオンな人らのことなど全然知らないという点で。しかも、聞く所によると、ホーエンツォレルン公は、ルーマニア王位にさほど興味がないようで…。
継承者自体が興味がないとなってしまうと、王政復活の見込みがほとんどない今、ルーマニア王位継承権は学術的なものとして埋没していきそうです。

#そうなってしまうと、身分を既に詐称しているPaul Lambrino (カロル二世の最初の結婚の孫)や、家の継承者のマルガリータ王女+エレーナ王女の息子のニコラスあたりと、ぐちゃぐちゃやりそうな気がします。

11: dzlfox (2005/04/13 09:47)
Luciusさま。爵位のない’Prince’の子供達は’daughters/younger sons of a Marquess’の序列が与えられます。
ですから、仰る通り、Prince Michael of Kentの子はLord FrederickとLady Gabriellaとなります。

#ただし、このままと娘の方が長男よりも身分が高くなってしまうので、長男は「儀礼称号は侯爵の余子だけども、身分は侯爵の長男扱い」的な処置がなされるような記憶があります。確かではありませんが。

12: もつ (2005/04/13 18:58)
>あ~、これはちょっと確信がなかったのでごまかした所なんですが(笑)、おそらくPrince Karl Anton von Hohenzollern-Sigmaringenだと思われます。
>#この時はまだHohenzollern-Hechingenがあったので、単独のHohhenzollernではなかったですね。混乱させまして、申し訳ありません。

ご回答ありがとうございます。
すると、1848年に父親の譲位でホーエンツォレルン・ジグマリンゲン公(Furst)位を継承し、1869年から単独のホーエンツォレルン公になるカール・アントンのことですね。
ジグマリンゲンとヘッチンゲンが君主権を放棄(プロイセン王に譲渡)したのは1849年だったと思うので、1848年に合意したというのは何だか急な話ですね。それを前提で合意したということなんでしょうか。
そう思うとカール・アントンだけでなくとホーエンツォレルン・ヘッチンゲン公の方も同時に合意したのかもしれませんね(完全に想像で言ってますが)。

13: dzlfox (2005/04/13 20:16)
もつさま。それらかさらに調べましたので、まとめて書きますと:
1848年の取り決めは、ジグマリンゲン/ヘッチンゲンの両方がプロイセンと合意に達したそうです。おそらくそれは、来るべき1849年の君主権放棄へ向けた一連の動きの中で行われたものだと思います。
14: 通りすがりにて失礼しますが (2005/04/13 22:13)
ヌーフ・ビント・ファハドというお名前は、ビント(~の娘)が入っているので明らかに女性名で、おそらくトゥルキー・アル・ファイサル王子(駐英大使)のご夫人なのでしょうが、ヌーフ・ビント・ファハド王子妃殿下と訳すとヌーフ王子という人の妃のように感じられるのでちょっとまずいかなと思います。
15: Lucius (2005/04/14 00:20) l.aquarius(あっとまーく)excite.co.jp
爵位がないからといってPrinceの子がいきなりMr.ってわけにもいかないんでしょうね、きっと(笑)ところで、

> 爵位のない’Prince’の子供達は’daughters/younger sons of a Marquess’の序列が与えられます。

 これはLPか何かが出ているのかしら?と思って調べてみたら、1917年11月30日のLPの末尾に、君主の男系の曾孫についての記述がありました。

“the grandchildren of the sons of any such Sovereign in the direct male line (save only the eldest living son of the eldest son of the Prince of Wales) shall have the style and title enjoyed by the children of Dukes.”

http://mypage.uniserve.ca/~canyon/documents.html

 DukeがMarquessになったのは、これの後に別のLPか何かが出ているということなんでしょうか?

16: dzlfox (2005/04/14 10:56)
Luciusさまご指摘ありがとうございます。
仰る通り、1917年のLPにより、Marquessの子ではなく、Dukeの子扱いです。
そのLPには目を通していたのですが、参照した所の情報がやや錯綜していました。
ここで訂正いたします。
17: dzlfox (2005/04/14 11:15)
通りすがりさま
>ヌーフ・ビント・ファハド王子妃殿下と訳すとヌーフ王子という人の妃のように感じられるのでちょっとまずいかなと思います。

実は私もそこはかなりなやんだところでして、欧州の王族の表記は英国的慣習に基づいて書いているのですが、果たしてイスラーム圏はどうするべきか。原文の英語表記にしたがって、妃自身の名前をも表記しているのですが、イスラーム圏のことを考えると、それはそれでいいように思います。
ただ、やはり王子妃殿下とするのは、ご指摘の通り、良くないですね。訂正させていただきます。
ありがとうございました。

18: AMU (2005/04/15 23:20) aaa49120(あっとまーく)pop01.odn.ne.jp
>#そうなってしまうと、身分を既に詐称しているPaul Lambrino (カロル二世の最初の結婚の孫)や、家の継承者のマルガリータ王女+エレーナ王女の息子のニコラスあたりと、ぐちゃぐちゃやりそうな気がします。

ご回答をありがとうございます。

やはり、法的には1914年の王位継承同様に
ホーエンツォレルン公家に権利があるのですね。

こうなると、公家が権利を主張してくれないと
仰るようにランブリノ家、ミハイ国王の子孫も加わって
エルサレム王位にように複数家系の称号になってしまいそうですね(^^;。

今となっては遅いですが、ミハイ国王の王女が
公家と縁組されていたら、随分と事態は綺麗だったでしょうが、こればかりは仕方がないことですね。

ダイアナ元妃の称号についてのQ&A

本記事は2005年3月に執筆公開されたものを発掘し再掲載したものです。現時点での情報の正確性は保証しません。

元サイトでも何回か論じてきたトピックですが、いくつかの記事に分散して書かれていることもあってわかり難いこともあるでしょうから、この辺で少し’Q & A’形式にしてまとめてみます。なるだけわかりやすく書くように心がけているつもりです……。

ダイアナ元妃のことを「プリンセス・ダイアナ«Princess Diana»」と言ったら、「その表現はおかしい」と言われました。何故ですか?

簡単に言ってしまえば、ダイアナ元妃は’Princess Diana’と呼ばれる身分ではなかったから、と言うことになります。

英国にはおおざっぱに言って二種類の’Princess’があります。それは:

  1. 生まれついての’Princess’すなわち「王女」 (これを’Princess by birth’と言います。)
  2. 王族男子と結婚したことによって’Prinncess’になった人、すなわち「妃」(これを’Princess by marriage’と言います。)

最初のものは日本の皇室で言えば先程婚約を発表された紀宮清子内親王殿下にあたります、二番目のものは皇太子妃殿下(雅子様)や秋篠宮妃殿下(紀子様)にあたります。

さて、この二種類の’Princess’では‘Princess’の付き方が変わってくるのです。先の「王女」の’Princess’の場合、その人の«forename»(要するにファースト・ネームと考えてもらって構いません)につきます。つまり、ヨーク公«HRH The Duke of York»アンドリュー王子«Prince Andrew»)の長女であるビアトリス王女は’Princess Beatrice’となります。

二番目の「妃」の場合、’Princess’はその人の«forename»ではなく夫の名につきます。この場合、決して’Prtincess + [妃の名]’にはなりません。

さて、ダイアナ元妃はチャールズ王子と結婚して’Princess’となった二番目のパターンですから、この時点で’Princess Diana’ではない、と言うことがわかります。

では、ダイアナ元妃は’Princess Charles’なのでしょうか。もちろん、結婚している間はそうでした。しかし、夫君がウェイルズ公«The Prince of Wales»であることで少し事情が異なります。「単なる王族」と「称号や爵位をもった王族」とでは後者の方が位が上ですから、後者の人らはそもそも名前ではなくて、そのもっている称号や爵位で呼ばれます。

したがって、よく我々は「チャールズ王子(皇太子)«Prince Charles»」という様に言いますが、これはややフォーマルさに欠ける言い方になります。正しくは(「殿下」という語にあたるHis Royal Highnessを用いて)’HRH The Prince of Wales’と呼ばれることになります。

その妃であるダイアナは、夫の称号を女性形にした’HRH The Princess of Wales’と呼ばれることになるのです。この場合、HRHは女性形の’Her Royal Highness’の略です。

以上のことは結婚している間の話です。離婚後、彼女は’Diana, Princess of Wales’と称されることになりましたが、このことは後の項目で書くことにします。一つ重要なことは、このように、どう転んでもダイアナは’Princess Diana’とはなり得ない、ということです。

しかし、中には「私の友人の英国人はプリンセス・ダイアナと言っていた!」と言われる方もいるかもしれません。はい。おそらくそうでしょう。実際、タブロイドなどもそう書いているでしょう。英国のラジオでもそう言っていることを聴いたことがあります。残念ながら、英国でも一般人はこういったことに興味が普段から無いために、こういう慣習を知らないのです。しかしながら、いかに多くの人間が誤用しているといっても、これは決まっているルールですから、「プリンセス・ダイアナ」が誤用であることにはかわりありません。

なぜ妃の場合は夫の名につくのか、と言う疑問をお持ちの方、ならびにもっと詳しい話を読みたい方は「正式な英語における’Mrs’」および「改めて’Princess Diana’を考えてみる」を参考になさると良いかもしれません。

ダイアナ元妃は離婚後にも’Princess of Wales’の称号を持つように王室と妥協した、と聞きますが。

最初にダイアナ元妃の離婚後の名称について考えてみましょう。

ダイアナ元妃が結婚している間は’HRH The Princess of Wales’と言う称号であったのは前項の通りです。王族の妃の離婚後の名称については、一般的な貴族の称号におけるルールに従います。

そのルールとは:

  • [女性の名], [結婚時の称号から敬称を抜いたもの]

ダイアナの場合、結婚していたときは’HRH The Princess of Wales’ですから敬称にあたる’HRH’および’The’を抜いて、’Princess of Wales’を’Diana’の後につけます。すなわち: ‘Diana, Princess of Wales’となります。

さて、これからはかなり微妙なのですが、厳密に言えば、この場合における’Princess of Wales’は称号ではありません

では何なのでしょうか。一般の離婚した女性のことを考えてみるとわかりやすいもしれません。一般的に言って、離婚した女性は旧姓に戻すことも出来ますが、夫の姓を名乗り続けることも出来ます。離婚後のダイアナ元妃における’Princess of Wales’はこの「離婚後も名乗り続ける夫の姓」と同じなのです。

ダイアナ元妃は実際には離婚しているので、「Prince of Walesの妻」という立場ではなくなっています。ですからその妻を表す’Princess of Wales’の称号をもっている、ということではないと言うことです。

実際ダイアナ自身は独身時代の名である’Lady Diana Spencer’に戻す手続きをとっても良かったのですが、しませんでした。称号ではないとはいえ’Princess of Wales’を名前に使えるメリットの方を選択したといえます。

というわけですから、そもそも「妥協」とかそういう問題ではありません。

ダイアナ元妃は離婚の時、女王によってHRHの敬称を剥奪されたと聞きましたが。

これは誤解、もしくは意図的な誤報です。

HRH、要するに’Her/His Royal Highness’というものは’Prince’もしくは’Princess’が帯びる敬称で、日本語の「殿下」に相当するものです。要するに王族が帯びるべき敬称なので、王族でなくなった時点で帯びることが無くなります。

したがって、離婚によって王族ではなくなったダイアナ元妃は「HRHを剥奪された」のではなく「HRHを帯びる身分ではなくなった」ので帯びなくなったということなのです。

では何故こんな誤解が広まってしまったのでしょうか。

実は離婚に先立ち、女王は離婚した妃の称号・敬称の取り扱いについて公的な文書を発行しました。そのなかで「離婚した妃はHRHを帯びない」といったことが書かれていました。これを見てタブロイドをはじめとしたメディアが「女王、ダイアナからHRHを剥奪!」という感じで書きたてたのです。

そもそもこの文書は慣習の確認のために出されたものです。といいますのも、ウェイルズ公夫妻の離婚が現実的になって以来、バッキンガム宮殿は「離婚したらダイアナの称号はどうなるのか」という質問処理に苦慮していました。そこで、女王は旧来の慣習で決まっているルールを文書でもって確認し、明らかにしようとなさったのです。

それを上記のように報道したのメディアは本気で間違ったのか、意図的に間違ったのか、それは知りませんが、ともかくそういう報道があったのは事実です。しかし、ここで説明した通り、決して「剥奪」ではなく、そういう身分ではなくなったからHRHを帯びなくなった、というのは正しいのです。

この件に関しては「HRHと妃たち- ‘Princess Diana’論議の補足」に詳しく書いています。

旧ブログ時代Writeback(s)

Comment(s)

1: 公爵 (2005/03/10 20:47)
これはなかなか分かりやすい説明ですね。
>一般的に言って、離婚した女性は旧姓に戻すことも出来ますが、
>夫の姓を名乗り続けることも出来ます。
そういえば、マークス寿子もそうでしたね。
2: dzlfox (2005/03/11 23:22)
> これはなかなか分かりやすい説明ですね。

どうもです。
かなりすっ飛ばしてしまっているので、かえって心配したんですが…。
うちに来られる方の検索語句で結構ダイアナとその称号関連のキーワードが多かったものですから。

3: 公爵 (2005/03/17 03:04)
ところですみません、ちょっと教えて下さい。
HMやHRHは、称号を持つ本人が自署する際にも付けるものなのですか?
他者が記述する際に敬意を込めて付けるものなのですか?
自分で自分に「殿下」とか「陛下」を付けるのはなんかおかしいので、
後者だと思うのですが・・・。ご教授宜しくお願い致します。
4: dzlfox (2005/03/18 22:36)
結論から言うとつけないと思います。
せっかくですので明日ぐらいにエントリにします。
5: 公爵 (2005/03/18 23:40)
普通そうですよね。ありがとうございます。記事、楽しみにしております。
6: njt (2009/02/02 03:06)
はじめまして
多数の記事、興味深く読ませていただきました。

さて、
> 以上のことは結婚していろ 1000 ?間の話です。
に化けています。blog再編の関係でしょうか。

7: dzlfox (2009/02/02 12:15)
njtさま。
御来訪ありがとうございます。

数年前にブログシステムをBroxsomからrNoteに変更した際、手違いからいくつか「ゴミ」が残ってしまっています。
ご指摘の文字化けの件はこの「ゴミ」の部分です。
本来は早急に修正すべきことなのではありますが、種種の事情から放ったままになっています。
今回のシステム再編の際に過去ログは校正整理していくつもりですので、その際に修正できるのではないかと考えております。
ご理解願います。

8: njt (2009/02/03 00:33)
簡単に直せるものではないのですね、余計なことを申しました。
9: dzlfox (2009/02/03 09:22)
njtさま。
恐縮です。
お叱りを受けるのはもっともなことで、この「ゴミ」が出た件については、かなり昔の上記システム移行時にいったんエントリーを載せただけですので、最近御来訪していただいた方には申し訳なく思っております。
(資料アーカイヴ的な価値も半減ですし)
私にはもともと誤字脱字が多く、それぞれ逐次構成していかねばならないのですが、元来がものぐさなため、機会をとらえるまではなかなか腰が上がりません。
徐々に改訂していければと思っておりますので、よろしくお願いいたします。

サッチャー卿とは誰か

本記事は2005年1月に執筆公開されたものを発掘し再掲載したものです。現時点での情報の正確性は保証しません。

1月19日付のUK Todayの記事「世襲貴族の称号剥奪か!?――南アで有罪のサッチャー元首相の長男に非難の嵐」によると、元英首相サッチャー男爵の長男で准男爵であるマーク・サッチャー卿が赤道ギニアのクーデターに関与したかどで、滞在中の南アフリカで逮捕・有罪判決を受け、罰金を払って刑を免除されたということです。

細かい話は上記の記事を見てもらうとして、UK Todayに良くある間違い、もしくは不正確さがこの記事にもあります。

サッチャー卿は …… 1995年から居住しているケープタウンの自宅で逮捕された。

ところで、このサッチャー卿とは誰でしょうか。

まず、サッチャー親子の称号についてみましょう。

マーガレット・サッチャー(元英首相)
Lady Thatcher (Baroness Thacher)
マーク・サッチャー(准男爵)
Sir Mark Thatcher, Bt

‘Bt’の代わりに’Bart’をBaronetの略号として使う事もありましたが、今では用いられません。

元英首相マーガレット・ヒルダ・サッチャー女史は、首相退任後の1992年に一代貴族のサッチャー男爵«Baroness Thatcher»に叙されました。もっとも、彼女の夫であるデニス・サッチャー氏(故人)はそれに先立つ1991年に准男爵(Baronetcy of Thatcher of Scotney)に叙され、’Sir Dennis Thatcher, Bt’になっていましたので、彼女自身はすでに’Lady Thatcher’と呼ばれる身分でした。しかし、男爵位授爵によって、彼女は’Baroness in her own right’として’Lady Thatcher’となりました。

‘Baroness in her own right’は、’Baroness Thatcher’と’Lady Thatcher’という二通りの呼称の仕方があります。これは、どちらで呼ばれたいか本人が声明を出して決めることができます。サッチャー女史の場合、後者を選んだようです。

さて、一方のマーク・サッチャー氏の場合、2003年に父親が死んで准男爵となるまで、母親の称号の儀礼称号として、The Hon. Mark Thatcherでした。そして、准男爵をついで’Sir Mark Thatcher, Bt’となった事になります。一般的にはこの’Bt’を省略して、’Sir Mark Thatcher’と呼ばれます。

さて、本題に戻りましょう。’Lady Thatcher’が男爵の夫人ではなく自身が男爵であることから、日本語に於いては「サッチャー卿」と書かれることは十分にあり得ることです。実際私でもそう書くこともあるでしょう。しかし、准男爵であるSir Mark Thatcherが「サッチャー卿」と書かれることはあり得ないのです。なぜなら、Sir ThatcherやLord Thatcherという称号は、件の人物を指していないからです。この辺は、以前に書いたよくある間違い: Sirの取り扱いと原理は同じです。

したがって、引用した部分の書き方ではSir Mark Thatcher ではなく母親のLady Thatcherを指しているものになってしまい、この直前にある導入部分のパラグラフと異なることを言ってしまっていることになります。

今回の件は当事者が有名人だからわかりやすくてまだいいですが、メディアがしっかりと書いてくれないと、勘違いから困ったことも起こりうるように思います。

そもそも元記事の「世襲貴族」と言う記述自体が変ですが、ここでは敢えて突っ込んでいません。

リンク切れのため引用元のリンクをInternet Archiveのリンクへ差し替え(2009/02/15 0:48)

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Comment(s)

1: Lucius (2005/01/21 23:29)
許容限度はぎりぎり「マーク卿」か「マーク・サッチャー卿」までかしら(笑)そういえば日本語での敬称「卿」も、もともとは名につけていましたね。藤原卿や源卿では誰が誰やらわからないのもあるかもしれませんが(^^;
2: dzlfox (2005/01/23 00:00)
ははは。まぁ、このシリーズは「重箱つつきシリーズ」ですので(笑)
ところで、日本の場合、「朝臣」というものがあります。
姓朝臣とか名字朝臣とかもあるようですし、このへんとLord/Sirを対比させるとおもしろいかもしれませんね。
3: Lucius (2005/01/23 02:51)
朝臣といえば中学のときに夏休みの宿題で百人一首を暗記させられたのですが、そのテキストの中で歌人の呼称が身分ごとに異なっているのに興味を持った記憶があります。

大臣は「河原左大臣」「三条右大臣」「後徳大寺左大臣」といった通称+官職で、他の公卿は「大納言公任」「中納言朝忠」「参議篁」「皇太后宮大夫俊成」といった官職+名、四位は「在原業平朝臣」「藤原敏行朝臣」などで、それより下は呼び捨て(笑)

4: dzlfox (2005/01/23 20:12)
あらら私もそういうのに興味があります。
ただ、私の場合は坊主めくりをやっているときに興味を持ったんですが(笑)
後、女官の呼び名とかも。

そういえば、最初『史記』を読んだとき、列伝とかのタイトルにおける人物の表記に惹かれました。
「衛将軍驃騎列伝」とか。

5: Lucius (2005/01/25 01:15)
興味の向きどころがけっこう似ているかもしれません(笑)

中国史の本を読んでいても、出てくる人の官職や爵位の方に半ば興味が行っていました(^^;王とか郡王とか国公とか、爵位も豪華ですしね(笑)

6: dzlfox (2005/01/31 00:39)
官の唐名なんかは日本の官制にも関わってきますしね。
いかにも日本的な、大和語と漢語などを入り交じって使う所は結構好きです。
雅ですな…。